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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第四章:黒船の年、亡霊の山(1853)

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第一話「黒船の報せ」

その日、村は朝から落ち着かなかった。


空が妙に低い。


雲が厚く、光が地面に届かない。


山の稜線は黒く滲んで見えた。



---


「海の向こうから、鉄の船が来たらしい」


そう言ったのは、行商の男だった。


息を切らし、顔は青ざめている。


誰もが最初は冗談だと思った。


鉄でできた船など、ありえない。


しかし男は続けた。


「帆じゃない。煙を吐いて動く船だ」


村人たちの間に静けさが落ちた。



---


それは単なる異国の噂のはずだった。


だがその瞬間から、村の“空気”が変わった。



---


木村源次は、その変化に最初に気づいた一人だった。


石工として山に入ることが多い彼は、地面の“癖”を知っている。


今日は違った。


山が、わずかに“重い”。


踏みしめるたびに、返ってくる感触が鈍い。


まるで地面の下に空洞ではなく、“詰まった何か”があるようだった。



---


「また始まるのか」


源次は独り言のように呟いた。


過去にも似たことがあった。


崩落の前兆。


地鳴り。


人の失踪。


そして、死者の出現。


だが今回は違う。


理由が分からない。


外の世界が変わっただけで、なぜ山が反応する?



---


その夜。


村の外れで異音がした。



---


ゴ……ゴ……



---


木が折れる音ではない。


岩が割れる音でもない。


もっと“内側”から響く音。



---


源次が現場に向かうと、そこには誰もいなかった。


しかし地面に、足跡があった。


一列。


裸足のまま山へ向かっている。



---


「誰だ」


声をかけても返事はない。


ただ足跡だけが続いている。


山の奥へ。


仏生堂神殿の方向へ。



---


その瞬間だった。


風が止まった。



---


完全に。



---


葉の揺れも、虫の声も消えた。


世界から音が抜け落ちる。


源次は本能的に理解した。


これは自然ではない。



---


次の瞬間。


遠くで鐘が鳴った。



---


ゴーン……



---


しかし村の寺ではない。


音は“山の中”から響いている。



---


源次は息を止める。


その音には覚えがあった。


過去の記録に書かれていた音。


死が近いときに鳴る鐘。


いや。


正確には違う。



---


“死が動くときの音”。



---


源次は山の方を見た。


暗闇の中に、何かが立っている。



---


黒い影。


人の形。


しかし輪郭が安定していない。


見ていると形が変わる。


武士のようにも見える。


僧のようにも見える。


ただ一つだけ確かなことがある。



---


それは「生者ではない」。



---


影はゆっくりと歩いていた。


村へ向かっている。


しかし人を見ていない。


見ているのは“地面の下”だった。



---


源次は背中に冷たいものを感じた。


この時代の異変は、外から来ているのではない。


内側が反応している。



---


山そのものが、何かを“感じている”。



---


その夜、源次は初めて帳面を開いた。


先代の記録。


そこには短い一文があった。



---


「外の世が揺れる時、内の世も揺れる」



---


源次はページを閉じる。


山を見上げる。


黒い影はもう消えていた。


だが確実に、どこかへ向かっている。



---


仏生堂神殿。



---


その中心へ。



---


源次は静かに呟いた。


「黒船が来ただけで、なぜ山が目を覚ます」



---


答えはまだない。


しかし、彼は理解していた。


これは始まりだ。


外の世界の変化ではない。



---


“内部の何かが動き出した”。



---


その夜から、村では小さな異変が増え始める。


誰もいない家で灯りが揺れる。


土の中から声がする。


そして山の奥で、足音が増えていく。



---


誰のものでもない足音が。



---


(第一話・続く)

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