第24話 違和感のある森
抱いた違和感に間違いはなかった。
歩き始めて数時間。
森に夜が忍び寄った。
ほとんど陽の差し込まない森の中は、すぐに暗闇が棲みつく。昼間の陰鬱さは、さらに不気味さを増した。
森の中のか細い一本道を進む。
低い鳴き声や遠吠えが断続的に耳に届く。風が吹くと、頭上を覆う枝葉の天井から乾いた音が降ってくる。深くなった茂みの影は何かを隠しているように思ってしまう。
ランプの灯りは遠くまでは照らせない。
進む歩幅は自然と小さくなる。
マーができる限りランプを高く掲げた。
「思ったより早く暗くなってしまいましたね」
「そうだね。オレでもちょっと怖い」
先頭を行くシャイナが、足場の雑草をゆっくりと踏みしめながら進む。
ビーも同様に周囲に素早く目を走らせながら、前方の二人の背中を視界に収める。左手はいつでも銃を抜ける位置にある。シオンはすでに外套の内ポケットに身を隠していた。
「嫌な雰囲気だ……」
思わず声に出た。
マーも同意するように小さく唸る。
「本当は休みたいところですが……あまりいい予感がしないですね」
「というと?」
前を見据えたまま、シャイナが続きを促す。
「あまり一か所にとどまらない方がいい気がします。僕の勘ですが」
「行程とは関係なしにか?」
油断なく後ろを警戒しながら、マーに尋ねた。
「暗くなる時間が思ったより早かったので、遅れているのは確かです。ただ、立ち止まってしまうと逆に狙われるような気がします」
シャイナは大きく頷く。
「オレもそう思う。ビーは?」
「呑気に寝られる環境じゃないな」
何かすぐに危険が迫っているというわけではない。ただ、肌がひりつくような感覚がずっと付きまとっている。
同じ場所に留まるのは、灯りを目印に何かを寄せ付けそうな気がした。
「しかし、さすがに歩き続けるとすぐに限界がきます。少しだけ休んで、食事を取ろうと思うのですが、どうでしょうか?」
「たぶん、大丈夫だと思う。すぐそばに何かいるわけじゃないから。ビーもいいよな?」
「ああ」
いざという時の体力を温存するためにも休憩は必要だとは思うが、警戒を解くことはできない。ずっと何かに見られているような気配が付きまとう。
マーは近くにあった石に腰掛けると、素早く食事の準備を始める。
そばに来たシャイナが軽くため息をつき、愚痴をこぼした。
「……いつ寝れんだろ」
「夜が明ければ寝れるだろ」
「だよなあ。でも夜歩きが現実になるなんてな。あの時はちょっと冗談だったのに」
「諦めろ。ここは長居できない」
「うん、それは同感」
二人は手早く焚き火の準備をする。普段なら気にも留めないが、今は最低限の炎になるよう調整した。
内ポケットから、おずおずとシオンが顔を出す。
「びーちゃま、シオンも何か手伝うでち?」
「いや、大丈夫だ。マーのところでメシもらえ」
「あい」
シオンはあたりを見回してから、勢いよく飛び出す。急ぎ足でマーのところに駆けて行った。
「まーちゃま!」
「わぁ!」
ドスン、と音がして、マーが座っていた石から転げ落ちていた。
「……あれ、俺のせいか?」
「もうマーの仕様でいいと思う」
二人で顔を見合わせて、苦笑する。
わずかに息をつけた。
◇◇◇◇◇
程なくして、簡単な食事が出来上がる。こういう時、マーの手際には頭が上がらない。
「相変わらず、うっまぁ……」
隣に座るシャイナが、干し肉の炙り焼きサンドを頬張って思わずうなった。
少しだけ表情が柔らかくなったのを見つつ、もらった野菜スープを口にした。喉から胃へ、通ったところからじんわりと温まっていく。ほのかな苦味がクセになる味だ。
「……うまい」
「お口にあって何よりです」
鍋のスープの残りを手元のカップに移しながら、マーは嬉しそうに微笑む。その足元では、シオンがお皿に乗っているにんじんやパンを一生懸命食べている。
「体力回復や滋養強壮に効く薬草を混ぜてありますので、少しは疲れがマシになるといいんですけど」
「だから、わざわざ作ってくれたんだな」
「食べられるときには食べておかないと、気力が削がれてしまいますからね」
抜けない緊張感。体は否応なく強張る。
こんな時だからこそ、あえて料理を作っていたのだろう。しれも、疲労に効く薬草まで混ぜて。改めてマーの経験の深さを知った。
「夜明けまでだな」
「……ええ。朝が来ればこの気配も多少落ち着くでしょう」
神妙な顔でマーは林の奥、さらにその向こうへと視線を投げる。
付かず離れず、こちらを品定めしているような気配が粘りつく。食事をしながらも、気を抜くことはできなかった。
スープを飲み切り、気持ちが上向きになったのか、シャイナが努めて明るく言った。
「夜通し歩いた経験がないわけじゃないし、たぶん何とかなるよ。な、ビー?」
シャイナが小突くように、肩を寄せてくる。
かつて、ジジイのせいでそういう事態に陥った苦い経験が蘇る。背筋が無駄にぞくりとする。
「……嫌なこと思い出させんな。いい経験した、なんて思ったことねぇぞ」
「貴重な体験じゃね?」
「んなわけあるか」
肩を軽く押し返した。
指を顎に当てて、マーが首を傾げる。
「おじいさまの関係ですか?」
自然と眉間に皺が寄った。
「……マーは知らなくていい」
「そのうち巻き込まれるよ」
シャイナは悪びれることなく、爽やかな笑顔でさらりと告げた。
◇◇◇◇◇
食事を終え、三人と一匹は再び夜の森を進んだ。
シャイナを先頭に、ビーは二人の背中を見ながら周囲を警戒する。
ザクザクと地面を踏み締める音がやけに大きく聞こえる。手先が鈍らないよう、時折手を閉じたり開いたりしておく。
しかし、ここまで何も起こらなかったので、普段と変わらないやり取りが戻りつつあった。
前方へ視線を向けたまま、シャイナがふと思いついたように口を開く。
「意外と他の人に会わないよな」
「道はここだけではないですからね。あと入村許可証はそんなにたくさん発行されていないのかもしれません」
「そんな貴重なもんの期限を忘れるか、普通。ジジイの杜撰さに呆れるな」
わざとらしく、ため息をつく。
マーが困ったように祖父のフォローを入れる。
「まあ、そのおかげでリタホームへ行けるわけですから」
「ビーちゃまにも会えまちた! ずっと一緒なんでちゅ」
内ポケットから、シオンが顔を出す。
「ひとまず森までな」
「ずっとでちゅ」
「森までだ」
シャイナとマーの小さな笑いが漏れる。
このままリタホームまで何事もなく行けるかもしれないと考えた時だった。
「待て」
シャイナの低い声が落ちた。
空気が張りつめ、肌のひりつく感覚が戻ってくる。
その太陽色の厳しい眼差しは進行方向に向けられていた。




