二十、不断の誓い
薄紅のスプレー菊、真っ白なデイジー、淡い紫のスターチス。彩りよく束ねた小さな花束を手に車を降りて、二人で青空の下を歩く。
現金なもので、もう片方の手を繋いでさえいれば、冷たい木枯らしも大して気にはならない。
鳴虎はなんとなく傍らの恋人を見上げた。三十センチ弱の身長差と眼鏡のせいで表情は見づらいけれど、鼻の頭が染まっているのはわかる。
思わずふっと浮かんだ笑みが、白い息になって風に溶けた。
「どうかしたか」
「クリスマスも過ぎたのに、鼻真っ赤にしたトナカイがいるなーと思って。ふふ」
「ああまあ、今日は冷えるから。……君は大丈夫か?」
「ん。へーき」
言いながら繋いだ手にきゅっと力を込める。
本当によく晴れていて、並んだ墓石も白く照らされている。霊園なんて普段なかなか来ないし、面白い光景でもないが、この場所にありがちな侘しさが薄らいでいるようで少し安堵した。
あの人は、寂しいのは好きじゃなかったから。
管理事務所に挨拶をしてから、目的の場所へ。
向かう墓碑銘は『飯綱家之墓』――そう、かつて二人を守ってくれた上司が眠る石の家だ。亡くなってからずっと月命日のお参りを欠かさなかったのに、ここ最近は忙しさや個人的な事情で来られなかったから、きっと機嫌が悪いだろう。
だから持参したのは線香と花の他に、お詫びの印として彼が好きだった銘柄のビール缶も添えた。
「ご無沙汰してます、班長。ぜんぜん顔見せなくてごめんなさい。えーっと……ちょっと二人してバツが悪かったというか……」
「……前に一緒に来たのは、それこそ婚約を決めてすぐだったな」
顔を見合わせて苦笑いする。聞けば匡辰も、個人的に墓参りをすることはなかったそうだ。
二人のどうしようもない遠回りを、きっと空の上で飯綱はヤキモキしながら見守っていたことだろう、と思うと申し訳なさが募る。
――ったく心配させやがって、という彼の呆れ混じりの笑顔が目に浮かぶようだ。
手を合わせながら、ゆらゆら躍る線香の煙をしばらく眺めていた。
なんだかそれは消えかけの音念に少しだけ似ている。
もちろん、ここはとても静かで、死者の眠りを妨げる騒音なんてない。あってはならない。
あの偽造音念は、たしかに二人の古傷をこの上なく抉った。
二度と会えない人だからこそ、偽者とわかっていても、心はどこかで懐かしさを覚えて思い出にすがってしまうから。偽りの言葉を本物のそれと錯覚して、不必要な自滅に陥らされてしまった。
ひどい罠だった。けれどそれは同時に、鳴虎たちにとっては都合のいい罰でもあったのではないかと、今は思う。
きっと二人は繋がる前に、共に抱えていた旧い痛みと向き合うことが必要だったのではないか。
「なんか今が一番、飯綱さんと話したいって気持ちが強いかも。……正直ね、時雨も蛍も色々あったし、あたしが二人の班長やってていいのかなって、たまに思います」
「僕も正直、まだ不安がなくなったわけじゃない。……でも、なるべく自分一人で抱えないように努めようと思う」
「あ、それは大事。……じゃあ、あたしも匡辰が無理しないように見張るから、その代わりときどき頼らせてね」
「……ああ」
匡辰は頷いて、前に向き直った。
「彼女を、……いや、僕ら二人で、必ず幸せになります。見守っていてください、班長」
もう一度手を合わせる。二人並んで、ぴったり寄り添って一つになった影が、墓石に柔らかい影を落としていた。
墓標は何も語らない。そこにあるのは温かな静寂で、それが何より二人を励ましてくれる。
かの人はもういない。きっとこの石の下にあるものだって、単なる思い出の残響にすぎない。
だからこそ何度でも思い出す。忘れるべきじゃない。
たとえ癒えることのない傷であったとしても、それを負った互いの魂を、守り繋いでゆくのが生者の義務だ。
空はずっと晴れている。
どこまでも蒼白く透けた天の鏡には、きっと地上の何もかもが映っているだろう。
供え物は持ち帰る規則になっている。死者との語らいを終えた二人がそれらを回収していたところ、互いの端末が同時に鳴った。
つまり個人的な要件ではなく葬憶隊への通報だ。
揃って確認した管理画面には、すでに出動のフラグが表示されている。
「あれ、萩森班じゃない。五来先輩おもしろい采配するわね」
「恐らく場所の都合だろう。現場は長拍区……つまり支部より照廈くんの実家のほうが近いから、一番早く現着できるのは彼と蛍と時雨ということになる。それに中型音念複数に加えて救援要請もあるから照廈班は適さない」
「なるほど。でも珍しくない? あのへんって、なんていうか……要は納琴で一番平和な住宅街でしょ。お金持ちが住んでるとこだし」
「そうだな。……用心してくれ。もちろん、僕もすぐ動けるようにしておくから」
頷きあいながら手早く荷物をまとめて車に戻り、そのまま現場に直行した。
運転を匡辰に任せ、車内で時雨に掛けたところ、やはりワカシの運転で蛍とともに向かっているという。恐らく鳴虎より二人のほうが先に着くだろう。
今回は要救助者ありとの報告なので、現着しだい合流を待たずに突入するよう指示を出した。
やがて異質な空気が車外に満ち始める。道路沿いに立ち並ぶ消防団員の姿は、中流以上の家ばかりが集う閑静な住宅街には不釣り合いだ。
他に近寄ってくる車などありはしないから、彼らはスムーズに鳴虎たちを迎え入れる。
現場の周りをぐるりと覆う防音壁の前には、すでに見覚えのある赤いハッチバックタイプのコンパクトカーと、その脇に佇んで現場入り口を見つめる後輩の姿があった。ワカシは鳴虎たちに気づくと、さっと手を振る。
「二人はもう中ね!? あたしも入るから、あとよろしく!」
「待機は僕が変わろう。ワカシくんは支部に戻ってくれ」
「了解です」
短い会話を背に、鳴虎は祓念刀を抜いて駆け出した。
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