第一話「黒船の報せ」
その日、村は朝から落ち着かなかった。
空が妙に低い。
雲が厚く、光が地面に届かない。
山の稜線は黒く滲んで見えた。
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「海の向こうから、鉄の船が来たらしい」
そう言ったのは、行商の男だった。
息を切らし、顔は青ざめている。
誰もが最初は冗談だと思った。
鉄でできた船など、ありえない。
しかし男は続けた。
「帆じゃない。煙を吐いて動く船だ」
村人たちの間に静けさが落ちた。
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それは単なる異国の噂のはずだった。
だがその瞬間から、村の“空気”が変わった。
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木村源次は、その変化に最初に気づいた一人だった。
石工として山に入ることが多い彼は、地面の“癖”を知っている。
今日は違った。
山が、わずかに“重い”。
踏みしめるたびに、返ってくる感触が鈍い。
まるで地面の下に空洞ではなく、“詰まった何か”があるようだった。
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「また始まるのか」
源次は独り言のように呟いた。
過去にも似たことがあった。
崩落の前兆。
地鳴り。
人の失踪。
そして、死者の出現。
だが今回は違う。
理由が分からない。
外の世界が変わっただけで、なぜ山が反応する?
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その夜。
村の外れで異音がした。
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ゴ……ゴ……
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木が折れる音ではない。
岩が割れる音でもない。
もっと“内側”から響く音。
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源次が現場に向かうと、そこには誰もいなかった。
しかし地面に、足跡があった。
一列。
裸足のまま山へ向かっている。
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「誰だ」
声をかけても返事はない。
ただ足跡だけが続いている。
山の奥へ。
仏生堂神殿の方向へ。
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その瞬間だった。
風が止まった。
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完全に。
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葉の揺れも、虫の声も消えた。
世界から音が抜け落ちる。
源次は本能的に理解した。
これは自然ではない。
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次の瞬間。
遠くで鐘が鳴った。
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ゴーン……
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しかし村の寺ではない。
音は“山の中”から響いている。
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源次は息を止める。
その音には覚えがあった。
過去の記録に書かれていた音。
死が近いときに鳴る鐘。
いや。
正確には違う。
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“死が動くときの音”。
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源次は山の方を見た。
暗闇の中に、何かが立っている。
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黒い影。
人の形。
しかし輪郭が安定していない。
見ていると形が変わる。
武士のようにも見える。
僧のようにも見える。
ただ一つだけ確かなことがある。
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それは「生者ではない」。
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影はゆっくりと歩いていた。
村へ向かっている。
しかし人を見ていない。
見ているのは“地面の下”だった。
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源次は背中に冷たいものを感じた。
この時代の異変は、外から来ているのではない。
内側が反応している。
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山そのものが、何かを“感じている”。
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その夜、源次は初めて帳面を開いた。
先代の記録。
そこには短い一文があった。
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「外の世が揺れる時、内の世も揺れる」
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源次はページを閉じる。
山を見上げる。
黒い影はもう消えていた。
だが確実に、どこかへ向かっている。
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仏生堂神殿。
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その中心へ。
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源次は静かに呟いた。
「黒船が来ただけで、なぜ山が目を覚ます」
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答えはまだない。
しかし、彼は理解していた。
これは始まりだ。
外の世界の変化ではない。
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“内部の何かが動き出した”。
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その夜から、村では小さな異変が増え始める。
誰もいない家で灯りが揺れる。
土の中から声がする。
そして山の奥で、足音が増えていく。
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誰のものでもない足音が。
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(第一話・続く)




