第11話 同じなのに違う
急に視界が開ける。
森がストンと切れたように終わり、空気が変わった。
朝焼けの空に、見渡す限りの青々とした草原。
風が力強く吹くと、さわさわと乾いた音と共に緑の波がうねる。
その波間に伸びる一本の道。
乾いた土と清々しい草の匂い。
空の高いところから、聞いたことのない大きな鳥の声が響く。
しばしその光景に息を呑んだ。
最初に感嘆の声を漏らしたのは、横にいるシャイナだった。
「わお、けっこう爽快だなー。空がめっちゃ広く感じる」
「……ほんとだな」
村でも空の広さは感じる。
同じ空なのに、今見ている空は別物に見えた。
風で揺れる髪を押さえながら、マーは言った。
「村とはまた違う雰囲気ですね。なかなか壮観です」
ビーは、隣に並んだマーに視線を向けた。
「ここからは、この道を真っ直ぐか?」
「ええ、この道を辿れば街に着きます。今は閑散としてますが、近づけば道も大きくなりますし、人の行き交いも増えてくると思いますよ」
シャイナが期待の目で、その道を眺める。
「そっか、別の街に行くんだよな。他にもたくさん人がいるって思うとなんか変な感覚」
「少し、これは……」
ビーは言葉を探して、口に出すのを迷った。
軽く手を握って顎の辺りに持っていく。
シャイナもマーも、何も言わずに待っている。
やがてポツリとビーの声が落ちた。
「……たぶん怖い、だな」
シャイナの目が驚いたように見開かれる。その後ふっと表情が緩んで、いつもの眼差しに戻る。
「珍しいじゃん。普段危険に突っ込むタイプなのに」
「それは勝手に体が動いてるだけだ」
「それはそれでこっちの心臓に悪いんだけど」
「慣れろ」
そう返事をして、ビーは風が走る草原の、そのまた向こうを眺める。
その先にある何かを確かめるように、自然と前に手が伸びる。
「本で新しい知識を覚えるのはいい。何度でも考えられるし、立ち返れる。でもここからは、体が先に知ることになる。まるで違う世界に行くみたいだ……」
目の端で、マーが自分とシャイナを穏やかに見つめているのを捉える。
「……そうですね。お二人にとっては大きな変化かもしれません。でもその体験はきっとかけがえのないものになると思いますよ」
「だといい」
「オレはすでに結構楽しみだけどな」
シャイナが跳ねるように一歩を踏み出し、半身だけでこちらを振り返る。
「こんな経験なかなかできねーし、楽しいこともいっぱいあるって。いつもみたいに一緒に行けばなんとかなるんじゃね」
「お前らしいな」
「だろ?」
すっと手を差し出して、からかうように笑った。
「怖いなら、オレの手掴んどけばいいじゃん。いつもみたいにさ」
生意気な言葉に少しだけ口角が上がる。
シャイナの手を上から軽く叩くと、パチンと小気味良い音がした。
歩きながら答える。
「毎回怖がってるみたいに言うな」
「そうじゃなかったっけ?」
「違う」
「はいはい」
シャイナの返事は半ば笑いを含んでいた。
そのままマーにも声をかける。
「エチルスも行こう」
「ええ」
ビーはふと後ろを振り返った。
見慣れた森はいつもと変わらずそこにある。
ただ、自分たちだけ、その外側にいた。
「ビー、おいてくよ」
そんなに眺めたつもりはなかったが、シャイナの声は思っているより遠くから聞こえた。
「誰をだ。許可証預かってんの俺だぞ」
軽口を叩いて、二人の背中を追った。
◇◇◇◇◇
最初は左手が銃から離れなかった。
少しずつ自分の足で土を踏みしめ進んでいくと、その道が自分のテリトリーになった気がした。魔獣も出ず、草原は陽光を受けてのびのびとしていた。自然と体から余分な力が抜けていく。
歩き始めの頃は、シャイナも足取り軽く、あたりを忙しなく見ていたが、今は落ち着きを取り戻していた。
同じ歩調で隣を歩くシャイナは、つまらなそうに言った。
「景色変わんないもんだな」
「こればっかは仕方ないだろ」
「特に変わった動物が出てくるわけでもないし、見慣れない植物もない。他に人もいないじゃん」
「気が早い」
シャイナがお腹に手を当てた。
「てか、朝早かったし、腹減ってきた。お昼にしよ」
「ん」
後ろでは、マーが地図を見ながら歩いていて危なっかしい。そこへシャイナが呼びかけてしまう。顔を上げて何か言いかけた瞬間——前のめりにこけた。
「やべ、俺二回目」
「マーの不運もいつも通りだな」
不思議と和らいだ声が出ていた。
歩いた先に大きめの岩があり、その陰で風を避け昼食を取ることにした。
祖母のお弁当を広げる。並べた料理は相変わらず手がこんでいるし、量もちゃんと三人前ある。
マーが手際良く飲み物を用意してくれる。食べながら、空を見上げたり、シャイナと美味しいものを取り合ったりする。
場所は違えど、いつもの日常に近かった。
地図と方位磁石を見比べながら、マーがつぶやく。
「思ったより進んでませんね」
「そうなのか?」
「そうなの?」
「午後はもう少し頑張りましょうか」
「「はーい」」
午後は会話も減り、ひたすら前へと進んだ。この草原はだいぶ広いらしく、景色もほぼ変わらず、終わりがわからない分やけに長く感じる。遠くの山が少し近づいたかと思ったころには、空がオレンジ色に染まり始めていた。
比較的土が露出していて風の少ない場所を選び、マーの指示で野営の準備をする。
枝葉を集めて焚火を作ったり、寝床を整えたりして、夕食を取る頃にはすっかりあたりは暗くなっていた。
身体を一度震わせて、シャイナが言った。
「結構冷えるな」
陽が落ちると一気に気温が下がった。
目の前の焚き火が小さく爆ぜて、熱をくれる。
「街道ですし、危険は少ないと思いますが、念のため交代で休みましょうか」
マーがそう言った時には、月はすでに高く昇っていた。
最初はマー、ビーはその次に見張り番をすることになった。
焚き火から少し離れた場所に作った寝床に潜り込む。
「時間になったら起こしますね」
マーの言葉に黙って頷く。
疲れていたらしく、隣にいるシャイナはすでに寝息を立てていた。意外と自分の意識もすぐに落ちた。
数時間後、起こされるより先に意識が浮上する。眠気はすぐに去り、夜の冷たさが頬に触れた。
焚き火越しに、マーが分厚い本に何か書き込んでいるのが見えた。
「マー、代わる」
声をかけると、マーの肩がほんの少しだけぴくりとした。
「……起こしてしまいました?」
焚き火のそばまで進む。
「いや、いつもこんな感じだ。驚かせたか?」
「少しだけ、びっくりしました」
困ったように笑い、「じゃあお願いしますね。何かあれば、すぐに声かけてください」と言って離れた。
マーが寝入ると、途端に人の気配が遠のく。
風の音と草のざわめきと、虫の声。
時折思い出したように、パチリと火が鳴る。
夜中に起きてることなんてざらだ。
部屋にいて本を読んでいる時もあれば、屋根に登って空を見ている時もある。
その時、夜の闇は少し顔見知りだ。
星や月は見守っていてくれる。
レフュジュ村の夜は温かい。
でも今はどうだろう。
見慣れない空。
見知らぬ場所。
暗闇が逃げ道を塞ぐように迫ってくる。
空は静寂を湛え、ただそこにあるだけ。
同じ空を見ている、同じ夜を過ごしているだけのはずだ。
それなのに、とても冷たく感じる。
気づけば左手が黄金銃を握っていた。
久しぶりに夜が怖い——昔の感覚を思い出した。
軽く黄金銃の状態を確認していると、隣に誰かが移動してくる気配があった。
シャイナだ。
交代にはまだ早い。
「まだ寝てろ」
「寒い」
隣に来ると、外套を羽織り直しながら座り、こちらに体重を預けて寝始める。
追い払う気はしなかった。
シャイナの体温が移ってくる。
それだけで、夜を過ごせる気がした。




