第18話 小さな声
店の入り口がパタンと小さな音を立てて閉まった。
先ほどまで切り離されていた喧騒が耳に戻ってくる。手に抱えた買い物袋が、少しだけ重たく感じた。
製図屋の店主から得られた情報は大きい。
その分、三人ともすぐに話し出さなかった。
マーが後ろに手を組んだまま、こちらを振り返る。その顔はいつもの優しい微笑みをたたえていた。
「さあ、お昼にしましょう!」
思いがけないセリフに、二人とも面食らう。
シャイナは戸惑いながら尋ねる。
「え、あ、いいの?」
「情報を整理した方がいいんじゃないのか?」
「それもアリなんですが、僕お腹減っちゃいまして。お昼も過ぎてますし、少し疲れましたしね。休憩してからでも遅くないですよ」
こちらを思ってではなく、自分が食べたいのだとマーは言った。それが心遣いだと気が付かないほど子どもではない。
シャイナと視線を合わせる。
自分と同じ考えのようだ。
今朝から移動してはいるものの、街や店の中だけ。鍛錬もしていないし、普段より動いていないはずだった。ただ初めて見るものばかりだったので、知らず知らずのうちに肩に力が入っていたのは確かだ。そう意識すると、急に体の奥から疲れが染み出て、足が地面にへばりつくような感じがした。
期待のまなざしを向けながら、シャイナが軽く手をあげる。
「はい! じゃあ、オレ、さっき見た串焼き食べたい!」
「……クレープ」
「甘いものじゃん」
「食後のおやつだ」
「いいですね。あとはサンドイッチかおにぎりでも買いましょうか。僕はサラダボウル屋さんが気になったので、組み合わせは良さそうです」
「やったー!」
シャイナが手を差し出してきたので、軽く叩いて返す。
すでに気持ちは切り替わったようだ。
「路面店の近くに食べられるスペースがありましたから、そこに向かいましょう」
そう言ってマーは路面店が出ていた通りへ向けて歩き出した。
シャイナも後に続く。その足取りは軽かった。
現金だなと思いながらも、口角がほんの少し上がるのがわかった。二人の背中を追うように、進み出した。
◇◇◇◇◇
飲食店周辺は活況を呈していた。
既存店だけではなく、露店や屋台が多く立ち並び、どの店も行列ができている。
シャイナが楽しそうに周囲を見回す。
「さっきより店増えてる?」
「お昼は過ぎてますが、まだまだ賑わってますね」
「向こうに机と椅子があるな」
通りの向こうを指差す。
椅子と机が並び、多くの人が談笑しながら食事しているのが見える。
「ああ、いいですね。あそこで食べましょうか。先に席を確保した方が良さそうですね」
三人は露店を通り、飲食スペースへと移動する。こちらも人の出入りが多いようだが、端の方に行けば空いている。
「少し離れてしまいますが、ゆっくり食べられそうなので、奥の方にいきましょうか」
「おっけー」
「落ち着けそうだな」
道の奥にある席に決めた。
周囲には誰も座っていないが、その分喧騒が離れ、日陰にもなっていて息をつくにはちょうどいい場所に思えた。
机に紙袋を置いた。体が軽くなる。
シャイナも紙袋を置くと、抱えていた重さを逃がすように両手を軽く振った。
「僕はお店にご飯を買いに行くので、一緒に行ってくださる方と、もう一人は荷物番をしていてもらえますか?」
「あ、行きたい! オレ、エチルスについてっていい?」
シャイナが太陽色の瞳を輝かせてこちらを見ている。両こぶしを軽く握りしめ、走り出したいかのように、その場で小さく体を動かす。
主人の許可を待つ犬のようだ。
勝手に走り出していないのが、また面白い。
自然と口元が緩む。
「いいぞ、行ってこい。俺は待ってる」
シャイナは一瞬止まった。
疑問に思ってよく見れば、少し照れたように頬が赤い。
昨日から露店を気にしていたし、よっぽど楽しみなのだろう。
「うん! ちゃんとクレープ買ってくるな」
「任せた」
「行こ、エチルス」
「たぶんそのまま置いていても大丈夫だとは思いますが、念のためお留守番お願いしますね」
「わかった」
小さく頷く。
二人の背中が人波に紛れていくのを見送った後、脱力するように席に腰を下ろした。ふうと息を吐くと、再び体や足に重みを感じた。
考えているより疲れているらしい。
ゆっくりとまばたきする。
日差しは穏やかで、風は爽やかに吹き抜ける。
しばし、雑踏の音に身を委ねた。
笑い声、駆けまわる小さな足音、店員の掛け声。騒がしいと思っていた街の声も意外と悪くない。本でも持ってきたらよかったな。
「あうっ!」
ビーの耳に小さな悲鳴が飛び込んできた。
椅子に預けた体を起こす。
——聞き間違えか?
今度は注意深く、周囲の声を探る。
さまざまな音が耳を横切っていく。
「——まで逃げやがって」
「間に合いましたね」
「うぅ……」
——いや、聞き間違えじゃない。
低くしゃがれた声の後に、幼い子どもの呻きが混じる。
銀の瞳が鋭く周囲の気配を舐める。
耳を研ぎ澄ませ、ふるいにかけていく。
——どこだ?
左手は自然と銃に添えられている。
腰を浮かせ、重心を前へ移す。
嫌な予感ほど、よく当たる。
「こいつでしばらく稼げそうだな」
「もう逃げようなんて思うなよ」
「あぅっ……」
後方——振り返る。
陽の当たらない路地裏の奥。
建物の影に数人。
男の一人が握りしめている小さなかたまり。
老店主の言葉が頭の中によぎる。
『裏路地にはあんま入らん方がいい』
『子どもが入って安全な場所ばかりじゃない』
目を細める。
——うさぎ? 耳を掴まれて吊り上げられている。
薄汚れたぬいぐるみのように、手足は脱力し、なすがままだ。
しかし、見逃さなかった。
その小さな口が、力を振り絞るようにかすかに動く。
「だれか……たち、けて」
はっきりと聞こえた。
その瞬間、考えるより先に体は路地裏へ飛び込んでいた。




