第2話 やらかしの現場
脱いだ靴を引っ掴み、そのまま木々の間を駆け抜ける。
視線をちらりと空へ向けると立ち上る煙が見えた。
「またかっ!」
森を抜けて、垣根を飛び越えると自宅の庭へとたどり着く。
視線を素早く走らせ、煙の出所を探す。
案の定、祖父の離れの工房からきらめきを纏って刻々と色を変える煙が立ち上っている。
「ビー!!」
声の方に振り返ると、幼馴染のシャイナが小麦畑を突っ切って走ってきていた。
寝起き直後なのか、寝間着のまま、太陽色の髪には寝癖がついている。
それでも、身体のキレはいつもと変わらない。
柵を軽く飛び越え、すぐそばに着地する。
「じいちゃん、またやらかしちゃった感じ?」
「だろうな。離れの工房だ」
「おっけ」
短く言葉を交わすと、祖父の元へと急いだ。
「あそこってじいちゃんがなんか怪しげなもん作ってるとこだよな」
「魔術道具の修理や実験場所だな」
「ほとんどの原因ここだよな」
母屋と倉庫をつなぐ外廊下を蹴るように曲がり、たどり着く。
「そうだ」
あんなちゃらんぽらんな祖父だが、不思議と修理依頼や相談の手紙が途絶えることはない。仲間内からもその技術を買われているようだ。
悔しいがそこ「だけ」はビーが祖父を尊敬している部分でもある——「だけ」は強調しておく。
「ジジイ、無事か?」
離れの工房の外から、ビーは声をかけた。
中から反応はない。
立ち上る煙を眺めながら、シャイナがつぶやく。
「すっげ、煙が虹色じゃん。今日は派手だな」
「いつもだろ。火は……なさそうだな」
「燃えてないってこと?」
「あぁ、多分な」
ざっと外から見渡したところ、炎のようなものは見当たらなかった。
何かが燃える際の煤けた匂いや炎が発する熱も感じない。
窓ガラスにも割れやヒビはなく、ドアもいつもと同じように閉じられている。
腕組みしてシャイナが尋ねてくる。
「うーん、中入るか?」
「そうだな。緊急事態だ、ジジイも文句言わないだろ」
魔術関連のものが置いてある工房は、祖父母以外立ち入り禁止となっていた。
しかし、祖父の安否がわからない今、それを律儀に守る気はさらさらない。
「ドア開けるから気をつけろよ」
「りょーかい!」
靴を素早く履き、その辺りに置いてあった軍手をはめた。
一度耳を澄ませる。
中から物音はしない。
手の甲で軽くドアノブに触れてみた。
熱くはない、変形もしていない。
隙間から煙と甘い香りがかすかに漏れ出ている。
様子を窺いながら扉をゆっくり開いた。
薄く開けた扉から、新たな逃げ道を見つけた煙が星屑のような煌めきを伴って、我先にと這い出て空へと昇っていく。
「ジジイ、いるのか!? 死んでないなら返事しろ」
「ゲホッ、ゴッホゴホッ」
返事はないが、代わりに誰かが咳き込む音が聞こえた。
シャイナと顔を見合わせ頷く。
「いるんだな!」
中で人が動く気配を確かに感じる。
シャイナも隙間から覗きこんで言った。
「煙が減ってきてる。いけんじゃね」
「念のため煙はできるだけ吸うなよ」
「おっけー!」
「入るぞ」
二人は煙を避け、身を低くし、少しずつ中へと進んだ。
床には何かが散乱しているらしく、歩くたびに靴裏でジャリッと音がする。時折パキンと何かが割れる感触もあった。
初めて入る工房に心惹かれるが、今は祖父が先だ。
すぐ後ろをついてくるシャイナがつぶやく。
「じいちゃん、大丈夫かな」
「怪我の程度次第だな。悪運は強いが、歳が歳だ」
「そうだよな」
進みながら、シャイナに部屋の構造を簡単に説明する。
「この部屋には、確か真ん中に机がある。たぶんじじいはその周辺にいるだろ」
「ん、わかった」
立ち入ったことはないが、見たことがないわけではない。
奥に進むと煙は濃くなり、断続的に聞こえる咳き込みも近くなる。
動く影に手を伸ばす。
「ゴホゴホッ!」
「無事か?」
「…ゴホッ、ビーか。わ、わしゃ大したことない」
小さく丸まった背中が咳き込むたびに震えた。
素早く祖父チェロベックの状態を確認する。
受け答えもできているし、見る限り大きな怪我はなさそうだ。
シャイナも心配そうに声をかける。
「じいちゃん、大丈夫? 動けそう?」
「お、おおう、シャイナくん。毎回毎回すまんねゲホッ」
「もう慣れてるよ」
シャイナが苦笑する。
「迷惑かけてる自覚あんなら、もうちょっと慎重になれ、ジジイ」
ひとまず、最悪の事態ではなさそうだ。
話しているうちに、周囲の様子がより鮮明になってくる。
火事ではない、煙だけ。
出所は机の上にある分厚く大きめのすり鉢の中からのようだ。あの爆発音から想像するに、粉々に砕け散っていても良さそうなものだが、乳白色の表面にはヒビすら入っていない。
引き出しがたくさんついたチェストやガラス瓶が陳列されたラックにも大きな損傷はなさそうだ。
ざっと周囲の安全確認をし、祖父を促す。
「ジジイ、歩けるか? とりあえず外に出るぞ」
「だ、だいじょぶじゃ」
「ほら、こっちつかまって」
シャイナが差し出した手を祖父は掴んだ。
老体を支えられるよう、ビーは祖父の腕をくぐり肩に担いだ。
慣れた動作で二人は母屋側の近い出入り口の方へと進む。
外に出ると、心配そうな顔をした祖母カローシェが待っていた。
「まぁまぁ、おじいさん。大丈夫ですか?」
「カローシェちゃん……」
祖父は年甲斐もなく瞳をうるうるさせて、二人の手を離れ、祖母に抱きつく。
いつもの光景だ。
ため息とともに、肩から力が抜けた。
無事だとわかると、ビーは工房の中が気になってくる。
視線は勝手に中へ向いた。
見慣れぬ鉱石類。
ラベルの貼られた色とりどりの小瓶。
森では採取できない草花を植えたプランター。
薬草などをすりつぶすためのすりこぎ。
薄い紅色の液体が入ったガラス瓶にスポイト。
普段は盗み見ることしかできない場所なだけに、心は勝手に湧き立つ。
「なんか面白いもん、いっぱいあるな」
シャイナがいつの間にか後ろに立っていた。
ドア枠に手をかけて、背中越しに中を覗く。
普段魔術にあまり興味がないシャイナも、自分と同じようにキョロキョロと工房の中を見回している。
「そういえば、お前寝間着だな」
「飛び起きて、そのまま来たから」
「お前の部屋、二階だろ。窓からか?」
「もちろん」
ビーの目線が一度下に落ちて、再びシャイナと目を合わせる。
「でも、靴履いてるな」
「部屋にいつも置いてる」
「用意万全だな」
「誰かさん対策」
「誰だ」
「誰ですかね」
シャイナがイタズラっぽく笑って、顔を覗き込んでくる。
「近い」
「いてっ」
軽く叩いて顔を押し戻した。




