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エクリプス ―月蝕の二人―  作者: 灰色 ウサギ
第2章 想い出人の郷
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第30話 二人組

 目の前の霧が朝陽を浴びたかのように橙に染まる。肌を撫でる空気が一気に熱をもつ。


「うおぉぉぉっ!!」


 幾筋もの炎の軌跡が霧の中を駆け抜ける。

 自分を追い込もうとしていた棘の檻が、次々と焼き切れていく。


 灰が舞い、熱で揺らぐ空気の向こうに、強い輝きを持つ太陽色の眼差しがこちらを射抜いた。

 内側のざわめきが急に収まる。


「シャイナ!」

「ビー! ごめん、遅くなった!」

「問題ない。傷は?」

「ばっちし」

「よし」


 短く返して、周囲の警戒に戻る。示し合わせたように、シャイナが自分の後ろについた。互いに背中を合わせ、霧の動きと、次に来る殺気を探る。


 シャイナは傷を庇うそぶりも、動きの鈍りもなかった。無理やり戻ってきたわけではなさそうだ。

 息を吐くと、体から強張りが抜けた気がする。


 霧の奥で、弱々しく地面を這う音が遠ざかっていく。

 心なしか周囲の霧が薄まってきている。それに呼応するように闇の獣たちの気配も後退していく。


「……なんか、どっか行った?」

「……そうみたいだな」


 気配が完全に遠のき、追えなくなったところで二人とも構えを解いた。

 理由は釈然としない。あれだけ執拗に襲ってきた割にあっさり引いた。霧も魔獣も申し合わせたように。こちらの攻撃を立て続けに受けたせいか、それとも……。


 考え込んでいると、不意に左頬に手が触れる。

 シャイナが辛そうな顔をして、傷から頬へ流れ、固まりかけた血を親指でそっと拭う。


「悪い、一人にした」

「それは仕方ない。俺が戻れと言った。あと、お前がちゃんと情報をくれたから対処できたぞ」

「ほんと?」

「ああ」


 じっと睨むように見つめられる。

 傷以外にも気になる部分があるのか、先程までの申し訳なさそうな空気が変わり、なんだかまずい気がする。


「さっき、棘に囲まれてた時、痛いのは我慢すればいいとか思ってなかった?」


 思わず視線を逸らす。

 よくわかっている。でも、あの時はそうする以外になかった気がする。


「無茶はしてない」

「やっぱり。それが無茶なんだって」

「どうしようもなかった」

「そうかもしれないけど!」


 再びシャイナを真正面から見据える。


「だから、お前が戻ってきてくれてよかった」


 シャイナが太陽色の瞳を大きく見開き、ゆっくりと瞬きした。深いため息と共に呆れたような顔をするが、すぐにいつもの優しい瞳に戻る。

 

「…………そういうこと、あっさり言うんだもんな」


 事実を伝えただけだが、どうやら機嫌は直ったらしい。


「いなかったら、今ごろ全身穴だらけだった」

「怖いこと言うなよ!」


 今度は青ざめた。喜怒哀楽がわかりやすい。

 わずかに頬が緩む。


 シャイナといつもの調子で会話をしていると、肩に剣を担いだ赤毛が心底つまらなそうに口を挟んだ。


「……坊主が二人かいな。こういう時は美女が一人くらいおるんが定番やろ」

「あ?」

 

 こめかみがぴくりと引きつる。

 シャイナが庇うように少し前に出た。


「誰だ!?」


 赤毛から目を逸らさずに、シャイナが声を潜めて話しかけてくる。


「アイツ、何かしてきた?」

「いや、一応助けられはした」

「……なんか嫌なことでも言われた?」

「大いに」


 シャイナ相手に隠しておいても、どうせバレる。

 赤毛は変わった形の剣を腰の鞘に収めると、シャイナと自分を交互に見て、ニヤリと笑う。


「坊主ども、思てたよりやるやん。ガキくさいのは変わらんけど」


 こんな奴の手を借りたかと思うと、自分にも怒りが湧く。


「誰がガキだ、赤毛」

「はぁ? 助けてやらんかったらやばかったやろ」

「頼んでない」


 赤毛の眉がぴくりと跳ね、先程までの軽さが消える。

 一切引かないつもりで睨み返す。


「生意気やな、くそ坊主」

「坊主じゃねぇ。黙れ、赤派手」

「わざわざ来てやったんやけど?」

「お前が勝手にしたことだ」

「ちょっ、ビー! ケンカしない」


 シャイナが慌てて左手を押さえにくる。すでに銃の引き金には指をかけている。


「まだ撃ってない」

「撃つ気じゃん!」

「当てなきゃいいだろ」

「こらこらこらこら!」


 赤毛は静かに重心を変えた。


「ええ度胸や」


 一触即発の空気の中、草むらを恐る恐る進む足音が近づいてくる。

 霧が薄まる中、視界の端にマーが映る。不安げな顔をして、シオンを抱えていた。


「エチルス!」


 シャイナが声をかけると、マーはほっと肩の力を抜いて、こちらへ足早にやってくる。

 マーが来たことで、赤毛も苛立ちを抑えたようだ。こちらもケンカにかまけている場合ではない。これ見よがしに顔を背けてやる。


「お二人とも! よかった、無事でしたか」

「あぁ、問題——」

「あるだろ。そんだけ傷があるんだから、ビーは後でちゃんと見てもらうこと」


 問題ないと答える前に、シャイナに遮られる。確かにいくつか深めの傷がある。意地を張れば怒られるだけだ。


「……分かった」

「ん」


 シオンがきゅっと鳴いて、マーの腕から胸元に飛び込んでくる。

 痛みに体が軋んだが、そのまま抱き止めた。  

 腕の中のシオンを優しく撫でると、まだ震えている。結界内にいたとはいえ、怖い思いをさせたのだろう。


 赤毛を無視していると、わざとらしいため息を挟んでくる。片手を腰に当て、めんどくさそうに言い放つ。


「なぁ、そっちに無表情なやつ、おったやろ」

「え、やっぱ、さっき助けてくれた人の仲間?」


 最初に反応したのはシャイナだ。その声は好意的な響きを持っている。視線を投げると、マーも頷く。


「あいつ、何も言うとらんのか? ——ったく、ツルギー! お前もこっち来いかい」


 赤毛がマーたちが来た方向へと声をかける。すぐそばまで来ていたのだろう、土を重く踏みしめる音がして、宵闇を纏ったような美丈夫が現れる。

 背筋はすっと伸びている。鍛え抜かれた体格でありながら、その所作はやけに優雅だ。

 高い位置でひとつに結んだ蒼黒の髪が揺れる。その顔には何の感情も浮かんでいないように見えた。口を真一文字に結び、深い藍色の瞳でじっとこちらを観察している。

 シャイナがその視線を遮るように、僅かに位置を変える。前を向いたまま、こちらにしか聞こえないように囁く。


「結界で治療してる間、守ってくれてたんだ。多分悪い人じゃない」


 こちらの腹立たしい男とはだいぶ性格が違うらしい。


 赤毛が盛大にため息をつく。


「何か喋らんかい」

「……」


 男は赤毛のそばまで行くが、足を止めることなく歩き去っていく。

 通り過ぎざまに「帰路」と低い声が落ちた。


「帰るんか? まあ、ええか」


 赤毛がこちらにずいっと顔を寄せ、自分とシャイナを交互に見ると、口の端をわずかに上げる。そのままさっと顔を引くと、「ほなな」と踵を返して蒼黒の男の後を追った。


 後には再び夜の静けさが戻った。

 殺伐とした空気はもうない。


 シャイナが珍しく両腕を組んで、寒さを払うような仕草をする。


「なんか、今内側まで見られたような気がする」

「気味が悪い」

「ちょっとね。怖いような、でもすごい人たちだったかも」

「あと、アイツむかつく」

「だからって撃っちゃダメだって」

「未遂だ」


 立ち去る前の赤毛の最後の視線。

 一瞬のことだった。それなのに、心の奥まで探られたような感覚がいつまでも消えなかった。

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