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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第九章「書き換えられた過去」

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第五話「封印区画」

ギィ……



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重い鉄の扉が。



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ひとりでに開いていく。



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暗闇の奥から。



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冷たい風が吹き抜けた。



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その風は。



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土の匂いではない。



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古い紙。



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墨。



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湿った木。



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何百年もの時を閉じ込めたような匂いだった。



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「入るな!」



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藤富零が初めて声を荒らげる。



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「その先だけは開いてはならない!」



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真之介は振り返らない。



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「ここに答えがあるんだろ?」



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零は唇を噛む。



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「答えではない。」



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「始まりだ。」



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真之介は灯りを掲げ、封印区画へ足を踏み入れた。



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そこは記録庫とは違っていた。



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本棚はない。



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石板もない。



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ただ。



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広い空洞。



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その中央に。



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一本の巨大な樹が立っていた。



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枝は一本もない。



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葉もない。



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黒く乾いた幹だけが天井へ伸びている。



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綾乃が息を呑む。



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「木……?」



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真琴は首を振る。



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「違う。」



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「これは木じゃない。」



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近づく。



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幹の表面を灯りが照らす。



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そこには。



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びっしりと文字が刻まれていた。



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何千。



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何万。



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人の名前。



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生年月日。



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最期の言葉。



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人生の断片。



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咲が震え始める。



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「これ……」



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「全部、人間……」



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真之介も幹へ手を伸ばす。



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指先が触れた瞬間。



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景色が変わった。



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1820年。



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まだ若い藤富家の当主。



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村人たち。



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そして。



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一本の小さな苗木。



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当主が言う。



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「苦しみを忘れないため。」



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「ここへ記録を残そう。」



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村人たちは。



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亡くなった者の名を書いた木札を。



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苗木の根元へ埋めていく。



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最初は。



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弔いだった。



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しかし。



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年月が流れる。



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木は育つ。



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根は。



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木札ではなく。



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人々の「記録」そのものを吸い始めた。



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映像が消える。



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真之介は膝をつく。



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「これが……」



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真琴が静かに言う。



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「第一記録。」



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「黒帳は、この樹から生まれた。」



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その時だった。



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ゴゴゴ……



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樹が揺れる。



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幹の一部が裂ける。



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そこから。



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古い巻物が落ちた。



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綾乃が拾い上げる。



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表紙には。



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『封印記録 第一号』



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ページを開く。



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最初の一文。



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『第九を封じるな。』



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全員が息を呑む。



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真之介が読み進める。



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『第九は災いではない。』



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『人が恐れたことで怪異となった。』



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『恐怖が名を与えた。』



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咲の瞳が揺れる。



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「じゃあ……」



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「第九は最初から怪異じゃなかった……」



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その瞬間。



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封印区画全体が大きく揺れた。



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樹の奥。



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闇の中で。



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誰かが笑う。



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低く。



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静かに。



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「ようやく。」



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「ここまで来たか。」



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真之介が灯りを向ける。



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しかし。



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そこに人影はない。



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聞こえたのは。



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声だけ。



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零の表情が青ざめる。



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「違う……。」



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「まだ目覚める時代じゃない。」



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その声は。



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再び響いた。



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「私を二百年も待たせたな。」



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真之介たちの前で。



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巨大な樹の幹に。



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一本の深い亀裂が走った。



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その奥には。



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人ひとりが通れるほどの、



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さらに古い石造りの通路が姿を現していた。



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第九章 第五話


「封印区画」


つづく

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