第13話 新しい世界(2)
圧倒されて通りで立ち止まっていると、肩に誰かがぶつかった。
「ごめんよ」と声だけが返り、その背中はすぐに往来に紛れていく。
人の行き来が激しい。城門を通り抜けてすぐのここは、あまり立ち止まっていい場所ではないのかもしれない。
前を見れば、人波の向こうでマーが手招きしている。
「先に宿を探しましょう。遅くなると埋まってしまいますから」
「宿!」
シャイナが目を輝かせる。
村には宿がない。外から来る客など滅多にないからだ。宿屋を実際に見るのも泊まるのも、初めてになる。
握られた手が強く引かれる。
「ほら行こ、ビー」
「お前、浮かれすぎだろ」
「ビーも楽しみなよ」
屈託のない笑顔が向けられる。
「……楽しむ」
初めてその感情を知ったような気分になった。
警戒ばかりしていて、浮ついた気持ちは押し込めていたからだ。
「そうだよ、もったいないじゃん」
「そういう考えもあるか」
「あるある」
当然のように肯定され、ほんのわずかに体の強張りが抜けた。
シャイナに連れられ、フードが飛ばないよう押さえながらマーの元へ向かう。
駆け寄る自分たちを見て、マーが目を瞬かせる。その視線が繋いだ手のあたりに落ちた。一瞬何か言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じ、いつもの柔和な笑顔に戻る。
何を言いかけたのか少し気になったが、追及はしなかった。
「ビーくん、体調は大丈夫ですか?」
「ああ。検問前よりマシだ」
「それはよかったです。この辺りの宿だと豪華すぎるので、少し歩こうと思うのですが」
「問題ない」
隣でシャイナが尋ねる。
「宿にも豪華とかあるんだ」
「ええ、いろいろありますよ」
マーは歩きながら説明を続ける。
「貴族向けに趣向を凝らした宿や、冒険者や旅商人がよく使う宿、あとはとりあえず寝られればよい安宿とかですね」
「へえ、そうなんだ! 今日はどうするの?」
「僕たちなら、旅人向けの宿がちょうどいいかなと思ってます」
二人の会話に耳を傾けながら、周囲に目を向けた。
空はすでに宵闇に染まりつつあった。通りの街灯、建物の窓や入り口から漏れ出る光、店先に置かれた灯りが街を幻想的に彩る。
表通りは明るく賑やかだが、道を外れて奥まると途端に暗さが深くなった。足を踏み入れてはいけないような雰囲気に、緩みかけていた警戒がわずかに戻る。
行き交う人の流れが穏やかになると、賑わいの色が変わった。どこからか香ばしい匂いが漂い、店の中からは歓声とグラスが重なる音が聞こえてくる。
ここにもちゃんと人の息遣いを感じた。
シャイナは目に留まるもの全てが気になるらしく、視線と疑問をつぶやく口がせわしなく働いている。
そんな自分たちの様子を見て、マーが気を利かせて、明日の予定を教えてくれる。
「気になるものもたくさんあると思うんですが、先に宿を優先させてくださいね。
街歩きは、明日の買い出しの時にたくさんしましょう」
「大丈夫だ、見てるだけだ」
「オレのも気にしないで。初めてだからつい」
「だいぶ心の声が漏れてるけどな」
「漏れるくらい許してよ」
「お前の場合は漏れすぎだろ」
そんな話をしているうちに、街の喧騒から離れ、落ち着いた通りに入る。
どこをどう通ったのかわからないが、マーには宿のありそうな場所がなんとなくわかるらしい。左右を見回し、つぶやいた。
「たぶん、この辺りでいいと思うんですよね」
しばし周囲の建物を見比べ、マーは軒を連ねる宿の一つへ向かった。両開きの扉を押すと、来客を告げるベルの音が響いた。マーは戸惑うことなく、そのまま中に入っていく。
シャイナと顔を見合わせて、後に続いた。
室内は比較的静かだった。
家具はゆとりをもって配置され、穏やかな音楽が流れていた。壁には周辺の細かな地図や料金表なども貼ってあった。
数人の旅人が近くの椅子に座ってくつろぎ、奥にあるカウンターでは、宿の者と思われる人物と商人風の男が何かを話していた。
マーは自分たちがついてきていることを確認すると、奥を示した。
「僕はあの奥のカウンターで宿泊の手続きをしてきますので、お二人はあちらの空いている席に座って待っていてください」
そう言って、室内の一角を指差す。
教えられた方を見ると、同じ意匠で揃えられた椅子とテーブルが、規則正しく並んでいた。
「あそこは宿屋を訪れる人が使う場所なので、どこに座っても大丈夫ですよ。緊張しなくていいですからね」
二人でその一角へ向かうと、マーはうなずいて、カウンターへ歩いていった。
「ここが宿屋かぁ……」
椅子に腰掛けながら、シャイナは天井やカウンターの方を興味深そうに見回していた。
シャイナの隣の椅子に腰を下ろすと、座面が程よく沈み込んだ。歩き続けた疲れもあって、そのまま力を抜いてしまいそうになる。
ふと、まだシャイナと手を繋いだままだったことに気がつく。
「もういいぞ」
「何が?」
「手」
「手? ああ、そっか。……もう平気?」
「だいぶ人も減った。ここまでくれば大丈夫だ」
「……」
「大丈夫だ、離せ」
「はいはい」
惜しむように、ゆっくりと繋いでいた手が離れた。
そんな会話を交わしていると、マーが戻ってきたので、二人とも立ち上がる。
手の中の鍵をこちらに見せながら、マーが話し出す。
「お待たせしました。えっと、これが部屋の鍵になるんですけど……。
「どうした?」
「個室だと少し値段が上がるのと、残念ながら空きもなかったので、三人一緒の部屋になるんです」
「そうか、特に問題ない」
そう言った瞬間、隣にいるシャイナがこちらに視線を向けたのがわかった。
マーはシャイナの小さな反応には気づかなかったらしく、安堵の笑みを浮かべ、歩き出した。
「よかったです。じゃあ、部屋はこちらなのでついてきてください」
「わかった」
マーの後についていこうとして、シャイナが外套の裾を引いた。
「なんだ?」
「大丈夫?」
「何がだ?」
「……ちゃんとしろよ、ほんと」
「?」
何か返事に問題があっただろうか。
その言葉の意味を問い返そうとしたところ、マーが後ろを振り返った。
「どうしました?」
「いや、なんでもない。行くぞ、シャイナ」
シャイナは眉間に皺を寄せ、深くため息をついた。
「……オレが絶対苦労するやつ」
「?」
その発言の意味はよくわからなかった。




