影の国の救世主・黒騎士ロウ
タイカンの鎧に血が滴る。
口からも血が溢れ出し、ようやくタイカンも自身が刺されたことに気がついたようだった。
「なっ──!?これ、は──」
「イッヒヒヒ……良くねえなぁ、城塞騎士さんよぉ」
「オマエの役目は救世主の奪還だってのに、あろうことか救世主と共闘して味方に刃を向けるなんてよぉ」
タイカンの背後から声がする。
耳にまとわりつくような、不快な声音。
「……っ!ヴェネーノ、貴殿の仕業か……!」
「部下たちを操り、毒を盛ったのも……!」
タイカンの身体から剣が抜かれると、ハルバードにもたれるようにかろうじて立つ。
彼を刺した張本人──ヴェネーノが姿を見せる。
白銀の鎧に、血のように赤黒いボロボロの外套。
緑と紫のツートンカラーの髪。
ニヤついた口から覗く歯はサメのようにギザギザしている。
蛇を思わせる三白眼は、俺たちを見下しているのが嫌でも伝わってきた。
「その通りぃ……薬と毒でちょちょいとなぁ……」
「ヒッヒヒヒ……!テオドールが俺を寄越したのも納得だなぁ……!」
「簡単に絆されちまうお前を、あの人は信用しきれなかったんだなぁ……!」
湾曲した刃を持つ剣をクルクルと回し、血を飛ばす。
残った血を蛇のように長い舌で舐め取って、今度は俺に目を向けた。
ただ見られただけなのに、背筋が凍った。
「ヒッヒヒヒ……そうビビんなよぉ」
「今回の目当てはオマエじゃねぇ」
「──裏切り者の粛清。それが今の俺の仕事だからなぁ」
タイカンを蹴飛ばし、倒れさせる。
そのまま剣を振りかぶり、首めがけて振り下ろす──
「──あぁ?」
振り下ろされた剣は、盾に阻まれた。
俺が防いだ。
「──そっちの事情は知らないが」
「わざわざ見殺しになんてできるかよ──!」
「再錬成!」
盾を剣に作り変え、押し返す。
そのままさらに踏み込んで斬りかかろうとするが、ヴェネーノが睨みつけた途端、身体が痺れたように動かなくなった。
力を込めているのに、身体に伝わらない。
指一本すら、小さく震わせることしかできなかった。
「っ──!?」
「おぉ怖ぇ。まぁ仕事は済んだし、ここは退散としますかねぇ」
俺を睨みながら右手を伸ばすと、その先に黒い穴が空いた。
「──っ!待て!」
動かない身体を必死に動かそうとする。
その様子を、ヴェネーノは冷めた目で見ていた。
「あー、無駄無駄ぁ」
「俺に睨まれたらしばらくは動けねぇよぉ」
「特別に、口は聞けるようにしてやってるがなぁ」
嫌味な笑い声を上げながら、ヴェネーノが穴に向かって歩き出す。
「──なら、ユーゴとテオドールに伝えておけ」
口が聞けるなら、ずっと言いたかったことを言ってやろう。
今までずっと避けていたこと。
自分には似合わない、荷が重い、小っ恥ずかしいと、逃げ続けていたこと。
「──黒騎士ロウ。影の国の救世主として、陽の国を相手に剣を取るってな!」
「──ほぉ?」
俺の言葉を聞いたヴェネーノが、気だるげに振り返る。
その目から放たれる敵意が、俺を刺す。
「分かった、ちゃーんと伝えておいてやるよぉ」
「“どうぞ容赦なく殺してくれって、救世主様が言ってた”ってなぁ!」
ヒヒヒと笑い声を上げながら、ヴェネーノが穴の中に消えていく。
背筋を凍らせる冷たい空気が消えた。
同時に硬直していた身体が解放される。
慌ててタイカンの元に駆け寄るが、彼はすでに虫の息だった。
「タイカン!おい!しっかりしろ!」
「翠!鞍袋を!」
翠に指示を出して、鞍袋から医療キットを取り出す。
止血薬と包帯。
今できる限りの手当を行い、翠の背中に乗せる。
「翠!レインのところに!急げ!」
手綱を引き、翠を走らせる。
「……ロウ、殿」
「もう、助かりません……どうか、ここで……」
「バカ言うな!諦めんな!死なせるか!」
タイカンの掠れた声を、大声でかき消す。
手綱を握る手に力が入る。
翠の尽力もあり、レインのいる仮設病院には想定以上に早く着いた。
大急ぎでレインにタイカンを預けるが、彼女の顔は複雑だった。
「──失血が多いです。手は尽くしますが、助かるかどうか──」
「そこをなんとか頼む……!聞きたいことがまだたくさんあるんだ!」
俺の頼みに、レインは無言で頷くだけだった。
彼女にタイカンを預けたあと、仮設病院の一帯を歩く。
思った以上に、怪我人が多い。
人も、獣人も。
男も、女も、子供も。
みんな、泣いていた。
さらに奥へ進むと、顔に布をかけられた人々が並ぶエリアに来た。
──ここは、霊安所か。
慌ただしく動き回る看護兵たちの間をすり抜けるように歩く。
この街に暮らす人々の他にも、俺が倒した陽の騎士たちも、ここにいた。
布の下の顔を確かめる勇気は、俺にはなかった。
心臓の鼓動が速くなる。
救えなかった人々の姿が胸に刺さる。
霊安所を後にして、再び病院区画に戻る。
端の方に、見慣れた男がいた。
「──アッシュ」
「……よう、黒騎士」
身体のあちこちに包帯を巻いたアッシュが、地面に敷いた布の上に座っていた。
「そのケガは──」
「タイカンにやられた。今回で二敗だよ、チクショウ」
バツが悪そうに目を逸らす。
あの後、どさくさに紛れてリベンジしに行ってたのか。
「──悪かった。俺が軽率だった」
「あそこで俺が斬りかかったせいで、街に被害が出た」
「人が死に、多くの人を泣かせた」
「その上私情を優先して戦いを挑んで、挙句負けてここに運ばれた」
「──影の国の兵士失格だ、俺は」
アッシュが目に涙を浮かべ、謝罪する。
強い後悔の念が宿った目。
小さく肩が震えていた。
「──やれることは、やったんだろ」
「俺もそうだ。救えなかった人が大勢いる」
「……もっと、たくさん守れるようになろう。アッシュ」
アッシュの前にしゃがみ、肩を叩く。
俺も、涙がこぼれ落ちそうだった。
仮設病院を出て、自室に戻る。
部屋に入った瞬間、どっと疲れが込み上げてきた。
ベッドに倒れ込み、思い返す。
信じられないほど、怒涛の一日だった。
タイカンとの交渉、決闘。
陽の騎士の乱入。
そこから始まった戦争。
救えなかった人々の亡骸と、傷ついた人たちの顔。
拳を握りしめる。
あの決闘で、俺が負けていればこうはならなかったのか。
あそこでアッシュが斬りかかってなければ、こうはならなかったのか。
どれだけの“もしも”を考えても、現実は変わらない。
街は壊され、人が死んだ。
影の国の人たちだけじゃない。
陽の国の騎士も、大勢死んだ。
何のために戦ったのか、考えるほど胸が苦しくなる。
涙で枕を濡らしそうになり──
「──ロウ。入っても、いいですか?」
ノックと共に、リエルの声が聞こえた。
「……リエル」
「空いてるから、入ってくれ」
「──失礼、しますね」
リエルが静かに部屋に入ってくる。
普段なら立っているかベッドに座って迎えるが、今日はそんな余裕もなかった。
「お疲れ様です、ロウ」
「今日は、本当に大変な一日でした」
リエルがベッドに座り、俺の頭を撫でる。
労うような、慰めるような優しい手つき。
「病院で、みんなの顔を見てきた」
「……霊安所にも行ってきたよ」
ポツポツと、口を開く。
「助けられなかった人が、たくさんいた」
「たくさんの人が、泣いていた」
「……俺は、どうしたら良かったんだ」
さっき引っ込んだ涙が、またじわりと溢れてくる。
「……できることは、し尽くしました」
「あなただけではありません。ここで暮らし、守ろうとする者全てが、手を尽くした」
「……だから、それでも取りこぼしてしまった命に、祈りを捧げましょう」
「次は守り抜けるよう、強くなりましょう」
「──そのために、今は思い切り、泣いてもいいのですよ。ロウ」
優しく頭を抱えられ、膝に乗せられる。
そのままゆっくりと、頭を撫でられる。
張り詰めていたものが、音を立てて崩れた。
──リエルの膝枕に顔をうずめ、ひたすら泣いた。
ぐずる子供のように、ぐしゃぐしゃに。
リエルは、何も言わなかった。




