9話 依代 ★
ある日の夜、生温かい風が吹いていた。夏が近いことを示していた。そんな夜道を一人の少女が歩いていた。
闇に溶けるような濡羽色の黒髪を持つ美少女、夜露だった。今は学生が出歩くには遅すぎる時間だった。
夜露はふらふらと、まるで幽鬼のような足取りで歩いていた。その目は曇っており、少しの先も映っていなかった。
夜露はただただどこかに向かって歩き続ける。
そんな夜露の前に二人組の男が立ち塞がった。
「ねぇ、君可愛いね。こんな夜遅くになにしてるの? 危ないよー」
「俺らが安全なとこに連れてってあげようか?」
ヘラヘラと下卑た笑みを浮かべる二人組の男。男たちは夜露の可愛らしい顔とグラビアアイドルのようなスタイルを見て目を付けたのだ。
男たちは下心を隠そうともしない顔をしていた。夜露を上から下まで値踏みするように見て、これからのことに期待をしていた。
普段の夜露ならすぐに逃げ出すか、悲鳴を上げて助けを求めるが、今の夜露は何も反応しなかった。
夜露は男たちなど目に入っていないとばかりに横を通り過ぎようとした。
「あれ、無視? 聞こえなかった?」
「ちょっと待ってよー」
男の片方が夜露の腕を掴んだ。すると夜露はようやく動きを止めた。
「お、肌スベスベじゃん」
男は夜露の玉のような肌の感触に心躍っていた。
「……して」
「ん、何?」
「離して」
夜露は男の腕を振り払った。すると夜露の腕を掴んでいた男が大きく吹き飛んだ。
「うわっ!?」
男は近くの塀に背中を打ち付けた。自分より体躯の大きい男を吹き飛ばすことなど、女子の夜露には不可能なはずだった。
「い、痛ぇ……」
投げ飛ばされた男は呻いた。
「おい、何しやがる!」
片割れが投げ飛ばされたことで、男の片方は夜露に詰め寄る。
夜露は寄って来る男の首を細い指で掴んだ。男はすぐにその手を振り払おうとしたが、出来なかった。
夜露は万力のように強い力で男の首を絞めたからだ。夜露はそのまま男の首を掴んで持ち上げた。
「がっ、ぐっ、うぅ……」
ありえない力だった。片手で、それもひ弱な女子高生が成人男性を持ち上げるなど。男の目は恐怖と苦しさから朦朧としていた。
そして夜露はその男も投げ飛ばした。解放された男は大きく息を吸った。男たちは夜露に恐怖を覚えていた。
「ば、化物だっ!? 逃げろっ!」
男たちは夜露に背中を向けて。一目散に逃げだした。
そして夜露は何事もなかったかのように、また歩き出した。そんな夜露の右腕には痣のようなものが出来ていた。
※
しばらく歩いた夜露は、一軒の家の前で歩みを止めた。そこは誰も住んでいない空き家だった。
夜露は臆せずに扉を開けて中に入っていった。靴も脱がずにそのままリビングを目指した。
夜露が空き家のリビングに着くと、そこには仮面を被って黒いローブを纏った男女が待っていた。
仮面には夜露の右腕にある痣によく似た紋様が刻まれていた。仮面の集団は夜露を歓迎した。
「よくいらっしゃいました、依代様。さぁ、こちらへ」
仮面を被った老婆は夜露のことを依代と呼んだ。
夜露は老婆に手を引かれて、空き家には似つかわしくない綺麗な祭壇の前に案内された。
夜露はそこに用意された椅子に座った。そして仮面の集団は夜露を拝んで、ぶつぶつと何かを唱え始めた。
お経のような、祈りのような、歌のような不思議な言葉だった。仮面の集団は皆必死に唱えていた。まるで何かにすがるようだった。
そんな集団の中で一人だけが異彩を放っていた。一人の男だけが、仮面もせずに後ろから腕を組んで、言葉を唱える様子を見ていた。
その男は盃を持って夜露に近づいた。
「これを飲め」
夜露は男から盃を受け取ると、何の躊躇もなくそれを飲み始めた。夜露がそれを飲み切ると、右腕の痣が広がっていった。
「おぉ、呪印が大きくなった!」
仮面の集団が喜びの声を上げた。仮面の集団は夜露の右腕の痣を呪印と呼んだ。
「この力を我々も頂けるのですね!」
「あぁ、いずれな。まずはこの依代からだ」
男は期待させるような口ぶりで答えた。仮面の集団は呪印が特別な力の証だと思っていた。
「先日は妙薬を入れた団子のおかげで、こちらから目を逸らすことが出来た。準備は佳境だ。センラノミコトの復活は近い」
仮面の集団は歓声を上げた。
「いよいよだ!」
「我々に神秘が宿るのだ!」
「神の実在を証明するのだ!」
仮面の集団は各々が喜びを表した。仮面の集団は自分たちにも特別な力が与えられると思っていた。
「くれぐれもヘマをやらかすなよ」
「はい!」
男は喜ぶ仮面の集団に釘を刺した。仮面の集団は気を引き締めた。
「それじゃあ僕は依代を送って来るから、今日は解散だ」
そう言うと男は夜露を連れて空き家を後にした。男は家を出てしばらく歩いて、周りに夜露以外に誰もいないのを確認してから、にんまりと笑った。
「ふふ、バカな奴らめ。単純というかなんというか。操りやすくて助かるけど」
男は先ほどの仮面の集団を小馬鹿にしていた。
「もう少しだよ、センラ。復活したらめちゃくちゃに暴れてくれよ」
男は期待するように独り言を呟いた。
「さぁ、さっさと帰りな。君が一番重要なんだから、気を付けて帰れよ」
「はい……」
虚ろな声で返事をする夜露。
「そうだ、せっかくだしこれを持っていけ。使えば面白いことになる。最後くらい好きに楽しみな」
男は夜露に何かを持たせた。夜露はそれを握って家に帰っていった。
※
翌朝、目を覚ました夜露は体の疲れを感じていた。体が重く、体調も悪い気がした。
「あんまりぐっすり眠れなかったのかな」
夜露がベッドから出ると、机の上に何かが置かれているのを見つけた。それは昨夜に男から渡されたものだった。
しかし夜露には昨夜の記憶はない。夜露は男に操られていて、その間の記憶が飛んでいるのだ。
「なんだろう、これ?」
机に置かれているのは小瓶だった。中を見ると紫色の液体が入っていた。そして横には使い方の書かれたメモがあった。
「惚れ薬? なにこれ?」
夜露はいつの間にかあった惚れ薬に疑問を持った。しかし朝は時間がないので、いったん無視することにした。
夜露は一回に降りてシャワーを浴びた。
「うわ、また痣が大きくなってる……」
鏡に映る夜露の右腕には大きな痣あった。それは数日前から出来たもので、日に日に大きくなっていた。
その原因が何なのかは、夜露は知らない。
「今日から夏服なのに……。どうやって隠そうかな」
シャワーを終えた夜露は半袖のブラウスに着替えて、痣を見つめた。大きな痣があったら周りの人から心配されるし、見た目も悪い。
夜露は痣を隠しておくことにした。
夜露は日焼け防止用のアームカバーをして痣を隠した。アームカバーは腕をすっぽりと覆うため、痣がしっかりと隠れた。
「よし、しばらくはこれで過ごそう」
夜露は痣が消えるまでこのまま過ごすことを決めた。
そして夜露は朝食を済ませて、自室に戻ってバッグを持ってから学校に向かった。
※
夜露はいつも通り学校で過ごした。舞の目を盗んで火鷹と話して仲を深めて、授業を受けて、放課後になった。
夜露は日直の日誌を書くために教室に残っていた。するとそこに火鷹が現れた。
火鷹は一人で現れた。舞とは一緒ではなかった。舞はここ最近、放課後は忙しそうにしていた。
「火鷹くん! どうしたの? 忘れ物?」
「夜露が俺のことを呼んでるって聞いて来たんだけど」
「え、別に呼んでないよ?」
「あれ、おかしいな……」
火鷹は帰ろうとしたところを、下駄箱で知らない男子に声を掛けられたのだ。
それは昨夜、夜露をエスコートしていた男だった。
『夜露が話があるってさ。呼んでたよ。教室にいるって』
火鷹はまんまと騙されたのだ。
「何にもないなら、俺、帰るよ」
「ま、待って! ちょっとだけ、話そうよ」
「おーけ」
夜露は二人きりで話すチャンスだと思い、火鷹を引き留めた。火鷹は快く話し相手になった。
「来週の体育祭楽しみだね」
「そうだな。まぁ俺は出番少ないから、応援を頑張るよ」
「火鷹くんが出るときは私がいっぱい応援するね」
「ありがとうな」
他愛もない話だった夜露は幸せだった。火鷹と一緒に過ごせるだけで嬉しいのだ。
しかしそれを陰で見ている昨夜の男はつまらなさそうだった。
(もっと攻めろよ! くれてやった惚れ薬を使え! くそ、意気地なしめ!)
男は夜露のじれったい様子にしびれを切らした。男は神通力を使って夜露を操った。夜露の目は暗く曇り、突然上の空になった。
「夜露? どうした?」
火鷹は夜露の気配が変わったことに気付いた。しかしそれが神の力だとは思わなかった。
男に操られた夜露は、なぜかバックに入っていた惚れ薬を取り出した。そして瓶を開けて、中身を火鷹の顔に掛けた。
「うわっ!? 何だ!?」
突然液体を掛けられた火鷹は困惑した。しかしそれはすぐに抗いがたい衝動に押し潰された。
火鷹は夜露から目を離せなくなり、息も全力疾走をした後のように荒くなっていた。
そして男は夜露を操るのをやめた。夜露の目に光が戻った。
夜露は意識が戻ると、目の前のびしょ濡れの火鷹に困惑した。そして自分が持っている小瓶が空になっていることに気付いた。
「うそ!? 私、火鷹くんに掛けちゃったの!?」
夜露は自分がしたことを理解した。しかしなぜそんなことをしてしまったのかはわからなかった。
一瞬意識がなくなったと思ったら、火鷹に惚れ薬を掛けていたのだ。
「火鷹くん、大丈夫!? ごめんね! 私も何が何だか……」
夜露はハンカチを出して、火鷹の顔を拭こうとした。夜露は火鷹に手を伸ばす。その手を火鷹は掴んだ。
「よ、夜露……」
火鷹の目はギラギラとしていた。まるで獲物を見つけた猛獣のようだった。そして火鷹はそのまま夜露を押し倒した。
「きゃ! 火鷹くん!? どうしたの!?」
「夜露、夜露!」
火鷹は夜露の首筋に吸い付いた。
「あんっ!」
夜露は突然の甘い快感に声を出した。火鷹は首筋を強く吸い、そこにキスマークを残した。
「火鷹くん、落ち着いて!」
火鷹は夜露の制止の声を無視する。火鷹は夜露のブラウスを乱暴に開いた。そこにはブラジャーに包まれた豊満な胸があった。
火鷹は露になった夜露の胸を乱暴に揉みしだいた。
「やんっ! あっ、ダメ!」
夜露は胸を揉まれて喘ぎ声を出した。
(このまま、私……っ!)
夜露が覚悟をしたところで、急に火鷹の手が止まった。ギラギラとした目が元に戻り、息も整ってきた。
「あ、あれ、俺、何を……」
惚れ薬の効果が切れたのだ。そして火鷹は冷静になり、自分が夜露を押し倒して胸を揉んでいることに気付いた。
「うわ!? 夜露、本当にごめん!?」
火鷹は飛び上がり、夜露から離れた。
「私は大丈夫。これは私のせいだから気にしないで」
「でも、俺、夜露を襲って……」
「火鷹くんのせいじゃないよ。この惚れ薬のせい」
「惚れ薬?」
「そう、まさか本物だったなんて……」
夜露はブラウスのボタンを締め直した。
「夜露、ごめん! 俺どんな罰でも受けるから!」
火鷹は夜露を無理やり襲ってしまったことに、深い罪悪感を覚えていた。
「なら、このことは私たちだけの秘密にしよ。誰にも話したらダメだから」
「わ、わかった……」
夜露は火鷹に今回のことを秘密にするように言った。これを舞に明かしたら、どんなことが起こるかわからなかったからだ。
そして夜露と火鷹は気まずいまま帰っていった。
その一部始終を見ていた男は驚愕していた。
(おいおい嘘だろ!? なんであんな早く効果が切れるんだ!? 本当に人間か、あいつ?)
惚れ薬は人間なら一日中は発情するもののはずだった。神でもない限り、その効果が早く切れることはありえなかった。
(まぁ面白いものが見れたからいいか。最後に楽しませてやったんだ。あとは依代になってくれよ)
男は夜露に良い思いをさせたことで満足していた。そして男は影の中に消えていった。




