第47話 崩れゆく白亜
「悪い、ビー。ちょっとやりすぎたかも」
シャイナは、暴れる鞭から目を離すことなく言った。軽口は叩いているものの、短剣を握る手に緩みはない。
「悪いと思ってないだろ」
「まぁ、ちょっとイラついてたし?」
——ったく。どうにもならなくなったらどうすんだ。
しかし、収穫はあった。
あいつにはやはり痛覚があると考えていい。
黒い棘がついた大蛇は、シャイナの短剣を警戒してか、こちらを観察するように距離を保ったままだ。
むしろ少し後退している。
以前は誰かが操っていたと思っていた。
だが、あの反応を見る限り、ただの鞭じゃない。
何かの一部なのか?
あとは何に反応している?
音じゃないとしたら、匂いかそれとも——
シャイナも気がついたのか、直感なのか、試すように、短剣を構えたまま一歩近づく。
風に揺られて、炎がゴウッと音を立てた。
鞭は体を一度震わせると、身を翻して後退する。
——何かを避けた?
その時、左手側から壁を削るような轟音が迫ってくる。
振り向けば、別の黒い鞭が外壁を削りながら大きく立ち上がってくる。
まるで黒い昇り竜だ。
さっきのより一回り大きいっ!
「シャイナっ!」
「——わかってる!」
空中で身をひねりながら、鞭はシャイナめがけて一直線に突っ込んでくる。
——今度の標的はシャイナか!
シャイナは大きく床を蹴って空中へ跳び上がった。
直後、黒い鞭が床を削りながら、その足元を通り過ぎる。
空中でシャイナは、炎の短剣を振り上げる。
おそらく落下速度を利用して、叩き斬るつもりだ。
——炎か!
深夜の森で撤退した時も、さっきも。
あいつらは炎を避けている。
そして、今はシャイナを排除しようとしている。
しかし、逆に一撃喰らわせれば——!
闇雲に放てば火事になる。
ここは、一点集中!
すぐさま小ポケットから赤色の魔術球を取り出し、腕をしならせる。
「燃えろっ! 烈火!!」
落下するシャイナの短剣めがけて、投げつける。
シャイナは体勢を変えない。
カチンッ!
魔術球が刃に触れた瞬間、炎が一気に膨れ上がる。
炎の刃が長く伸び、大剣のごとき姿へと変わった。
鞭の先端が、空中のシャイナを探して身を捩る。
シャイナが剣を握る手に力を込めた。
「うおおぉぉ——っ!」
気合いの叫びと共に炎の大剣が振り下ろされる。
肉を焼き切る音が聞こえ、焦げ付いた匂いが鼻をつく。
斬られた先端が大きく跳ねて、体液とともに床に転がった。
残った鞭が大きくのけぞる。
叫び声など聞こえるはずはない。
それでも、苦痛に悶えているように見えた。
着地したシャイナは、こちらに背を向け迎撃態勢を取る。
自分も小ポケットの中から、火属性の魔術球をいくつか手に取る。
チラリと後ろの男の様子を窺う。
この場面で変に飛び出されたら、守れるものも守れなくなる。
「ワシは悪くない、悪くない。いばらのせいだ、ワシじゃない……」
男は自身を抱きしめながら、まだ呟きをやめない。何度も同じ言葉を自分に言い聞かせている。
——いばらのせい?
「ビー!」
鋭い声に、ハッとする。
シャイナの肩越しに空を見れば、黒い鞭がこちらを睨むように、焼き切れた断面を持ち上げていた。
——あれぐらいのダメージじゃ引かないかっ!
他の鞭もまだ動いている。向かってくるのならば、男を連れて退避しなければ。
シャイナが短剣を構え直し、炎を再び燃え上がらせる。
一触即発。
そう思っていた矢先、鞭はくるりと向きを変えた。
他のところに攻め入っていた鞭も次々と撤退していく。
ぎしり。
嫌な音が耳に入る。
見上げれば、白亜の大樹も大きくかしいでいる。
——まずいっ! あまり長くはもたないかもしれない。
「シャイナ、俺たちも戻るぞ」
「らじゃ!」
怯える男をシャイナが背負い、周囲を警戒しながら来た道を戻る。
登るより降りる方が断然早い。
しかし、他に逃げ遅れた者がいないか、注意は怠らない。
最後に白亜の大樹の壁を蹴って、塀をそのまま飛び越え、着地する。
シャイナは人一人を背負っているにも関わらず、少し遅れるぐらいでついてくる。相変わらず、呆れるほどの身体能力の高さだ。
着地したところで、声がかかる。
「ビー君! シャイナ君!」
声のした方に目を向ければ、マーが手を振っている。
その肩にはシオンがおり、ツルギが護衛のように後ろに立っている。
そのまま走り寄って合流する。
マーは安堵の笑顔を浮かべて迎えてくれた。
「お二人とも会えてよかった。怪我はないですか?」
「問題ない」
シオンがきゅーと言いながら、マーの肩からこちらに跳ねてきたので受け止める。器用に腕を登って肩にちょこんと座って、顔をすり付けてくる。
シャイナはしゃがんで、背中におぶった中年の男を慎重に降ろした。
「オレたちは大丈夫なんだけど、この人見てやって」
男はまだ現状を理解しきれていないようだった。つぶやくのはやめたようだが、あたりをきょろきょろと見回している。
マーが頷き、男の前に跪く。
「……外傷は、ないようですね。ここまでくれば安全ですよ。少し脈を診させていくださいね」
マーが男の手を取り、脈を診ようとした。
だが何を思ったか、男は急にその手を乱暴に払う。
「な、なんじゃ、貴様は! 勝手に触るでないっ」
正気を取り戻したかと思ったら、これか。
マーへの態度に、こちらが先に苛立ちを覚えた。シャイナもツルギも、男を見る視線が鋭くなる。
一方マーはというと、特に気にする様子もなく、冷静に状況を伝えた。
「失礼しました。私は治癒を専門にしています。外傷はないようでしたので、少し脈の様子を確かめさせていただこうと思いました。どこか痛む箇所はありますか?」
「わ、ワシは問題ないわっ! どこの誰ともわからぬ輩に診てもらわんでもよい。誰か、誰かおらんか! ヴァルデはここだぞ!」
最初に会った時も思ったが、こいつは何様なのか。
これ以上マーに対する暴言を吐こうものなら、誰も黙ってはいないだろう。
そのタイミングで、慣れた声が降ってくる。
「お、ここにおったんか」
近くの屋根からコウが跳躍してくる。
座り込んでいる中年の男を見た途端、顔を顰める。
「騒がし思たら、コイツかい」
「上の方の部屋にまだ残ってた」
「ああ、坊主たちが助けたんか」
少しすると、霧の奥から小間使いと思われる男女が「ヴァルデ様」と走ってくる。
ヴァルデは二人を見るなり、ほっとしたように肩の力を抜いた。
あとは任せとけばいいだろう。
男女二人に支えられ、ヴァルデが去ろうとした時、コウがその背中に告げた。
「長には連絡しといたったで。そのうち話聞かれるんちゃうか」
小長ヴァルデの肩が大きく震えた。
振り返ってコウを睨む。
しかし、その額には脂汗が浮かび、握りしめた拳は白くなっていた。
大きく舌打ちすると、ヴァルデは小間使いたちに偉そうに命令しながら足早に去っていく。
「コウ、あいつなんかしたのか?」
「ん? ああ……」
コウが言いかけた時だった。
後ろで耳を引っ掻くような音が響く。
バキバキッ——!
乾いた破砕音が空気を震わせた。
「倒れんでっ!!」
コウの叫びに振り返る。
大樹が大きく傾いでいる。
えぐれた箇所から上部が折れようとしているのだ。
周囲の人々は逃げ出すことも忘れて、それを見上げていた。
はじめはゆっくりと倒れていく。
だが、次の瞬間。
巨大な幹の上部が、一気に崩れ落ちた。
すさまじい轟音が周囲を震わせる。
粉塵と木屑が、霧を巻き込みながら一気に押し寄せる。
反射的に身を屈めた。
シャイナの腕が伸び、肩にいるシオンごと、頭を抱え込まれる。
やがて、舞い上がった粉塵の向こうに朝日が差し込んだ。
シャイナの腕の隙間から、倒れた大樹を見た。
その奥に、黒い鞭が蠢いている。
——まだ、いたのかっ。
シオンにも見えたのか、息を呑む音が耳元で聞こえた。
「……れいちゃま……」
——え?
「大精霊ちゃま!」
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