第30話 二人組
目の前の霧が朝陽を浴びたかのように橙に染まる。肌を撫でる空気が一気に熱をもつ。
「うおぉぉぉっ!!」
幾筋もの炎の軌跡が霧の中を駆け抜ける。
自分を追い込もうとしていた棘の檻が、次々と焼き切れていく。
灰が舞い、熱で揺らぐ空気の向こうに、強い輝きを持つ太陽色の眼差しがこちらを射抜いた。
内側のざわめきが急に収まる。
「シャイナ!」
「ビー! ごめん、遅くなった!」
「問題ない。傷は?」
「ばっちし」
「よし」
短く返して、周囲の警戒に戻る。示し合わせたように、シャイナが自分の後ろについた。互いに背中を合わせ、霧の動きと、次に来る殺気を探る。
シャイナは傷を庇うそぶりも、動きの鈍りもなかった。無理やり戻ってきたわけではなさそうだ。
息を吐くと、体から強張りが抜けた気がする。
霧の奥で、弱々しく地面を這う音が遠ざかっていく。
心なしか周囲の霧が薄まってきている。それに呼応するように闇の獣たちの気配も後退していく。
「……なんか、どっか行った?」
「……そうみたいだな」
気配が完全に遠のき、追えなくなったところで二人とも構えを解いた。
理由は釈然としない。あれだけ執拗に襲ってきた割にあっさり引いた。霧も魔獣も申し合わせたように。こちらの攻撃を立て続けに受けたせいか、それとも……。
考え込んでいると、不意に左頬に手が触れる。
シャイナが辛そうな顔をして、傷から頬へ流れ、固まりかけた血を親指でそっと拭う。
「悪い、一人にした」
「それは仕方ない。俺が戻れと言った。あと、お前がちゃんと情報をくれたから対処できたぞ」
「ほんと?」
「ああ」
じっと睨むように見つめられる。
傷以外にも気になる部分があるのか、先程までの申し訳なさそうな空気が変わり、なんだかまずい気がする。
「さっき、棘に囲まれてた時、痛いのは我慢すればいいとか思ってなかった?」
思わず視線を逸らす。
よくわかっている。でも、あの時はそうする以外になかった気がする。
「無茶はしてない」
「やっぱり。それが無茶なんだって」
「どうしようもなかった」
「そうかもしれないけど!」
再びシャイナを真正面から見据える。
「だから、お前が戻ってきてくれてよかった」
シャイナが太陽色の瞳を大きく見開き、ゆっくりと瞬きした。深いため息と共に呆れたような顔をするが、すぐにいつもの優しい瞳に戻る。
「…………そういうこと、あっさり言うんだもんな」
事実を伝えただけだが、どうやら機嫌は直ったらしい。
「いなかったら、今ごろ全身穴だらけだった」
「怖いこと言うなよ!」
今度は青ざめた。喜怒哀楽がわかりやすい。
わずかに頬が緩む。
シャイナといつもの調子で会話をしていると、肩に剣を担いだ赤毛が心底つまらなそうに口を挟んだ。
「……坊主が二人かいな。こういう時は美女が一人くらいおるんが定番やろ」
「あ?」
こめかみがぴくりと引きつる。
シャイナが庇うように少し前に出た。
「誰だ!?」
赤毛から目を逸らさずに、シャイナが声を潜めて話しかけてくる。
「アイツ、何かしてきた?」
「いや、一応助けられはした」
「……なんか嫌なことでも言われた?」
「大いに」
シャイナ相手に隠しておいても、どうせバレる。
赤毛は変わった形の剣を腰の鞘に収めると、シャイナと自分を交互に見て、ニヤリと笑う。
「坊主ども、思てたよりやるやん。ガキくさいのは変わらんけど」
こんな奴の手を借りたかと思うと、自分にも怒りが湧く。
「誰がガキだ、赤毛」
「はぁ? 助けてやらんかったらやばかったやろ」
「頼んでない」
赤毛の眉がぴくりと跳ね、先程までの軽さが消える。
一切引かないつもりで睨み返す。
「生意気やな、くそ坊主」
「坊主じゃねぇ。黙れ、赤派手」
「わざわざ来てやったんやけど?」
「お前が勝手にしたことだ」
「ちょっ、ビー! ケンカしない」
シャイナが慌てて左手を押さえにくる。すでに銃の引き金には指をかけている。
「まだ撃ってない」
「撃つ気じゃん!」
「当てなきゃいいだろ」
「こらこらこらこら!」
赤毛は静かに重心を変えた。
「ええ度胸や」
一触即発の空気の中、草むらを恐る恐る進む足音が近づいてくる。
霧が薄まる中、視界の端にマーが映る。不安げな顔をして、シオンを抱えていた。
「エチルス!」
シャイナが声をかけると、マーはほっと肩の力を抜いて、こちらへ足早にやってくる。
マーが来たことで、赤毛も苛立ちを抑えたようだ。こちらもケンカにかまけている場合ではない。これ見よがしに顔を背けてやる。
「お二人とも! よかった、無事でしたか」
「あぁ、問題——」
「あるだろ。そんだけ傷があるんだから、ビーは後でちゃんと見てもらうこと」
問題ないと答える前に、シャイナに遮られる。確かにいくつか深めの傷がある。意地を張れば怒られるだけだ。
「……分かった」
「ん」
シオンがきゅっと鳴いて、マーの腕から胸元に飛び込んでくる。
痛みに体が軋んだが、そのまま抱き止めた。
腕の中のシオンを優しく撫でると、まだ震えている。結界内にいたとはいえ、怖い思いをさせたのだろう。
赤毛を無視していると、わざとらしいため息を挟んでくる。片手を腰に当て、めんどくさそうに言い放つ。
「なぁ、そっちに無表情なやつ、おったやろ」
「え、やっぱ、さっき助けてくれた人の仲間?」
最初に反応したのはシャイナだ。その声は好意的な響きを持っている。視線を投げると、マーも頷く。
「あいつ、何も言うとらんのか? ——ったく、ツルギー! お前もこっち来いかい」
赤毛がマーたちが来た方向へと声をかける。すぐそばまで来ていたのだろう、土を重く踏みしめる音がして、宵闇を纏ったような美丈夫が現れる。
背筋はすっと伸びている。鍛え抜かれた体格でありながら、その所作はやけに優雅だ。
高い位置でひとつに結んだ蒼黒の髪が揺れる。その顔には何の感情も浮かんでいないように見えた。口を真一文字に結び、深い藍色の瞳でじっとこちらを観察している。
シャイナがその視線を遮るように、僅かに位置を変える。前を向いたまま、こちらにしか聞こえないように囁く。
「結界で治療してる間、守ってくれてたんだ。多分悪い人じゃない」
こちらの腹立たしい男とはだいぶ性格が違うらしい。
赤毛が盛大にため息をつく。
「何か喋らんかい」
「……」
男は赤毛のそばまで行くが、足を止めることなく歩き去っていく。
通り過ぎざまに「帰路」と低い声が落ちた。
「帰るんか? まあ、ええか」
赤毛がこちらにずいっと顔を寄せ、自分とシャイナを交互に見ると、口の端をわずかに上げる。そのままさっと顔を引くと、「ほなな」と踵を返して蒼黒の男の後を追った。
後には再び夜の静けさが戻った。
殺伐とした空気はもうない。
シャイナが珍しく両腕を組んで、寒さを払うような仕草をする。
「なんか、今内側まで見られたような気がする」
「気味が悪い」
「ちょっとね。怖いような、でもすごい人たちだったかも」
「あと、アイツむかつく」
「だからって撃っちゃダメだって」
「未遂だ」
立ち去る前の赤毛の最後の視線。
一瞬のことだった。それなのに、心の奥まで探られたような感覚がいつまでも消えなかった。




