第43話 人の業
ちょっと長いかもしれません。
「やっぱ、倉庫はもぬけの殻やな」
コウの声が暗闇に吸い込まれる。
ここは、例の薬草を一括管理している倉庫だ。
倉庫内に物はなく、ただ空洞になった広い空間だけがあった。
天井近くにある空調用の窓からは、月明かりが点々と落ちている。
腰に手を当て、そこに今一人で立っている。
時刻は真夜中。
月明かりが穏やかに注ぐリタホーム。
昼間の不穏さと違って、虫の音色や小川のせせらぎがはっきり聞こえる。
生意気な坊主たちとその保護者とともに夕食を済ませた後、飲んでくるとか適当な理由をつけて外出した。普段身につけている装飾類を外し、服装も簡素なものに替えてある。そうして、昼間目をつけていた倉庫の物陰で従業員たちが帰るのを見送って、今に至る。
守るべき物がないからなのか、平時からそうなのか、見張りや警備もいなかった。
——こっちとしてはやりやすいんやけど、逆に怪しなるわ。
がらんとした倉庫を、念のため端の方まで見回っていると、不意に扉が開いた。
誰かが音もなく入ってくる。
動揺はしなかった。
「帳簿」
ツルギの短い言葉が落ちる。
長年連れ添った相棒には事務所側の捜索を頼んでいた。
「お、手際ええやん」
手渡された分厚い帳簿をめくり、月明かりに照らしながら中身に目を通していく。帳簿から目を離さず、ツルギに尋ねた。
「他に何かあったか?」
「不用心」
「……まあなあ。もともと警備してないんか、悪人なんぞおらんっちゅー精神なんか。それとも、他の理由なんか……。断定できひんな」
遡って帳簿を見ていく。
かつて薬草は定期的に供給され、問題なく流通していたことがわかる。この倉庫にもかなりの在庫量が置かれていて、十分需要に見合っていたと思われた。
それが数ヶ月前から、時折入荷が途絶えるようになっていた。最初は在庫でまかなえていただろうが、徐々に入荷量は減っていく。直近では供給自体がかなり不安定になり、最後に入荷があったのは半月も前だった。その数もわずかだ。
そして、薬草を出荷する先にも目がいった。
最初は数多くの商会や店名が並んでいるが、供給量に比例して減っていく。
「ん?」
帳簿の最初の方から、かなりの量を出荷していた先が、途中から消えていた。
他の店の倍は卸していたにもかかわらずだ。
入荷量が減ったとしても、商売の関係上、大口先は優先されることの方が多い。
「一番でかい商会の名前がないな……。確かこの店は数店舗あって、結構大きな店やったはずや」
昨日と今日で、リタホーム内にある薬草を取り扱っている店は一通り把握していた。
「ふぅん、見に行く価値はあるか。一個くさい先があるわ」
ツルギが短く頷く。
パタンと帳簿を閉じる音が響いた。
「商会のオーナー務めとる、この町の小長ヴァルデいう奴んとこやな」
こちらが言い出す前に、ツルギは外へと歩き始めていた。
◇◇◇◇◇
リタホームの統治制度は少し変わっている。代々大精霊と契約を交わす長を頂点とし、町の管理は主に三人の各小長が担っているという。
今訪れているのは、その小長の一人ヴァルデの家だった。
その家は、白亜の大きな木の一つだった。
周囲は静かなのに、あの家だけ煌々と灯りがつき、人の出入りもある。時折風に乗って笑い声さえ耳に届く。
「なんや、夜中なんにえらい賑やかやな。楽しい宴会でもやっとるっぽいなぁ」
「好機」
「ああ、ちょい覗いてみよか」
音もなく、屋根へ上り、枝を足場にして上階を目指す。警備の目が外れた瞬間を見定め、ベランダへと瞬時に飛び移る。警備もいることにはいるが、大したものではない。奥への侵入も容易そうだ。
人気のないベランダを選んで、幹のでっぱりや出窓を使い、さらに上のベランダへと跳んで渡り歩く。
ベランダにある窓から、屋敷内の様子を確認する。
廊下を足早に歩く使用人や、飲んだくれている警備兵がいる部屋を通り過ぎた。
——働いとる奴はあわただしいな。
あとあの飲んだくれの中に……。
「倉庫の従業員」
「お前も覚えとったか」
そう、薬草の保管庫にいた従業員の一人だ。
薬草の保管庫は、森との橋渡しを担う長の管轄のはずだ。
小長の家の者が手助けに行っているのか、それとも……。
さらに進むと、ひときわ大きな笑い声が漏れ出ていたベランダに到着する。
ツルギと目を合わせ、揃って身をかがめる。
室内から笑い声が上がった隙に、慎重に中を覗き込んだ。
部屋の中には、数人の中年男性たちが酒を酌み交わしていた。
一番奥の豪華な椅子に、ふんぞり返って座る男がいる。他の男たちに比べて、身なりが良い。鼻の下の髭は綺麗に整えられ、外から見ても肌触りのよさそうな白いローブを纏っている。
その前に置かれた長机の周囲に、三人の男たちが座っている。
白髪頭の老人、短髪の中年男性、正装できっちりネクタイを締めた比較的若い男。
いずれも何かを成そうと野心に燃えた目つきをしていた。
短髪の男が話しだす。
「いや、ヴァルデ小長殿のおかげでうまくいきそうだ」
「許可証発行の件から、今回の薬草についても、外から高額交渉依頼が続々と来ています」
若い男が口添えすると、白いローブの男ヴァルデ小長は満足そうに頷いた。
「そうだろう。本来そうあるべきなのだ。何が共存だ。精霊を気にして商売も自由にできんとは、まったく長は腑抜けよ。我らが価値あるものに変えてやったというのに」
「おっしゃる通り!」
白髪の老人が手を叩いて、ヴァルデ小長を称賛する。
それに気をよくしたのか、小長は下卑た笑いを浮かべる。
「あの先代の七光りが、偉そうに。ただ受け継ぐだけのボンクラには任せておけんわ」
「本当にあんたの話に乗ってよかったぜ」
それぞれ手に持っていた杯を高らかに重ね合う。
若い男がまた言った。
「今のセディリオ長には降りていただきましょう」
「うむ。他の小長には儂が説得すれば、どうとでもなる」
「我々も心強いですな」
短髪男の高らかな笑いが部屋に響く。
老人がふと思いついたように口にする。
「ちなみにですが、先日の宿屋の火事は……?」
「あれは知らん。宿屋側の不始末だろう。しかし、運が巡ってきたものよ。火事のおかげで事態の収拾にセディリオはてんてこ舞い、こちらのことまで気にする余裕は無かろう」
「これも時の運というやつですかね」
一番若い男が口元を吊り上げる。
話を一通り聞いていたコウは小さくごちた。
「なんや、小さいなぁ」
「乗っ取り」
「まあ、あの様子やと倉庫側の人間も懐柔されとるんやろな」
不意にツルギの視線は室内へ向いた。
「——っ!」
人差し指を口に当て、ツルギが素早く目線で上を示す。
即座に身を跳ね上げた。
すぐさまツルギも続く。
窓枠の上の出っ張りに息を潜めた。
その直後、先ほどまで潜んでいた窓が内側から開け放たれた。
「ふー、涼しい」
若い男が外気を吸い込む。
おそらく酒が回り、暑くなったのだろう。
しばらくそうしていたが、火照りが冷めたのか、若い男は再び室内へと戻り、またありもしない今後の構想について欲を曝け出していた。
これ以上聞く必要はないと判断し、出窓の上とベランダを利用し、下へと移動する。
「値段の釣り上げ、利益の独占。あのおっさんたちには、ここが金銀財宝にしか見えへんねんやろな」
「……」
胸の底に隠してある冷えた感情が蘇る。
「……結局、人の業かいな」
その声は、空気より重く沈んだ。
ツルギは、リタホームの奥へと視線を送った。
「長」
「一応行ってみよか。ボンクラな長に会いにな」
◇◇◇◇◇
長の家は、おそらくこの町で一番大きな大樹の家だった。
古き良き森の入口かのように、森のすぐそばにどっしりと構えていた。
こちらは先ほどの小長の家と違って、静かだった。
部屋の明かりは消えており、ベランダやドアに取り付けられた小さなランプがところどころを照らしている程度だった。
「また、こりゃでかいわ」
物陰から様子を窺っていたが、思わず口から感嘆の声が漏れる。
「長の家だけあってでかい分、静かやと妙な存在感あんな」
「見張り」
「ん、ああ。二人くらいか。変なんおるな」
それは警備兵とは違っていた。
警備兵であれば堂々と表で待機していればいい。
その見張りは、こちらと同じように影に潜み、屋敷の状況を窺っているようだった。
おそらくはヴァルデの手先だろう。
「今は無視しといてもええやろ」
「同意」
「さ、中に忍び込んだ方が早いか……」
「灯り」
ツルギが一つだけ明かりが灯っている部屋を指さす。
互いに頷き合い、先ほどと同じように、ベランダや木の出っ張りなどを利用して、目的の部屋に着く。
こちらには警備もいない。
余計に静寂が目立った。
それは、灯り採りの小さな窓だった。
中を除くと、壁一面にびっしりと本棚が並び、隙間なく書物が入っている。
その真ん中の執務机に、頭を抱えながら、必死に書類に向かっている男性が見えた。肩より少し伸びた髪はほとんどが白髪になっており、元の髪色が薄い栗色だと、よく目を凝らさないとがわからないほどだった。
癖のあるうねった髪を搔きむしり、時折深いため息とともに天を仰ぐ。
その眉間には深いしわが刻まれ、疲労が積み重なっているようだった。
「こっちはこっちで、えらいお疲れやな」
「……」
——ボンクラ、なぁ。
少なくとも、何もせずに馬鹿みたいに自身の地位に胡坐をかいている人間には見えない。
「夜明け」
「あぁ、そろそろ帰ろか。先生たちには明日言うといた方がええやろ」
ツルギは小さく頷くと、踵を返した。
あっという間に降りていく。
長の家の向こうにある、古き良き森が目に入った。
空の端がわずかに光を帯びつつあるが、森はまだ暗く奥までは見通せない。
——なんやろな。
一陣の風がごうっと唸って、耳元にぶつかった。
夜明けが近いというのに、背筋を冷たいものが這う。
それを振り払うように、帰路についた。




