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エクリプス ―月蝕の二人―  作者: 灰色 ウサギ
第2章 想い出人の郷
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第45話 襲撃地点

 先を行くコウは、まだ速度を抑えているようだった。

 その絶妙な手加減に少しイラつく。 

 シャイナも難なくついてきている。

 

 何かが砕ける音と空気を切り裂くような轟音が断続的に響く。

 心臓のざわめきが強くなる。


 それは、怖いと思うより、何かをしなければという焦りを生む。

 誰かの悲鳴や泣き声を聞くたびに、心が深く抉られる。

 昔からそうだ。

 傷つくのは自分でいい。


 そんな考えを読み取ったかのように、地面を力強く蹴りながらシャイナが声を投げてくる。


「ビー、一人で無茶すんなよ」

「頭には入ってる」

「行動も!」

「……善処する」


 チラリと見ただけだが、シャイナは眉を寄せて不満げだ。わかってはいるが、咄嗟にそうできるか確証が持てない。


 視界は薄い霧で覆われ、点在する町中の明かりが道標になる。

 次第に、家の外で様子を窺う人や、荷物を抱えて逃げる人も見かけるようになる。


 人が増えてきて道を走るのは難しくなった。

 民家の屋根や頭上にかかる橋、白亜の木々を利用して、現地を目指す。


 こうした事態に慣れているのだろう。

 救援に向かう者や、住民の避難誘導にあたる者の姿も見える。

 

 地響きと空気の振動が内臓にも届き始める。

 近い。


 霧の向こうから、土煙が流れてくる。

 同時に湿った土や砕けた木の臭いが鼻につく。


「チイッ、嫌な場所やなぁ。ここ抜けた先やで」


 コウは何か思うところがあるようだったが、尋ねる前にそれが見えた。


 開けた道の先。

 霧の中に異様な光景が広がる。


 人々はただ茫然とそれを見ていた。

 

 リタホームの象徴である白亜の大樹。その幹を利用した巨大な家には、今はまだ明かりが灯っている。

 しかし、その家は無惨にも破壊され続けていた。

 ところどころひしゃげて、幹の部分ははがされ、内部が露出している箇所さえもある。


 霧の中で太くしなる何かがうなりをあげる。

 次の瞬間、巨大な鞭が幹を打った。鋭い棘が深々と食い込み、窓やドアもろとも、木片が勢いよく弾き飛ぶ。

 その破片の一部が降り注ぐと、近くで悲鳴や嘆くような声が上がる。


 民家の屋根に立ち、眼下で立ち尽くす人々と同じように、その光景を見つめた。

 思わず言葉を失う。

 周囲の悲鳴に混じって、シャイナの乾いた声が漏れ出る。


「……なんだ、あれ?」

「はっ、あの夜の本体っちゅーことか?」


 軽口を叩くコウにも、焦りが滲んでいた。


 不気味な光景に、息を呑む。

 森の奥から、黒い巨大な蛇が何匹も蠢いているようだった。

 あの夜に遭遇した鞭がかわいく思えるほど、それは何十倍もの大きさと長さがあった。人など一瞬で叩き潰されるだろう。

 ここから見える範囲でも五、六匹は動いていた。

 

 みしみしと鈍い音が空気を振るわせる。

 巨大な黒い鞭は木に巻きつく。他の場所では、別の一本が大きく振り下ろされる。

 バキバキっという無残な破壊音とともに、また白亜の大樹が欠ける。

 奥から助けを求める声が途絶えた。


 ここで見ているだけでは埒があかない。


「行くぞ」

「ちょい待ち、坊」

「なんだっ」

 

 足を止められて、思わず苛立ちが混じる。

 左腰に収めている黄金銃をコウが指差した。


「その武器、人前で使うんはやめとき」


 一瞬意味がわからなかった。


「……は? お前に指図されるいわれはないぞ」

「人助けしたいんやろ。その武器使こたら、それどころやなくなるで」

「どういう意味だ」

「そのまんまや。理由はあとで教えたる。今は聞け。シャナ坊の炎の剣は使っても、問題ないやろ」

 

 納得はいかないが、今は議論している暇はない。

 それに今の声色は、からかうような軽い調子ではなかった。

 黙ったのを了承の意味にとったのか、コウは続ける。


「ワイは左方向から周囲を見ながら動く。坊たちは、二人なら右から行けるやろ」


 シャイナと顔を見合わせ、頷く。

 コウが屋根を蹴って、先に駆けた。

 自分たちも逆方向から大樹へ向かう。


 右手側から回り込みながら、襲撃者の様子を確認する。

 その巨大な鞭は大樹の裏の森から出てきていた。全体は黒い。太さは大の男の腰回りくらいはある。

 表面には、鋭い棘がびっしり付いている。

 掠っただけでも致命傷だ。


 並走するシャイナに呼びかける。


「シャイナ、今はあれと戦おうとするな」

「なんで?」

「前回と同じなら、あれにはたぶん痛覚がある。でかい分、仕留めきれなかった時に逆上して襲ってくるかもしれん。所かまわず暴れられると、こっちが不利だ」

「わかった!」


 巨大な鞭が来ていないことを確かめつつ、大樹への侵入を試みようとした時だった。

 その大樹のすぐ隣の民家の脇に、うずくまる小さな塊が見えた。


「シャイナっ!」

 

 一声かけ、次の瞬間には、足が勝手にそちらへ向いていた。


 家の脇で小さく身を縮めていたのは子どもだった。頭や体には、砂や木屑がついたままだ。

 膝を抱え、顔を伏せたまま、小さな肩を震わせている。


 しゃがみ込んで、できるだけ優しく声をかける。


「大丈夫か? 怪我、してないか?」


 シャイナも子どもの隣に片膝をつき、髪や体から汚れをそっと払う。


「もう、平気だよ」


 おずおずと上げた顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。小さなクマのぬいぐるみをギュッと強く抱きしめている。


「怖かったろ? もう大丈夫だ」

 

 背後でまた何かが裂ける音がした。

 小さな肩がびくりと跳ねる。

 子どもはまた大粒の涙をこぼして泣き始め、ママ、パパと小さくつぶやく。

 震える体をそっと抱き上げてやると、小さく頷いた。


「ビー、こっち!」

「ああ」


 その家を背にして、砂煙の来ない風上の方へと移動する。


 走り去りながらも思う。

 この子のうずくまっていた場所は、襲撃を受けている大樹のすぐ隣だ。暴れる鞭にあたってもおかしくない位置だった。

 しかし、その民家が崩れた様子はなかった。

 それは幸運で片付けて良いものか。


 目的の場所だけを攻撃している?

 意思が、ある?


 大樹から離れ、他の住民や旅人たちがいる場所までくる。

 駆けこんできたこちらに驚いたのか、その人垣がわずかに後退する。


 この子の両親はいるのか。

 もしくは知り合いでも見つかれば……。


 ざわつきが聞こえる中、周囲を見渡し、子どもを下ろせる場所を探す。すると、二人の大人が人をかき分け、慌てた様子で抜け出てくる。


「ニコっ!!」

「——ママ!! パパっ!」


 呼ばれた子どもは、二人の顔を見ると、そのまま必死に手を伸ばした。

 落ちないように支え、喜びでくしゃっとなった顔の母親に子どもを引き渡す。

 母親はニコの名前を何度も呼びながら、ぎゅうっと抱きしめた。父親も二人をまとめて腕の中に抱き寄せた。


 安堵のため息が漏れた。

 その光景がとても眩しく、少し羨ましくも見えた。


 やがて、父親が「ありがとうございます!」と頭を下げた。続けて母親も子どもを強く抱きしめたまま、声を出さずにこちらに深々と礼をした。


「無事ならいい。行こう、シャイナ」

「……うん」

 

 背中に父親の呼びかけが聞こえてきたが、そのまま大樹の方へと踵を返す。シャイナが親子を少しだけ眺めてから、後についてくる。

 

 何を思ったのか、シャイナがすぐ隣を走りながらつぶやく。


「ビーがいなくなったら、オレが探しに行くよ」

「……なんだそれ」


 再び破砕音が響く。風に乗って飛んできた木くずを、片手で払った。

 シャイナは大樹の方を気にしながらも、話し続ける。


「じいちゃんたちはあんまり動けないだろ。それに、ビーが行くとこはオレがわかるから」

「……じゃあ、お前がいなくなったら、俺が探すのか」

「探してくれる?」

「……状況による」


 シャイナの少しだけ悲しそうな、小さなため息が聞こえた。

 そのまま黙っているとよくない気がして、付け加えるように言った。

 

「お前は……、探される前に俺を見つけるだろ」


 一瞬だけ視線を向けると、シャイナは目を見開いた。そして、すぐに嬉しそうに笑う。


「……あながち間違いじゃないかも」

「バカ言ってないで、大樹の中に行くぞ。あの生き物には、たぶん意思がある」

「え、厄介?」

「かもな」


 大樹が目の前に迫る。

 垣根を跳び上がり、大樹の手前側に突き出したベランダへと着地する。

 そのまま、巨大な鞭が猛威を振るう上層を目指した。

<<毎週水曜・土曜日 16:50更新予定>>



次回更新予定 2026年10月31日(土)

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