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エクリプス ―月蝕の二人―  作者: 灰色 ウサギ
第2章 想い出人の郷
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第28話 シャイナの戦い

 ——少し、時を遡る——


 抉られた左肩から、痛烈な熱が全身を巡る。

 鼓動が一気に跳ね上がる。

 駆け寄ってきたビーの表情が明らかに変わった。 


「行け!」


 シャイナは、普段めったに聞かないビーの声色に心が締め付けられた。

 自分の怪我が、ビーの限界を超えさせた。


 ビーの中から余計なものが削ぎ落とされ、行動と思考が刃のように研ぎ澄まされていく。

 

 オレも似たような経験をしたことがあった。

 普段無意識にかけている身体の制限が外れ、思った以上に動ける。すべきことが明確になる。

 ただ、長くはもたない。

 その状態が解けた後、反動で身体は軋み、悲鳴を上げる。

 だから、わかる。

 ビーはすでにその領域へ踏み込んでいた。

 

 自分だけ下がりたくはない。

 しかし、それは勝手な願望だ。

 ここに残れば、ビーはオレを庇いながら戦い、さらに自分を削る。

 喉まで出かかった言葉を、奥歯を噛み締め、飲み込んだ。


 ——今、オレがすべきことは、ここに留まることじゃない。


 少しでも情報を渡すべきだ。

 攻撃された瞬間の光景を、記憶の中から無理やり引っ張り出す。


「すぐ戻るからな。あと、鞭みたいにしなってた」

「わかった」


 ビーの感情のない返事に、背筋が冷たくなる。

 

 かぶりを振った。

 早く傷を治して、戦線に復帰する。

 それしかない。


 シャイナは短剣を握り直し、前を向いた。


 霧を掻き分けて戻ると、エチルスたちは蛇や小型魔獣に対処していた。

 結界の周りをうろついている狼型の魔獣の背後へ回り、一息に斬り捨てる。踏み込んだ拍子に、左腕が脈打つように疼いた。

 

 結界内に戻ると、シオンとエチルスが血に濡れた左腕に気付く。


「しゃいなたま!」

「シャイナくん! その腕……」


 傷を見たエチルスの顔が青ざめる。シオンはシャイナの周囲を小さく駆け回る。


「ごめん、急いで。ビーが一人だ」


 「一人」という言葉を口にした途端、身体の芯が沸騰するような焦燥に襲われる。

 今すぐ戻れと、身体訴えてくる。

 それをなんとか押し留め、その場に片膝をついた。


 エチルスがカバンから小瓶を取り出して、蓋を開けてこちらに手渡す。


「治癒術も使いますが、こちらも併せて飲んでください」

「わかった」


 受け取ると、迷わず瓶をあおる。

 腕の痛みを一瞬忘れるほどの苦味が舌を刺し、喉を通り胃へと落ちていく。

 少し前に、これを飲んだビーが言葉をなくしていた。その姿が浮かび、余計に苦かった。


 エチルスの詠唱を聞きながら、忌々しい霧の奥を睨んだ。

 幸か不幸か、白い海はビーの姿を隠している。


 鋭い風切り音が何度も走る。そのたびに霧の中で影が蠢き、それを追うように銃声が断続的に耳に届く。


 ——焦るな。見えなくても、ちゃんと捉えろ。戻った時に、隣で戦えるように。


 バチンッ!!


 結界に何かが激しく当たった。


「きゃあっ!」


 シオンが怯えて、うずくまる。

 治癒に集中しているエチルスは、身じろぎして動揺したものの、術を途切れさせることはなかった。


 長い影が結界を激しく揺るがすと、すぐ霧に紛れた。

 見えたのは僅かな時間だった。

 それでも、先ほどよりはっきりと輪郭を捉えた。


 ——長い。


 自分が想像していたよりも、はるかに長い。

 使い手がどこにいるのかも、特定はできない。

 鞭の表面には、不規則に並ぶ鋭い棘が見えた。

 あれが自分の肌を抉った。

 避け損なえば持っていかれる。


 鋭い風切り音はいまだに続いている。その攻撃間隔は徐々に短くなり、漂ってくる殺気も増している。


 左腕の痛みはだいぶ引いてきた。

 でも、治療が終わるまでにはもう少しかかる。

 自分の周りだけ、時間の流れが遅い気がした。

 ビーの無茶が、取り返しのつかないことになる前に戻りたい。


「しゃいなたま、まだ痛いでちゅ?」

「ううん、もう痛くはないよ」

「でも、なんだか辛そうでち」


 拳に力が入った。


「……それは、そうかもしれない。ビーを残してきたから」


 口にした事実がひどく残酷で、胸を穿つ。


「びーちゃま……」

 

 ビーのいる霧の向こうを見るシオンの瞳は、不安げに揺れている。


「シャイナくん、もう少しだけ我慢してくださいね」

「うん、わかってる。ありがとう、エチルス」


 頷きながらも、足先は結界の外へと向いている。


 ——あと少し。


 そう祈った時、雄叫びを上げながら熊型の魔獣が結界に体当たりしてくる。


 バンッ!!


 結界が大きく歪んだ。

 乾いた音とともに、魔獣が激突した箇所に亀裂が走る。


「……まずいですね。結界の限界が近い」


 エチルスの額から汗が流れる。

 また同じ箇所に魔獣が爪を振り下ろした。


 枝葉のようにヒビが広がる。


 シオンは耳を押さえて、顔をエチルスの脚に押しつけている。

 シャイナは腰を低くし、短剣に炎を纏わせた。治療が終わるより先に結界が割れたら、飛び出す。


「治療はもう終わります!」


 魔獣がもう一度、その鋭利な爪を結界に突き立てようとする。


 その瞬間——凄まじい速度で飛来した何かが魔獣の頭にぶち当たった。

 頭部が弾け飛び、巨体はその場に崩れ落ちた。

 エチルスたちが息を呑む。

 一拍遅れて、強い風が吹き抜けた。


 ビーの銃ではなかった。

 銃声も魔術発動の音もない。


 シャイナは咄嗟に飛来した方角へ向き直り、短剣を構えた。


 ——敵か!?


 霧の奥から、こちらへ近づく足音が一つ。

 足取りは軽いが、土を踏む音が重い。

 おそらくは男。

 乱れのない足音だけで、相手が鍛え抜かれた人間だとわかる。


 エチルスたちを後ろに庇う形で、気配を窺う。生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。


 やがて、霧に馴染むように現れたのは、紺と黒の装束を纏った長身の男だった。

 ——少し、時を遡る——


 抉られた左肩から、痛烈な熱が全身を巡る。

 鼓動が一気に跳ね上がる。

 駆け寄ってきたビーの表情が明らかに変わった。 


「行け!」


 シャイナは、普段めったに聞かないビーの声色に心が締め付けられた。

 自分の怪我が、ビーの限界を超えさせた。


 ビーの中から余計なものが削ぎ落とされ、行動と思考が刃のように研ぎ澄まされていく。

 

 オレも似たような経験をしたことがあった。

 普段無意識にかけている身体の制限が外れ、思った以上に動ける。すべきことが明確になる。

 ただ、長くはもたない。

 その状態が解けた後、反動で身体は軋み、悲鳴を上げる。

 だから、わかる。

 ビーはすでにその領域へ踏み込んでいた。

 

 自分だけ下がりたくはない。

 しかし、それは勝手な願望だ。

 ここに残れば、ビーはオレを庇いながら戦い、さらに自分を削る。

 喉まで出かかった言葉を、奥歯を噛み締め、飲み込んだ。


 ——今、オレがすべきことは、ここに留まることじゃない。


 少しでも情報を渡すべきだ。

 攻撃された瞬間の光景を、記憶の中から無理やり引っ張り出す。


「すぐ戻るからな。あと、鞭みたいにしなってた」

「わかった」


 ビーの感情のない返事に、背筋が冷たくなる。

 

 かぶりを振った。

 早く傷を治して、戦線に復帰する。

 それしかない。


 シャイナは短剣を握り直し、前を向いた。


 霧を掻き分けて戻ると、エチルスたちは蛇や小型魔獣に対処していた。

 結界の周りをうろついている狼型の魔獣の背後へ回り、一息に斬り捨てる。踏み込んだ拍子に、左腕が脈打つように疼いた。

 

 結界内に戻ると、シオンとエチルスが血に濡れた左腕に気付く。


「しゃいなたま!」

「シャイナくん! その腕……」


 傷を見たエチルスの顔が青ざめる。シオンはシャイナの周囲を小さく駆け回る。


「ごめん、急いで。ビーが一人だ」


 「一人」という言葉を口にした途端、身体の芯が沸騰するような焦燥に襲われる。

 今すぐ戻れと、身体訴えてくる。

 それをなんとか押し留め、その場に片膝をついた。


 エチルスがカバンから小瓶を取り出して、蓋を開けてこちらに手渡す。


「治癒術も使いますが、こちらも併せて飲んでください」

「わかった」


 受け取ると、迷わず瓶をあおる。

 腕の痛みを一瞬忘れるほどの苦味が舌を刺し、喉を通り胃へと落ちていく。

 少し前に、これを飲んだビーが言葉をなくしていた。その姿が浮かび、余計に苦かった。


 エチルスの詠唱を聞きながら、忌々しい霧の奥を睨んだ。

 幸か不幸か、白い海はビーの姿を隠している。


 鋭い風切り音が何度も走る。そのたびに霧の中で影が蠢き、それを追うように銃声が断続的に耳に届く。


 ——焦るな。見えなくても、ちゃんと捉えろ。戻った時に、隣で戦えるように。


 バチンッ!!


 結界に何かが激しく当たった。


「きゃあっ!」


 シオンが怯えて、うずくまる。

 治癒に集中しているエチルスは、身じろぎして動揺したものの、術を途切れさせることはなかった。


 長い影が結界を激しく揺るがすと、すぐ霧に紛れた。

 見えたのは僅かな時間だった。

 それでも、先ほどよりはっきりと輪郭を捉えた。


 ——長い。


 自分が想像していたよりも、はるかに長い。

 使い手がどこにいるのかも、特定はできない。

 鞭の表面には、不規則に並ぶ鋭い棘が見えた。

 あれが自分の肌を抉った。

 避け損なえば持っていかれる。


 鋭い風切り音はいまだに続いている。その攻撃間隔は徐々に短くなり、漂ってくる殺気も増している。


 左腕の痛みはだいぶ引いてきた。

 でも、治療が終わるまでにはもう少しかかる。

 自分の周りだけ、時間の流れが遅い気がした。

 ビーの無茶が、取り返しのつかないことになる前に戻りたい。


「しゃいなたま、まだ痛いでちゅ?」

「ううん、もう痛くはないよ」

「でも、なんだか辛そうでち」


 拳に力が入った。


「……それは、そうかもしれない。ビーを残してきたから」


 口にした事実がひどく残酷で、胸を穿つ。


「びーちゃま……」

 

 ビーのいる霧の向こうを見るシオンの瞳は、不安げに揺れている。


「シャイナくん、もう少しだけ我慢してくださいね」

「うん、わかってる。ありがとう、エチルス」


 頷きながらも、足先は結界の外へと向いている。


 ——あと少し。


 そう祈った時、雄叫びを上げながら熊型の魔獣が結界に体当たりしてくる。


 バンッ!!


 結界が大きく歪んだ。

 乾いた音とともに、魔獣が激突した箇所に亀裂が走る。


「……まずいですね。結界の限界が近い」


 エチルスの額から汗が流れる。

 また同じ箇所に魔獣が爪を振り下ろした。


 枝葉のようにヒビが広がる。


 シオンは耳を押さえて、顔をエチルスの脚に押しつけている。

 シャイナは腰を低くし、短剣に炎を纏わせた。治療が終わるより先に結界が割れたら、飛び出す。


「治療はもう終わります!」


 魔獣がもう一度、その鋭利な爪を結界に突き立てようとする。


 その瞬間——凄まじい速度で飛来した何かが魔獣の頭にぶち当たった。

 頭部が弾け飛び、巨体はその場に崩れ落ちた。

 エチルスたちが息を呑む。

 一拍遅れて、強い風が吹き抜けた。


 ビーの銃ではなかった。

 銃声も魔術発動の音もない。


 シャイナは咄嗟に飛来した方角へ向き直り、短剣を構えた。


 ——敵か!?


 霧の奥から、こちらへ近づく足音が一つ。

 足取りは軽いが、土を踏む音が重い。

 おそらくは男。

 乱れのない足音だけで、相手が鍛え抜かれた人間だとわかる。


 エチルスたちを後ろに庇う形で、気配を窺う。生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。


 やがて、霧に馴染むように現れたのは、紺と黒の装束を纏った長身の男だった。


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