第5話 日常に溶け込む
教室内にマーの包み込むような静かな声が落ちる。
何度か彼の授業を受けたが、やはりわかりやすかった。
難しい内容を噛み砕いて、言葉を変えて、実生活に基づいた内容と紐づけてくれるので、やけに頭に残る。
いろんな場所を見聞きしてきたらしく、たまに話の中に外の世界のことも混じった。
気候や土地柄が、家の造りや服装、そこに住む人の気質にも影響する。
そんな話は、生徒たちの興味を引いていた。
「ですので、存在しているものにはきちんとした理由があるんですよ」
その言葉が妙に頭に残った。
みんなも似たようなことを感じているのか、マーの話に聞き入っていた。
普段なら寝ているシャイナも起きていて、話に頷いたり、ちゃんとノートを取っていたりする。
ポツリと誰にも聞こえないようにつぶやく。
「明日は雪だな」
「なんか失礼なこと言ってない?」
小声で返された。
ちゃんと起きている。
そして放課後。
いつものように図書室で本を読んで、シャイナの宿題を見てやる。相変わらずマーの授業以外はほったらかしだ。
思わず呆れて、ペン先でシャイナのノートを小突く。
「マーの授業以外も頑張れ」
「がんばれない」
シャイナは、ノートから顔を上げて即答する。
「諦めが早い」
「ビーが教えてくれるし」
「開き直るな」
そんなやりとりをしていると、図書室の扉が開く。ここを好んでくる人は限られているので、自然と目が向いた。
マーがゆっくりとした足取りで入ってくる。何気ない仕草なのに、図書室にいる数少ない視線も集めていた。
マーはこちらに気がつくと、少し眺めてからにこりと笑った。
シャイナも気がつき、パッと顔を輝かせる。
相変わらずわかりやすい。
「あ、エチルスじゃん」
こちらに近づいてきたマーは、声を抑えて尋ねた。
「放課後はいつもこちらに?」
「そうだ。読書ついでにこいつの宿題見てる」
「ついでってひどくね?」
「ついで以外にあるか」
シャイナとのいつもの会話にマーがくすくすと笑う。
「どこいっても仲良しさんですね」
「そうか?」
「うん」
シャイナが、さも当然とばかりに首を深く縦に振る。
「頷くな」
「ほんとじゃん」
そのやり取りに、マーはまた楽しそうに目を細めた。
改めてこちらを見る。
「実は今日、ビーくんのお祖父さまに夕食をお誘いいただきまして。帰りご一緒していいですか?」
「もちろん!」
いの一番にシャイナが答える。
「だから、なんでお前が答える」
「答え一緒だろ」
マーが柔らかく微笑む。
「じゃあ、少し待っててもらえますか。準備してきますから」
「こいつの宿題がまだ終わらないから、ゆっくりでいいぞ。終わってなかったら、先に帰ればいい」
「やべっ! 置いてかれる」
「がんばれ」
気のない応援をする。
ノートにかじりつきながら、シャイナが必死な声を出す。
「エチルス、ゆっくりきて」
「はい、わかりました」
微笑みをたたえたまま、マーは図書室を出て行った。
「笑われただろ」
「気にしてんの?」
シャイナは頬杖をついて、なんでもないような顔をする。太陽色の瞳がこちらを捉えていた。
一息ついて、先を促した。
「早く手を動かせ」
「ビーが話しかけたんだけど」
「置いてくぞ」
「それは嫌だ」
シャイナが慌ててノートに向かったのを見て、また本に視線を戻した。
◇◇◇◇◇
「終わったぁ」
疲れたのか、シャイナが天を仰ぐ。
窓の外に目をやると、空は橙と深い青に染まっていた。
シャイナのノートをざっと見る。
汚い字が並んでいるが、ちゃんと宿題は終わっているようだ。
「ん、頑張ったな」
「もっと褒めて」
「ダメだ、調子に乗る」
タイミングを見計らったように、マーが図書室に戻ってくる。
「お待たせしました」
「今終わったとこだ」
「ナイスタイミング」
席を立つと、シャイナも同じように立ち上がる。荷物をカバンに入れ、図書室を出た。
三人で夕暮れが近づく道を、たわいのない話をしながら帰った。
——この時はまだ、普段より少し賑やかな夕食が始まると思っていた。




