第29話 介入
白い霧を裂き、レイピアのような細い切っ先が真っ直ぐに襲ってくる。
ビーは、胸の前で構えた黄金銃で鋭い突きをなんとか弾く。
地面から足が離れ、衝撃で体が後ろに飛んだ。
背後に、魔獣の殺気と咆哮が迫る。
足はまだ地面につかない。
本能が危険を告げる。
——このままだと、やられる!
ヒュッ!
鋭い風切り音が鳴った。
鞭のしなりとは違う。刃が空気を切り裂くうなりに近い。
「——っ!?」
着地と同時に振り返れば、背後に迫っていた魔獣たちが乾いた音を立てて地面に崩れ落ちるところだった。
ビーはすぐさま銃口を奥の霧に向ける。
背中に冷や汗が流れた。
目の前を警戒しながら、横目で倒れた魔獣たちを確認する。
ブレのない切断面。
迷いのない太刀筋。
これだけ見ても、相当の手練れだ。
——魔獣を倒した。
味方か、新手か。
人か、人外か。
あの鞭がいつ戻ってくるかもわからない。
でも目の前の警戒を切るわけにもいかない。
不思議だった。
最初は気配がないと思った。
奥深く探ると、存在そのものを塗りつぶしたような不自然な空白がある。それと同じ方向からかすかに視線を感じる。
シャイナが息を潜めている時と少し似ていた。
だが、それよりもずっと薄く細い。
普段なら気がつけないような、意図的に抑えられた足音を、かすかに耳が拾う。
五感を最大限開く。
一音さえも、一鼓動さえも逃さない。
霧が動く。
あえて草を踏む音を立てながら近づいてくる。
紅が揺れた。
「なんや、ガキかいな。テンションあがらんなぁ」
派手な赤い前髪をかき上げながら、聞いたことのないイントネーションで、男は気だるげに言った。
腰まである長い赤髪に、切れ長の黒い瞳。
わざとなのか、胸元ははだけ、引き締まった筋肉が目に止まる。
脱力した手には、緩く湾曲した細身の刃物のようなものが握られている。
あくびを噛み殺す姿は隙だらけに見える。だが、実際には一切の隙がない。
構えを解く気には到底なれなかった。
男は、こちらの構え、動き、目線、全てを一瞬で見定め、面白いものを見つけたかのように口の端を吊り上げる。
「そないなけったいなもん向けんと、しょんべんちびる前にママンとこ帰りぃな。坊主はお呼びやないねん」
犬猫でも追い払うように、男がこちらに手を振る。
引き金にかけた指が、反射的に動きかける。
人の神経を逆撫でするのが上手い奴だと思った。
文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけた矢先——再び真後ろに迫る音。
「チッ!」
真っ直ぐに避ければ、その矛先は男に届く。
——もう一回受けるか。いや、撃ち返す!
振り返る。
音の方向と霧の動きを少しも見逃さない。
正面と両側、三方向の霧が僅かに押されるように迫り出す。飛び退りながら、照準を合わせる。
今いた地面に三本の鞭の先端が深く突き刺さる。
銃口が火を噴く。
——攻撃の直後なら。
「風鎌鼬!」
鞭の一本を緑の風刃が切り落とす。
切り落とされた部分は地面へ転がる。
残った根本側は痛みに耐えかねたかのように大きくうねり、切断面から液を振り撒きながら、退いた。
「へえ、やるやん」
赤髪の男はこちらに視線を向けたまま、飛び出してきた中型魔獣を瞬時に切り伏せる。
その手腕は不愉快なほど見事だった。
無駄を一切省いた、洗練された動き。
太刀筋がうまく追えない。
「向こうは気にせんでええ。こっちも見といたるわ」
——向こう? シャイナたちの方にもこいつの仲間がいるのか?
今は敵ではないと考えるしかない。
それにしても、この男といい、その仲間といい、気配を殺すのが上手すぎる。
気づけば、口の中に鉄の味が広がっている。
唇を噛みすぎた。
他の人間の気配に気が付かなかった。
この男が魔獣を抑えていなければ、鞭への対処もままならない。
できないことだらけで、腹が立つ。
しかし、標的を絞れた。
状況を分析し、勝機を探して、思考が一気に走る。
しなる形状に、並んだ鋭利な棘。
この霧では、正確な長さの把握は不可能。
攻撃には波がある。最大三手。一度引いてから、次が来るまで多少の間がある。
使い手がいるとしても、おそらく一人。
あれに攻撃が当たったのは二回。
いずれも苦しそうにもがいていた。
痛覚はあると考えていい。
であれば、深手を負わせれば退けられるか。
ナイフは先ほど飛ばされた。
銃で狙うには細く、素早い。そのうえ、来る方向の予測が難しい。
やりにくい。
赤毛の男が向けてくる、余裕を見せつけるような視線が神経を逆撫でする。
あの鞭は無機物ではない。
体液らしきものがある。
素早く銃の弾を入れ替える。
あとはタイミング。
動きながら、精密な照準が必要だ。
無駄なことを考えるな、感じるな。情報を絞れ。
男の値踏みするような視線が、少し真剣味を帯びる。
しかし、これも削ぎ落とす。
耳を澄ませる。
目を凝らす。
銃を構える。
必要な場所にだけ力をこめる。
身体が冷えていく。
ボコッ、ボコボコッ
——下!
そう思ったときには、地面を蹴っていた。
土が急速に盛り上がり、自分の腕ほどの太さの槍が突き上げてくる。
空中で狙いを定める。
周囲の景色がぼやけ、撃つべき一点だけが鮮明な輪郭を持つ。
内に渦巻く魔力の昂りを感じる。
引き金を引いた。
「閃光縛網!!」
命中!
着弾と同時に、鞭の側面に雷が網のように絡み、雷光と轟音が迸る。
その雷電は体液を通して、鞭全体へと広がる。
先端付近は黒焦げになり、ボロボロと炭になって剥がれ落ちていく。
ヤツの動きが止まる。
——効いた!
一瞬の喜び。
その一瞬が、致命的な隙になった。
棘の鞭は急加速する。
蛇のように地を滑り、即座に棘の檻を作り上げる。
——囲まれた!
縛り上げられれば、ただでは済まない。
もう一撃——!
目の前の地面を這うそれに狙いを定める。
断ち切れば、動きは止まる。
貫かれるのが先か、引き金を引くのが先か。
後ろの赤毛が地を蹴った気配がする。
引き金にかけた指に力が入る。
棘の包囲が縮まってくる。
痛みは覚悟した。
冷えた身体の奥で何かがざわりと蠢く。
刹那——




