第2章 プロローグ
深い霧の中、一匹の子ウサギが森を駆けていた。
その息は荒い。
時折止まっては、何かを警戒するように耳をぴんと立てる。
上体を起こし、周囲を素早く見回す。
鼻が細かく動く。
薄紫色の柔らかな毛並みは、走り抜けた霧と朝露で濡れていた。
そしてまた、何かに追われるかのように、草むらに飛び込んだ。
木の根を避けきれず、足が引っかかる。
そのまま地面に倒れ込む。
痛みはある。
それでも、すぐさま起き上がる。
ただひたすらに駆けた。
自分の呼吸音と土を蹴る音だけが耳を満たす。
どのくらいの間、走り続けていただろうか。
小さい心臓は破裂せんばかりにドクドクと脈打つ。
一歩ごとに泥の中を行くような重さがまとわりつく。
それでも、脚は止めない。
しかし、小さな体は限界に差し掛かっていた。
気持ちだけが前を走る。
体を動かしている感覚でさえ、薄くなっていく。
そう思った時だった。
急に霧が退いた。
視界が一気に開ける。
そこは初めて目にする世界だった。
疲労を帯びた深いラベンダー色の瞳に三日月が微笑む。
いたわるように穏やかな風が柔らかな毛並みをなでていく。
しばし眼前の光景に見とれた。
仰ぎ見れば星が煌めく広い夜空。
どこまでも続いているかのような草原。
初めて嗅ぐ乾いた土の匂い。
風の向こうからかすかに届く、知らない気配。
はっ、と子ウサギが我に返り、慌てて周囲を見渡した。
背後には霧深く暗い森が音もなく鎮座している。
一度身震いすると、前を向いた。
ラベンダー色の瞳は、闇の中の草原を見据える。
——再び、足を踏み出した。




