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章間 黒の残響

鉱山から帰って、数日が経っていた。


書庫が開放されてからというもの、ビーは本の虫ぶりに拍車がかかっていた。

暇があれば書庫に行くし、学校では授業中にまで持って来た本を読んでいることがあった。


昼休みの今でさえ——


学校の裏庭にある大きな木の根元。

いつも二人でいる場所。

今日も肩が触れそうな距離で座っていた。

隣に座るビーは、細かい文字や難しい言葉がびっしりと並んだ本に集中している。

しかし、時折眉間に皺を寄せたり、軽く頭を振ったりする。その目の下にはうっすらクマも浮かんでいる。

視線は文字を追って素早く動くものの、何度か同じ箇所を読んでいる時もあるようだ。


たぶん、鉱山の一件と書庫を開放してもらえたこと。

それがきっと、いつも以上に本を読んでいる理由だろう。

そして、日課の鍛錬でもこれまで以上に自分を追い込んでいる。


他人の無謀には怒るくせに、自分の無茶は勘定に入れない。

心配するこっちの身にもなってほしい。


——でも、この辺りで一回無理矢理にでも止めといた方がいいな。


ビーの頭が少しふらつく。

「ビー、少し寝たら?」

「……そうする」


素直に聞き入れたところを見ると、ビー本人も疲れ具合をわかっているのだ。

いつものように肩に預けられる重さに、胸を撫で下ろす。

規則正しい寝息がすぐに聞こえてきた。


構ってもらえない寂しさはあるが、無茶したくなる気持ちもわからなくもない。


あの時、オレたちは、ビーの力がなければ帰って来れなかったかもしれない。

頭をよぎるだけで、心臓が握られたように息が詰まる。


あの得体の知れない黒いものがなんであれ、助けられたことは事実だ。


黒い波の中に引き込まれかけている、ビー。

もう二度会えないような気がして、そんなのは絶対に嫌で、咄嗟に手を伸ばした。

掴んだ手はゾッとするほど冷たくて、でもすぐに自分の体温が伝わっていった。

無我夢中だった。

何がどう作用したのかもわからない。

でも、掴んだ手は絶対に離したくなかった。


自然と左拳を握りしめる。

黒いものは、正直怖い——

あれは、この世界にあってはならないものだ。

先の見えない深く暗い穴をのぞき込んでいるような、それでいてやけに親しげに手招きされているような感覚。


穏やかな顔で眠るビーに視線を移す。

白い頬にかかる、短い銀髪が風に揺れている。

その顔はやはり、いつもより精気がない。

起こさないように、ビーの頭にそっと頬を寄せる。


黒いもののことはわからない。

でも、ビーはビーだ。

昔から一緒で、これからもそばにいる。

その気持ちは今も変わらない。


幸いなことに、あれから黒いものは出てきていない。

軽く模擬戦も試したが、変化なし。


本人に聞いたところ——

「ね、ビー。あれから体が重いとか、動きにくいとかある?」

「……わからん。そんなような気もするし、そうでもない。

正直誤差範囲内ってところだな」

「他に変わったこととかは?」

「……いや」

一瞬ビーの目線が逸れた。

「今、なんかある間じゃなかった?」

「気のせいだ」

「ほんとに?」

「なんかあったら言う」

「絶対だよ」

「……面倒だな」

「絶対!」


思い出して、ため息が出た。

——本当なんだったんだろうな。

でも、昔あんな感じのを見たような……。


ジリリリリ……


昼休みの終わりを告げるベルが校内に響く。


「あ、予鈴だ。ビー、そろそろ戻らなきゃ」

「……ん」

「寝れた?」

「よく寝れた」


先に立ち上がって、ビーに手を伸ばす。

ビーは迷わず、その手を取った。


その瞬間、もっと小さい手の感触が重なる。

ずっと昔にも、こうしてビーの手を引いたことがあった。

何から助け出したのかは、ほとんど覚えてない。

ただ、その時初めて見た銀の瞳。

その奥に宿っていた強い輝きは、今も鮮明に思い出せる。


握り返したビーの手には、いつもの力がなかった。


「最近夜中起きてるだろ」

「寝てはいる」

「今日は寝るまで帰らないから」

「は?」

「一日ぐらいちゃんと寝ろよ」

「……」


ビーはバツが悪そうにして、話題を避けるように歩き始める。

すぐその横に並んだ。


「無茶すんのもわかるけど、オレは心配すんの」

「知ってる」

「じゃあ、わかるだろ」


ビーから短いため息が漏れた。


「わかった。今日はちゃんと寝る」

「夜中も」

「……起きない」

「よろしい」



◇◇◇◇◇


教室に戻る道すがら、答えなかった質問について考えていた。

シャイナにはまだ言っていないことがある。


「黒」は、昔から夢の中にいる。

頻度は変わらない。

内容も似たようなものだ。


しかし、あの日以来、確実に変わったことが一つある。

黒の奥深くから、視線を感じるようになった。


こちらを黙って、じっと見てくる。


姿はない。

でも確かに、何かいる。


あの力は使いこなせるようなものではない。

むしろ、いつもそばに潜み、こちらが少しでも隙を見せれば、たぶん飲み込まれる。


反面、あの力があればと願う気持ちがないわけではない。

強くなりたい、もっと。

そうすれば助けられるかもしれない。

誰かが傷つくのを防げるかもしれない。

もう何も失わないかもしれない。

ここにいてもいいのかもしれない。

でもそれは——


「ビー、何考えてんの?」


こちらの考えを見透かしたかのように、シャイナがこちらを覗き込んでいる。

太陽色の瞳には、あの日自分を引き戻した熱が宿っているようだった。

直視できず、視線をずらした。


「何でもない」

「ほんと? なんか変なこと考えてない?」

「気のせいだ」

「返事が食い気味じゃん」

「お前は俺を観察しすぎる」

「そうじゃないと、言ってくんないじゃん」


さも当然に言ってくる。


「……」

「ほら、合ってる」

「うるさい。早く行かないと遅れるぞ」

「寝てたのビーなんだけど」


苦情は聞かずに、教室へと急いだ。


シャイナに言っていないことは、まだある。

あの黒に対して、ほんの少しだけ懐かしいと思ってしまったこと。


それは寂しさにも、苦しみにも似ていた。

はっきりとはわからない。


それは空白の記憶の向こうにつながっている。

あれはずっと自分を待っていた。

なぜか、そんな気がした。


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