第12話 新しい世界(1)
翌日——昼を過ぎたあたりから景色が変わり始める。
一本の細い道は幅が広くなり、分かれ道や他の道と合流していく。そのうち旅人や荷馬車などともすれ違うようになっていった。こちらに気がついて軽く会釈する者もいれば、お構いなしに通り過ぎていく馬車もある。
最初は珍しさからつい視線を送ってしまう。
シャイナはその典型だったので、注意した。
「見過ぎだ、バカ」
「ごめん、珍しくて」
「こっちも見られるぞ」
「そっか、そうだよな」
知らない匂い。
髪の色や肌の色、背格好の違い。
変わった服装、見慣れぬ装飾具。
用途のわからない荷物を積んだ荷馬車、そのそばを歩く行商人。
防具に身を固め、武器を携える冒険者と呼ばれる者たち。
様々な人が同じ場所を目指し、また街の方からも流れてくる。
シャイナが思わずと言った様子でつぶやく。
「人、増えてきたな……」
「あぁ、だいぶな」
少し間があって、顔を覗き込まれる。
「……大丈夫?」
「何がだ?」
「あんまり好きじゃないだろ、人が多いの」
先ほどから道行く視線が、軽く自分の表面をなぞっていくのは感じていた。あまり反応しないようにしていたつもりだが、シャイナには気づかれていたらしい。
「まだ平気だ。お前も見られてるだろ」
「オレはいつものことだし、そんな気になんない」
「そうか」
「フードかぶっとく? 少しはマシかも」
「……そうする」
「ん」
フードをかぶると、これまで近くにあった視線が少し薄らいだ気がした。
確かめるように、シャイナから頭を軽く叩かれる。
マーが小さく頷く。
「その方がいいでしょうね。ここから先はもっと人が増えてきますし、夜になる前にみんな街へ入ろうとしますから、列ができるかもしれません」
レフュジュ村にはない決まりでもあるのだろうかと疑問に思った。
「なんでだ?」
「自衛のため、夜になると街の出入り口は基本封鎖されるんです。特に夜間は野盗や獰猛な動物、魔獣とも遭遇する確率が上がりますからね。皆、安全な場所で夜を過ごしたいんですよ」
安心して眠れる場所の確保は必要だと納得し、さらに歩みを進めた。
小高い丘の上に登ると、いよいよ街の全貌が見えた。山沿いに街が広がっている。
シャイナが目の上に手をかざして、興奮気味に声を上げた。
「うわぁ、見えた! エチルス、あの街に行くんだろ」
「ええ、そうですよ」
「めちゃくちゃでけー!」
シャイナの声が周囲にも聞こえて、往来する旅人たちが振り返る。
慌ててシャイナの口を両手で押さえた。
「ちょっとは落ち着け」
「わりぃ」
でもその顔から笑顔は消えていない。
手を離すと楽しそうに言った。
「でもすごくね? 見たことないのばっかだし、人もめっちゃいる。村とは家の造りや色とかも違うし、あんな高い建物もあるんだな。畑も広いじゃん」
「そうだな、気持ちはわかる」
その規模は自分たちの知る村の比ではない。
街を囲う高い外壁、全体的に赤茶色の建物がひしめき合い、さらに外壁を越える建物も優にある。目を凝らせば、そこに吸い寄せられるように人が動いている。
どうあがいても、好奇心を抑えきれなかった。
はしゃぐ自分たちを見て、マーはどこか懐かしそうに目を細めた。
景色を教材のようにして、指が空をなぞる。
「こういう外壁に囲まれた都市を、城塞都市と言うんです。入るためには検問を通る必要があって、人がたくさん集まっているところが城門ですよ」
シャイナも興味深そうに頷いている。
「へぇ、実際に見る方がよくわかるなぁ」
「旅の楽しみのひとつですよね。さあ、あともう少し。中に入れば他にもたくさん新しい発見があると思いますよ」
広い空は濃い橙に染まり始めていた。街の城門付近は出入りする旅人や商人たちでごった返している。
入場の検問を受けるため、列に並ぶ。
先ほどよりも近くで、耳にはさまざまな音が次々と注ぎ込まれる。
知らない言葉やイントネーション。
匂いは混じりすぎて、判別がつかない。
押しつぶされそうなほどの熱気が迫る。
風でフードがずれて、銀髪が風になびく。
それに気がついた視線が幾つも集まり絡まるのを感じた。
フードを深く被り直す。
「ふう……」
息を吐かないと自分の形が保てなくなりそうだった。左手はさっきから銃に触れている。
列は順調に進む。前にいるマーは様子を気にして、時折背伸びをしたり、人の合間から進行状況を確かめている。
もうしばらくはかかりそうだ。
目を伏せて、周囲を見ないようにする。そうすることで、多少喧騒を遠ざけられる気がした。
ふと、外套の下の右手を軽く握られる。
隣を見ると、シャイナが優しい眼差しでこちらを見ていた。
「きつい?」
「……少しな」
握られた手から感覚が戻ってくる。
呼吸がしやすくなった気がした。
「おんぶする?」
「バカか、そこまでじゃない」
「しんどかったら、寄っかかってていいよ」
「過保護だな」
「こういう時はな」
周囲のざわめきは変わらないが、シャイナの声はちゃんと耳に入ってくる。
「……このままでいい」
「…………」
「途中で外すからな」
「知ってる」
いつもの調子、よく聞く台詞。
今はそれが空気になる。
マーが横顔で言う。
「もうすぐ検問です」
「何かすることはあるのか?」
「二、三、話を交わすだけなので、そのまま僕の後ろにいてください」
「わかった」
城門は高く、幾つもの旗が風に揺れている。上には見張りと思われる兵士が数人立っていて、慌ただしく走り、仲間と短く会話を交わしていた。
周囲を観察している間に、自分たちの順番がくる。
マーが穏やかに、検問官と言葉を交わす。
検問官の隣に控えている男が自分とシャイナに視線を向ける。上から下までさっと流すと、ほんの数秒だけ目が合う。フードの奥に隠したものを見抜こうとしている気がして、思わず息を飲んだ。
男は何か言いかけたが、マーの言葉に遮られる。
「では、失礼します」
マーが一礼して先に進んだので、シャイナに繋いだままの手を引かれ、黙ってその後に続く。足早に通り過ぎると、男の視線はもう次に移っていた。
軽くため息をつくと、シャイナの背中にぶつかった。
「どうし……」
門をくぐった瞬間、空気の密度が変わった。
目線を上げると、赤茶色のレンガ造りの建物がいくつもこちらを見下ろしていた。通りの向こうまで道なりに建物が続き、その足元では見慣れぬ商品を陳列した店が立ち並んでいた。
客を呼ぶ声。
話し込む人々。
商品を手に取ったり、眺めたりしている客。
どこへ行くかもわからない人たちが、それぞれの目的に向かって道を行く。合間を馬車が走り抜け、荷馬車が軋む音を立てて進む。どこからともなく陽気な音楽が流れていた。
「すげーな……」
シャイナの声が漏れる。
自分たちがこの中でとても小さなものに感じる。
知らず知らず、繋いだ手に力が入った。
これまで本と頭の中の想像にしかなかった知識。
初めて、その息遣いや熱を直に感じていた。
不思議と胸が高鳴る。
ここから先は、本ではなく、自分の手足と感覚で知っていく場所だった。




