第21話 謎の子うさぎ
子うさぎを両手で抱えたまま、路地裏から駆け戻った。
マーがすぐこちらに気がつき、立ち上がる。胸に手を当て、青ざめていた表情が柔らかくなる。
「無事でよかったです」
マーにも心配をかけていたのだと思い至るが、先に伝えるべきことがある。
「悪い。こいつを見てもらえないか?」
子うさぎの様子が見えるよう、そっと両手を差し出した。
「え? ……うさぎ、ですか?」
「あぁ、さっきからぐったりしてて」
「……分かりました。そのまま」
マーはカバンから丸眼鏡とハンカチと一枚の紙を取り出す。
ハンカチを広げてテーブルの上に敷くと、その上に同じ大きさの紙を置いた。その紙には魔術陣が書き込まれている。
「あれ、何?」
シャイナが不思議そうな顔をする。
「オレも詳しくはない。ただ、たまに見るだろ。ジジイがやらかしたときに」
「あー、あれ。動力源になってるやつ」
「たぶん」
丸眼鏡をかけながら、マーが穏やかに言う。
「説明は後にしましょう。うさぎさんをこちらへ」
ビーは子うさぎの体に負担をかけないよう、紙の上にそっと寝かせた。
「先に触診しますね」
椅子に座り直したマーは二本指で毛をかき分け、子うさぎの体を軽く撫でるように触れていく。
「……切り傷などの外傷は、ないようですね。小動物さんを診る機会はあまりないので自信はありませんが……」
マーが首から下げた瑠璃色のクリスタルを握る。
「——我に教えよ、判定眼」
力ある言葉とともに、紙に書かれた魔術陣が青白く光った。紙からいくつもの術式が浮かび上がる。それらは積み重なって柱となり、子うさぎの体を照らす。
光の中にある小さな身体を、マーは丁寧に観察する。
「いくつか打撲痕が見られますが、骨などは折れていないようです」
細長い指が軽く光に触れると、青い柱が回転する。
「……内部にも問題はなさそうです。ただ、かなり衰弱していますね」
「すごっ……」
思わずシャイナが漏らす。
ビーは子うさぎから目を離さない。普段であれば魔術陣の方にも興味をそそられるが、今は弱りきっている小さな命の、わずかな変化も見逃すつもりはなかった。
「きゅ…………」
小さな鳴き声とともに、固く閉じられていた瞳が薄く開く。その口元が何か動いていた。
マーはすばやく術を解除する。
身を乗り出して、ビーは子うさぎに耳を傾けた。
「どうした?」
「……おなか」
「おなか?」
シャイナが固まり、マーも椅子から腰を浮かせた。
「え? 今……」
「しゃべり、ました?」
三人は息をひそめて次の声を待つ。
静かな中、子うさぎのおなかが鳴った。
きゅるるるるるる~
「……おなか、減った……みず……」
「水か!」
ビーはカバンからすばやく水筒を取り出し、蓋に少量の水を注ぎ、子うさぎの口元へ近づける。
子うさぎの鼻がひくひくと動き、小さな口が水を求めるようにわずかに開く。
その口へ慎重に水滴を垂らしてみる。
やわらかい毛におおわれた喉のあたりが一度大きく動いた。もう一滴垂らすと、今度は自分から水を追うように鼻先を伸ばした。
次の瞬間——子うさぎは飛び起きた。
「みじゅ!!」
蓋に注いだ水は一瞬で消える。まだ欲しそうに水を探して鼻を動かすので、水筒本体を差し出し傾けてやる。何度か匂いを嗅ぐと、自ら口を当てて、ごくごくと音が聞こえるくらい勢いよく飲んでいく。
その姿に少し不安になる。そんなに一気に飲んで問題ないのだろうか。思わず声をかける。
「ゆっくり飲め。慌てなくていい」
しばらく飲んでから、小さな生き物は顔をあげた。
「ぷはっ!」
「何か食べるか?」
アメジスト色の瞳がビーを見つめながら、何度もうなずく。
「こいつが食べそうなもの……」
ビーの目線が机の上をさまよい、サラダボウルに目が留まる。
「野菜なら食べれるか?」
「あい!」
元気の良い返事を受けて、容器から葉野菜や刻まれた人参を指でつまんでいくつか取り出し、渡してやる。
つぶらな瞳がビーの動きを追っている。
目の前に食べ物を差し出すと、子うさぎは躊躇なくかぶりついた。渡した端から吸い込まれるように無くなっていく。
だいぶ腹が減っていたようだ。
何度か摘んでいたが、すぐに食べてしまうので、終いにはサラダボウルごと渡した。子うさぎはボウルに顔を突っ込んで、ものすごい速さで食べていく。
野菜を食む音が小気味良い。もう体調の心配はしなくてよさそうだ。
子うさぎとのやり取りを後ろで見守っていたシャイナが、遠慮がちにビーの肩を叩く。
「ね、ねぇ、ビー。そのうさぎしゃべってない?」
「ん? ああ、そうだな」
「え? それだけ?」
向かいに立っているマーも驚いた顔をする。
「普通、しゃべらないと思うのですが……」
ビーはしばし思案し、首を傾ける。
「そういえば、そうだな。でも、『たすけて』って言ったのもこいつだったしな」
「いや、もうちょっと驚いて! 普通ここ驚くところだから!」
シャイナが肩をつかんで揺らす。
「そうか。そういうのもいるのかと」
「いるにはいるかもしれませんが、こんな街中で見かけるものではありませんよ」
マーが困り顔で首を振る。
「でも、こいつはここにいるぞ」
「だから、そこじゃないんだって! もうちょっと驚いてよ!」
「緊急事態だったからな」
「いや、それでもだよ!」
二人がまだ何か言っているうちに、子うさぎはボウルから顔を上げた。ぷふぅと息を吐くと、ボウルの横へ転がり、満足そうに腹を見せた。
「おいちかったでち」
「元気になったか?」
「あい!」
元気よく跳ね起きると、小さな手を挙げて返事をする。
シャイナが驚愕して、思わずつぶやく。
「会話も成立してる……」
「……ほんとですね」




