第十話 牢の中の商人
残り二十一日。捕らえられた男の話に、耳を傾けます。
王宮の地下、牢の並ぶ一角は、昼間でも薄暗かった。
フィリアは、マルクスに付き添われ、初めてその場所に足を踏み入れた。カインは、常に半歩後ろで警戒を怠らない。石造りの通路には、かび臭さと、燭台の煙の匂いが染みついていた。
ジェラルド・ホーンは、鉄格子の向こうで、力なく座り込んでいた。恰幅の良い体つきの男だったが、頬はやつれ、目の下には濃い隈があった。
「――フィリア様」
彼は、フィリアの姿を見て、驚いたように顔を上げた。
「あなたが、なぜ、ここへ」
「あなたに、聞きたいことがあります」
フィリアは、鉄格子の前に立った。
「あなたが、私を陥れ、リーゼ様に毒を盛ったという嫌疑がかけられています。事実ですか」
「――違います!」
ジェラルドの声が、悲鳴に近い響きで牢の中に反響した。
「私は、何もしていません!確かに、ラングドン公爵とは商売上のいざこざがありました。恨みが、無かったと言えば嘘になります。でも、毒を盛るなど――そんな恐ろしいこと、考えたこともありません!」
「あなたの屋敷から、証拠が見つかったと聞いています」
「見つかったんじゃない。仕込まれたんです!」
ジェラルドは、鉄格子を掴んだ。
「三日前の夜、屋敷に何者かが侵入した形跡がありました。使用人が、見慣れない人影を見たと言っていた。でも、盗まれたものが何もなかったから、大した事件だと思わず、届け出もしませんでした」
フィリアとカインの目が、同時に鋭くなった。
「――侵入した人間が、証拠を『置いていった』ということですか」
「そうとしか、考えられません」
ジェラルドは、崩れ落ちるように膝をついた。
「私は、はめられたんです。誰かに」
「心当たりは」
「――分かりません。ただ」
ジェラルドは、声を落とした。
「一月ほど前、見知らぬ商人が接触してきたことがありました。うちの帳簿の管理を手伝わせてほしい、と。信用できる筋からの紹介だと言われ、断る理由もなく、雇い入れました」
「その商人の名前は」
「ルカ、としか。姓は名乗りませんでした」
「――ルカ」
フィリアの脳裏に、廃業届に書かれていた代理人の頭文字「L」が過った。
「その男の、風貌は」
マルクスが、初めて口を挟んだ。
「年の頃は、四十前後だったかと。痩せ型で、指が異様に長かったのを覚えています。帳簿をめくる手つきが、やけに滑らかで――堅気の商人というより、書記官か、事務方の出のように見えました」
「利き手は」
「左でした。ペンを、左手で持っていました」
フィリアは、その特徴を一つずつ、頭に刻みつけた。
「気づけば、屋敷のどこに何があるか、全て把握している立場になっていた。今思えば、あの男が、証拠を仕込む準備をしていたんだと思います」
マルクスが、静かに口を開いた。
「――今の証言、正式な記録として残します」
「本当ですか」
ジェラルドの声に、僅かな希望が滲んだ。
「証言だけでは、まだ嫌疑を晴らせません。ですが、少なくとも、宰相府が急いで出した結論を、鵜呑みにするわけにはいかなくなりました」
◇
牢を出た後、三人は王宮の廊下を歩きながら、言葉少なに情報を整理した。
「ルカ、という名前」
カインが、口を開いた。
「廃業届の代理人と、同じ頭文字だ」
「偶然とは思えません」
フィリアは、拳を握った。
「三日月商会の代理人と、ジェラルドの屋敷に潜り込んだ人物――同一人物の可能性があります」
「その人物を捕まえれば、真犯人に一気に近づく」
「ですが、姿を消したということは」
フィリアは、首を振った。
「簡単には見つからないでしょう。用意周到な人間です」
マルクスは、腕を組んだ。
「宰相府には、私からこの証言を報告します。ジェラルドへの嫌疑を、簡単に確定させるわけにはいかない、と」
「加えて、王宮に出入りする書記官・事務方の記録も、私の権限で当たってみます。左利きで、痩せ型、四十前後――特徴が絞れれば、名簿と照合できるかもしれない」
「――お願いします」
フィリアは、深く頭を下げた。
「礼を言われる筋合いはありません」
マルクスは、淡々と言った。
「事実を、追っているだけです」
王宮の窓から差し込む光が、廊下を照らしていた。フィリアは、その光の中で、静かに拳を握りしめた。
「残り、二十一日」
「ルカという男の正体を、突き止める」
カインが、隣で呟いた。
「それが、次の目標だ」
フィリアは、頷いた。
(都合のいい答えの、その先へ)
(本当の黒幕まで、あと少しずつ、近づいている)
王宮を後にする馬車に乗り込む間際、フィリアはふと、正門近くに停まった別の馬車に目を留めた。見覚えのある紋章――ラングドン公爵家のものだった。
「――お父様の馬車?」
カインが、目を細めた。
「今日、公爵が王宮に来る予定があったとは、聞いていない」
「面会の記録には、載っていませんでした」
マルクスが、静かに付け加えた。
「私が把握していないということは、正式な謁見ではないはずです。個人的な用向きか、あるいは――誰かに会いに来ただけか」
「誰に会いに」
フィリアの声が、僅かに強張った。頭の中を、幾つもの可能性が駆け巡る。父が、宰相府の誰かと接触していたのだとしたら。もしそれが、ジェラルドの一件を急いで片付けようとした人物と、無関係でなかったとしたら。
「考えすぎかもしれません」
フィリアは、自分に言い聞かせるように呟いた。
「お父様が、王宮に立ち寄る理由など、いくらでもあります」
「ああ」
カインは、それ以上追及せず、短く頷いた。だが、その目は、遠ざかっていく紋章の馬車を、最後まで追っていた。
馬車の窓には、誰の姿も見えなかった。フィリアが乗った馬車が動き出すと、その紋章の馬車は、追うようにではなく、離れるように、静かに走り去っていった。
第十話「牢の中の商人」をお読みいただき、ありがとうございます。
ジェラルドが、実は彼自身も駒として利用された被害者だった、という展開にしました。「ルカ」という名前が、三日月商会の代理人と繋がる手がかりとして浮上します。都合のいい答えを覆した先に、また新たな謎が待っている――そんな構成を意識しました。
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