第17話 製図屋にて(2)
「……そこの銀髪の方、お前さん、チェロベックのとこの孫か?」
その名を聞いた瞬間、ぴくりと眉が反応する。
ただすれ違うだけの知らない老人は、もうそうではなくなった。輪郭も口調も顔色も、今はっきりと意識に埋め込まれる。
「……クソジジイの知り合いか」
「カッカッ! 話に聞いてる通り生意気だ」
老人は楽しそうに、膝を叩いて高らかに笑う。
先ほどまでのこちらを見定めるような、鋭い鑑定眼は消え去っている。
「じゃあ、一緒に来てる金髪の方が幼馴染か」
「え、オレも?」
「どこにだって一緒にいるって聞いてたからな」
「なんか恥ずい……」
シャイナは気まずそうに頭をかいた。
「よくわかったな」
「お前んとこの破天荒なじいさんとは昔からの仲でな。このあたりでリタホームに行ける奴なんか数えるほどしかいねぇ。そこに銀髪、金髪もセットだ。仕事柄記憶力には自信がある。チェロベックはふらっと来ては、たまにお前さんらのこと話してたよ」
祖父のふざけた顔が思い浮かんで、左手を握り込んだ。
どこまで話をしてるんだ、あのジジイは。
「内容によっては、処置が必要だな」
「カッ、容赦ねぇなぁ。ま、話に聞いてた通りだ。じいさんは元気か?」
「縛り付けておきたいくらいには」
「重畳! またよろしく言っといてくれ」
「……それとなくにしておく」
また老人は声高に笑った。
「いいね。さあ、あんたらはお得意さんだ。それなりにいい情報教えてやろう」
老人の顔の皺が一段と深くなり、眼光がまた鋭くなる。口の端を上げてニヤリと笑う。
製図屋の気のいい店主とは違う、この町の表も裏も見て生きてきたような顔をした。実際そうなのだろう。
手元にある分厚い帳簿をめくっていく。
「リタホームに行くってことは、じいさんから許可証を預かってきてんだろ?」
一瞬、気圧されて返答に迷う。
マーがこちらに視線を投げて、静かに頷いた。
「……持ってる。期限があと三日だ」
「あのやろ、貴重な許可証をぞんざいに扱いやがって……。まあ、今に始まったことじゃねぇか」
店主も自分と同意見だったので、最初に抱いた感覚は間違っていなかったと思った。許可証を預かった顛末を思い出し、ビーは淡々と告げた。
「ちゃんと叱っておいた」
「いい関係だ。それぐらいじゃなきゃ、あのじいさんは止められんだろ」
何か懐かしいものを思い出すかのように、老人はまた高らかに笑った。ひとしきり笑うと、すっと声を落とした。
「さて、本題だ。リタホームへの道に大きな変化はないが、前から変な噂が入ってる」
マーの表情が少し険しくなった。
「噂、とは?」
「数か月くらい前か、薬草が出荷されなくなった後からだな。リタホームにある森の様子がおかしいって話だ。想い出人が人を襲ったり、霧がやけに深かったり……」
シャイナは目を見張った。
手を顎に添えて、マーがつぶやく。
「想い出人が……。そんな話は聞いたことがないですね」
「まあ、表には出ない情報だな。あとこれは私見だが、向かう街道じゃ魔獣の出る頻度が徐々に上がってる」
節くれだった指で机を叩く音が店内にやけに大きく響いた。
肩が小さく跳ねた。過去の記憶が脳裏をよぎり、自然と眉が寄る。
シャイナの表情もわずかに強張る。続く声が少し低い。
「それって、行く道も安全じゃないってことだよな」
「その通りだ、金髪の坊や。もともとあっちに行く連中は大抵護衛を雇ってるか、腕っぷしの立つ奴らが依頼されていくことが多い。だから、被害自体は少ないようだがな」
店主は帳面に何か書き込みながら、慣れた口調で語る。
「ふむ、ここに来てる情報はこんなもんだな。正直少なすぎる。実際はなんともないかもしれんし、もっと危ないのかもしれん」
「つまり、リタホームで何か起こっているかもしれない、と」
「まぁな、嫌な匂いがしやがる。ただリタホームからは救助要請とかは出ちゃいない」
気になって、つい口から疑問が出る。
「救助要請は出てないんだろ。それでも何か問題が起こってると思うのか?」
「表向きはな。リタホームはその特性上秘密が多い。例えばだ、あの森で何か起きてるとか、外には漏らせない事情があるとかな」
「状況はあまり良くなさそうですね」
「長年やってる勘だから、当てにならんかもしれんがな。ただその許可証の更新には、行くだけの価値はある。今後も発行されるとは限らん。忠告するとしたら、とっとと用事を済ませて帰るこった」
もちっとマシな管理しとけよ、とこの場にはいない祖父に向かって店主は愚痴っていた。
「貴重な情報をありがとうございます」
マーが深々とお辞儀をしたので、シャイナも倣う。ビーは会釈程度に頭を下げた。
それを見たシャイナに、慌てて頭を下げさせられる。
「馴染客には贔屓にしてんだ。ましてや、チェロベックの孫たちだしな。またなんかあったら寄ってきな」
シャイナの手を鬱陶しそうに払いのけ、ビーは小さく頷いた。
「覚えとく」
「ありがとな、じいちゃん」
シャイナがそう呼ぶと、老人は顔をくしゃりとさせて笑った。
もうその顔は普通の店主に戻っていた。
「おう、気ぃつけろ。ああ、あと裏路地にはあんま入らん方がいい」
「何故だ?」
「何かあるの?」
細くなった肩をすくめて、店主は軽く息を吐いた。
その体がいっそう小さく見え、声音まで老いているように感じられた。
「……この街は大きくなった分、集まってくるのはいい奴ばかりじゃない。特に裏路地みたいなところはな。子どもが入って安全な場所ばかりじゃない」
「……ご忠告ありがとうございます。では、失礼します」
「おう、またな」
そう言って、しわがれた手を上げる。
店主の気遣いに、祖父の友人関係がそんなに悪いものではないことを知った。
「ジジイには、帰ったら伝えとく」
「仲良くな」
「……善処する」
「ケンカしそうになったら、オレが止めるよ」
「そりゃいい」
一抹の不安を残しながら、老人の高笑いに押されて店を出た。




