第五話「第四の石」
翌朝。
源次はまだ夜が明けきらぬうちに家を出た。
腰には石工用の槌。
背には水筒と食料。
そして懐には、咲の帳面と宗景から渡された地図。
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空は曇っていた。
六月だというのに冷たい風が吹いている。
鳥の声も少ない。
山そのものが息を潜めているようだった。
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村外れで宗景が待っていた。
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「本当に行くのか」
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源次が聞くと、宗景は苦笑した。
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「行かねばならん」
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その顔には覚悟と諦めが混じっていた。
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長年守ってきた秘密。
その中心へ向かう。
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二人は山へ入った。
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道はない。
獣道すらない。
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地図に記された場所は、誰も近づかない谷の奥だった。
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歩くほどに空気が重くなる。
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昼を過ぎても薄暗い。
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木々が陽光を遮っているわけではない。
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光そのものが弱い。
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源次は何度も目を擦った。
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しかし変わらない。
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「気付いたか」
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宗景が言う。
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「何がだ」
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「ここでは光が沈む」
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源次は返事ができなかった。
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言葉の意味が分からない。
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だが体は理解していた。
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この場所は普通ではない。
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夕方近く。
ようやく目的地に辿り着く。
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そこは谷だった。
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大きな崩落地。
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二十年ほど前の地滑りの跡らしい。
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岩肌が剥き出しになっている。
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しかし異常なのはそこではない。
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崖の中央。
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石でできた壁が露出していた。
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人工物だった。
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明らかに人の手で造られている。
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だが古い。
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異常なほど古い。
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源次は近づく。
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石壁には文字が刻まれていた。
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読めない。
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平安文字でもない。
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漢字でもない。
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何かを模した記号。
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まるで目のような模様が並んでいる。
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その時。
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咲の帳面が震えた。
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源次は驚いて取り出す。
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ページが勝手に開く。
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風はない。
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だが紙はめくられていく。
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一枚。
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二枚。
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三枚。
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そしてあるページで止まった。
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そこには短い一文。
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「石は見る」
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源次の背筋に冷たい汗が流れた。
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その瞬間だった。
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ゴゴゴ……
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低い音。
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崖が揺れる。
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岩が崩れ落ちる。
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宗景が叫ぶ。
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「下がれ!」
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大きな岩塊が落下する。
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二人は飛び退く。
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轟音。
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土煙。
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しばらく何も見えない。
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やがて煙が晴れる。
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源次は目を見開いた。
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崖の奥に空洞が現れていた。
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石室。
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完全に埋もれていた地下構造。
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入口が開いている。
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宗景の顔から血の気が引いた。
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「まさか……」
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源次は息を呑む。
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中は真っ暗だった。
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だが暗闇の奥に何かがある。
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感じる。
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視線だ。
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誰かが見ている。
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いや。
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誰かではない。
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もっと大きなもの。
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石室そのものが見ている。
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宗景が震える声で言う。
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「第四の石かもしれん」
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沈黙。
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風もない。
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虫も鳴かない。
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世界が止まっている。
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源次は足を踏み出した。
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一歩。
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また一歩。
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石室へ近づく。
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すると暗闇の奥で。
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何かが光った。
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白い光。
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いや。
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目だった。
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ひとつ。
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ふたつ。
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みっつ。
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違う。
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数えられない。
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無数。
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石室の奥に。
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大量の目が浮かんでいた。
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源次は思わず後退する。
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だが次の瞬間。
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それらは消えた。
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幻だったのか。
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分からない。
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しかし確かなことが一つある。
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この場所は。
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人間が作ったものではない。
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あるいは。
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人間だけでは作れない。
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宗景が地面に膝をついた。
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「長い間……隠れていたのか」
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彼は石室を見つめる。
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その目には恐怖があった。
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そして後悔も。
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藤富家が守ってきたもの。
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その正体に。
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彼自身も今、初めて近づいている。
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夕陽が沈み始める。
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石室の入口は黒い口のように開いていた。
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まるで二人を待っているように。
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源次は咲の帳面を握り締める。
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帳面の最後のページに、新しい文字が浮かび上がっていた。
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それは昨日まで存在しなかった言葉。
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「入るな」
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そしてその下に。
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別の文字。
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まるで後から誰かが書き足したように。
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「だが入らねば分からぬ」
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源次はゆっくり顔を上げた。
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石室の奥から。
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鐘の音が聞こえた。
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ゴーン……
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今までで最も近く。
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最も深く。
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まるで地下そのものが鳴っているようだった。
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第四の石は。
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すぐそこにあった。
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(第五話・続く)




