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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第四章:黒船の年、亡霊の山(1853)

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第四話「藤富家の再接触」

翌朝。


村には妙な空気が流れていた。


昨夜倒れた男は生きていた。


身体にも異常はない。


熱もない。


怪我もない。



---


だが何かが違う。



---


妻が話しかけても反応が遅い。


子供の名前を一瞬思い出せない。


好きだった酒の銘柄を忘れている。



---


ほんの僅か。


しかし確実に。



---


何かが欠けていた。



---


村人たちは口々に言った。



---


「魂を取られた」



---


しかし源次は違うと思った。


魂ではない。


もっと別のものだ。



---


昨夜見た武者。


そして帳面に現れた文字。



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「記録が崩れているもの」



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その言葉が頭から離れない。



---


昼過ぎ。


源次のもとに一人の男が現れた。



---


藤富宗景。



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十数年前。


咲の記録にも名が残っていた人物。



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しかし以前より老けていた。



---


髪は白くなり。


目の下には深い隈。



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まるで何年も眠っていない人間のようだった。



---


「源次殿か」



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低い声だった。



---


源次は警戒した。


藤富家は代々、この山の秘密を守る一族。


だが秘密を守るということは、真実を隠すということでもある。



---


宗景は源次の手元を見る。



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咲の帳面。



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宗景の顔色が変わった。



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「それをどこで」



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「山で拾った」



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沈黙。



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宗景はしばらく帳面を見つめていた。



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そして静かに言う。



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「咲殿は最後まで調べていたか」



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源次は驚く。



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「知っているのか」



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「知っている」



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宗景は遠くを見る。



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「止められなかった」



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その言葉には後悔が滲んでいた。



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源次は尋ねる。



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「昨夜の武者は何だ」



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宗景はすぐには答えなかった。



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代わりに聞いた。



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「何を見た」



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源次は迷った。



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だが隠しても意味がない。



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地下の目。


鐘の音。


空白になった男。



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全てを話した。



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宗景は静かに頷く。



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そして言った。



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「封印が弱っている」



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源次は眉をひそめる。



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「封印?」



---


宗景は首を振った。



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「いや」



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その表情には迷いがあった。



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長年使い続けた言葉を、自ら否定する苦しさ。



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「封印ではない」



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源次の心臓が跳ねた。



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咲の帳面と同じ言葉。



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宗景は続ける。



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「我々は代々、封印と呼んできた」



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「だが本当は違う」



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「維持だ」



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風が吹いた。



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だが暑さは消えない。



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むしろ背筋だけが冷たくなる。



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「維持?」



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「そうだ」



---


宗景は山を見上げた。



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「あれは閉じ込めるためのものではない」



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「動かし続けるためのものだ」



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源次には理解できなかった。



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呪いを動かし続ける?


怨霊を維持する?



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意味が分からない。



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宗景は小さく笑う。



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「私も全部は知らん」



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「だが一つだけ分かる」



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「止まれば終わる」



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「何が」



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宗景は答えない。



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代わりに懐から古びた紙を取り出した。



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そこには地図が描かれていた。



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仏生堂周辺の山。



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そして一点に印が付いている。



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「ここだ」



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「何がある」



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宗景は源次を見る。



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その目は恐れていた。



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何十年も秘密を抱え続けた人間の目だった。



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「第四の石」



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空気が変わった。



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山の奥から。



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ドン……



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低い音が響く。



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まるで巨大な何かが寝返りを打ったようだった。



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宗景の顔色が青くなる。



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「始まったか」



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「何がだ」



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宗景は震える声で言う。



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「第一の石が限界に近い」



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「だから第四も反応している」



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源次は初めて理解する。



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これまで起きていた怪異。


失踪。


武者。


死者。



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全てが別々の事件ではない。



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繋がっている。



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大きな一つの仕組みとして。



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そしてその仕組みは。



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今。



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壊れ始めている。



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夕暮れ。



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源次は地図を握り締めた。



---


第四の石。



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その場所へ行かなければならない。



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だが本能が警告している。



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そこには見てはいけないものがある。



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それでも行くしかない。



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なぜなら。



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もう始まってしまったからだ。



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夜。



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村の外れで再び鐘が鳴る。



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ゴーン……



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今度は一回ではない。



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二回。



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三回。



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四回。



---


まるで何かが近づいてくるように。



---


そして山の暗闇の中で。



---


黒い武者が静かにこちらを見ていた。



---


(第四話・続く)

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