第1話 いつも通りの朝(1)
ビーは静かにベッドに腰掛けた。
手にした黄金銃を眺め、銃身側へ折り開く。
弾数を確認してから、元に戻した。
ガシャン、と鈍い音が耳にすっと馴染む。
銃に触れ、いつもと同じ感覚に心が少し凪いだ。
ふと窓を見れば、カーテンの隙間から差し込む日差しはまだ朧げで、空のかけらにはオレンジと薄い水色が混じっている。
いつもこのくらいに目が覚める。
音を出さないよう立ち上がり、机の上へ銃をそっと置く。
寝間着を脱ぎ捨て、椅子の背に掛けられた服を手に取った。祖母がここにいつもかけておいてくれるものだ。
白いタンクトップを、銀髪の頭から無造作にかぶる。短い髪の毛先は寝癖ではねている。
長ズボンは、ずり落ちないよう腰紐をきつく縛る。ホルスターのベルトを腰へ巻き、銃を収めると、いつもの重みが腰に戻った。
「よし……」
足音を忍ばせて部屋の外に出ると、静けさに息を呑む。祖父母は自室で寝ているはずだ。
そっと裏口から庭に出た。
心地よい風が頬を撫で、森の匂いが鼻腔をくすぐる。肺に入る冷たい空気に、ようやく息をしていると実感する。
いつもと同じ朝だ。
首を回し、手足を伸ばし、体をほぐしていく。
庭の向こうには勝手知ったる森が広がり、少し行けば大きな湖がある。
二、三度その場で飛ぶと、ビーは一気に走り出した。
柵を飛び越え、木々の合間をすり抜ける。
枯葉を踏み散らし、小枝を踏み折り進む。
道を塞ぐ根を飛び越え、岩を蹴る。幹を足場に低い枝に跳び上がり、さらに上の枝へと登る。そこから跳躍して地面に着地。勢いを殺すことなく、さらに森を走り抜ける。
体の動きに違和感はない。
湖が目に入り、右前方へ進路を変え、空気を滑るように進む。
腰に携えた銃に左手を添えて、邪魔にならないよう押さえた。
周囲の景色が溶けるように一瞬で飛び去り、遅れた自分の足音が後ろからついてくる。
――まだ、足りない――
どこまでいけば安心できるのか。
焦燥感と不安を振り切るように、無駄な動きを削って獣道を駆ける。
森を一通り走り回り、家の柵が見えてきた時、急に小鹿が飛び出してくる。
踏み込み位置を調整し、小鹿と家の柵を一足飛びに越える。
着地と同時に軸足に体重を乗せて、減速する。靴底が庭の砂を削り、砂埃が舞い上がった。
長めの息を吐いて、額の汗を拭う。
「よ、おかえり」
聞き慣れた声に、一瞬体が強張った。
シャイナは柵の向こうの小麦畑から、こちらに歩いてくる。
「……シャイナ。珍しいな」
「たまにはな」
向けられた変わらぬ笑顔に、小さく肩の力を抜く。こちらの動揺には気が付かなかったようだ。
シャイナが軽く庭の柵を飛び越えると、ラフに伸びた太陽色の髪と腰に巻いた赤いスカーフが軽やかに揺れる。 少年は近くに置いてあったタオルを取ると、ビーに放り投げた。
「ほい、タオル」
「ん」
「なんかあった?」
シャイナの声のトーンは、挨拶してきた時と同じだ。太陽色の瞳がこちらをじっと見ている。
視線を合わせれば見抜かれるような気がする。
受け取ったタオルで汗を拭きながら、何でもないように聞き返す。
「……何がだ?」
「さっき声かけた時、変じゃなかった?」
嫌なところに気がつく。
「……問題ない」
「本当に?」
「平気だ」
シャイナから呆れたような笑いが小さく漏れる。
「今日は珍しく目が覚めてさ、ビーは庭かなと思ってきてみた」
「そこの窓から見てたんだろ」
そう言って、ビーは小麦畑の向こうに見える一軒家を顎で指す。
「げ、なんでわかんの」
「タイミングが良すぎる」
汗を拭き終わると、無言で地面に片手をついて、腕立て伏せを始める。
それを横目に、シャイナは家の白壁に背中を預け、あぐらをかいて座った。
オレンジがかった瞳を細めて、こちらを眺めている。
汗が頬をつたい、腕を流れる。手や足が震えても止まらない。
何に追い込まれているのか、自分でもわからなくなる時がある。体を動かしている間は、その不安を遠ざけられる気がした。
先に身体が音を上げ、どさりと地面に倒れ込んだ。
その後もいくつかの鍛錬をこなし、汗を拭う。
そろそろ締めにするか。
壁際では、シャイナが飽きることなくこちらを見ている。
ビーはそちらへ歩み寄った。
「シャイナ、ちょっと付き合え」
「まじで? 見学希望」
「諦めろ」
手を差し出すと、口では文句を言いながらも半ば反射みたいに手が伸びてきた。
握り返された手の温かさに、ビーの口角がかすかに上がる。
「ちぇ」
「お前は身体能力高いんだから、もったいない」
「勝手に決めんなよ」
口を尖らせながらもシャイナは立ち上がると、黒いズボンについた砂埃を叩く。
腰につけた炎の装飾をまとった短剣がカチャンと音を立てた。
「オレ、準備運動とかしてないんだけど」
「お前なら大丈夫だろ」
「無茶いうなよ」
なんだかんだ言いながら、シャイナは軽く体を動かしている。
ビーは手頃な枝を二本拾った。
銃や剣より軽いが、何も持たないよりはいい。
「これが武器代わりな」
「おっと」
拾った一本を投げ渡すと、難なく受け取る。
「えー、軽くガチじゃん」
「ガチじゃなきゃ意味ないだろ」
「あれ、右手? 左手じゃなくて?」
よく見てるな、とビーは思う。
「左手は銃、剣使うなら右手になるだろ」
「……ガチじゃん」
「いつもだろ」
「ま、嫌いじゃない」
ビーが重心を落として構えると、シャイナも間合いを取って相対する。
砂を踏み締める音さえも響く。
——最初に仕掛ける。
大地を力強く蹴ると、そのスピードのままシャイナに突きを放つ。
「――っ、早っ!」
ビーの突きが、シャイナの体のすぐ横を掠める。
寸でのところで身を捻ったシャイナが、すかさず上段から打ち込んでくる。
ビーは重心を下げ、右手の枝でその一撃を受け流す。
「甘い」
受け流すと同時に、シャイナの後ろに回り込む。横一閃。
手応えがない。
見れば、シャイナは地面を蹴って空中へ退いていた。
シャイナは少し離れた場所に着地する。
その顔には緊張と楽しさが乗った笑みが浮かぶ。
ビーの口元も、わずかに緩む。
――相変わらず、油断できねぇ――
乾いた枝が激しくぶつかり合う。
打ち込み、流し、踏み込み、離れる。
だが、決定打には届かない。
相手を制するには、今一歩踏み込む必要があった。
ビーは息を吐くと、腰を落として構え直した。
シャイナの顔からも笑みが消えていた。
――次で、決める――
シャイナの視線が鋭くなる。
獲物を仕留める狩人のように、ビーはそのわずかな動きも見逃すまいと目を凝らす。
ビーは枝を握る手が冷えていくように感じた。
小さな違和感。
だが、この集中を切らしたくなかった。
同時に駆ける。
ビーは下からの切り上げ、対してシャイナは上から垂直に振り下ろす。
ガキィーーーーンッ!!
異質な金属音が鳴り響いた。
木の枝がぶつかって出る音ではない。
「「!?」」
衝撃に押し返されるように、二人とも後方に飛んだ。
すぐに声を出せなかった。
シャイナも口を開けたまま、こちらを見ている。
ビーは静かに右手の中にある枝を見つめた。
見た目も、質感も、さっき拾った時と何ら変わらない。
ようやくシャイナが抗議の声を上げる。
「……ビー、魔術は無しだろ!」
「……使ってねぇ」
「本気だしすぎ……って、使ってねぇの?」
シャイナが駆け寄ってきた。
ビーは枝を左手に持ち替え、右の手のひらを見つめる。
指を開き、軽く握る。
手に感じた冷たさは、もう残っていない。
シャイナも覗き込んでくる。
「「なんだ、……今の」」
二人の声が重なり、顔を見合わせた――その時。
ゴガンっ!!
「ぎゃーっ!?」
ドシャアアア――ン!!
盛大な音が静かな森に響き渡る。
「あ?」
こめかみがぴくりと引きつった。
「……すげぇ音したな」
シャイナの目線が自然と音の出た方、ビーの家へと向く。
「――またか!」
ビーは小さく舌打ちすると、裏口へと駆け出した。
シャイナも自然とその後を追う。
※2026年10月13日 改稿




