第一章 saide白銀の髪の少年―逃げ出した若君―⑧
ローグレンからベルネシュへ戻る道中、ロナンは以前より口数が少なかった。
国境を越えまた数日の旅を続ける。やがて、ロナンにとって慣れ親しんだ故郷の風景が広がり出した。
麦畑とゆるやかに続く丘陵。そのさらに遠くに見える、父の住ま領主館。
ロナンの足が止まった。
「……帰りたくない。」
ぽつりとこぼれた言葉に、ジンが振り返った。
ロナンはジンとユーナの半歩後ろで、力なくうなだれている。
「帰ったら、きっと父上に怒られる。」
ジンは何でもない事のように言った。
「まあ、当然だな。」
ロナンはますます俯く。
「……勘当されるかも。」
「そうかもなあ。」
面倒くさそうな気のない返事をされる。
「投獄されるかも。」
「領主印盗んだからな。お前。」
そこでロナンはたまらず顔上げてジンを睨みつけた。
「少しくらい慰めろ!平和の使者だろ!」
「平和の使者は馬鹿を甘やかす仕事じゃねえ。」
「馬鹿って言うな!……馬鹿なこと、したかもしれないけど……。」
ジンに言い返す言葉も、自分のした事を思い出し、次第に小さく、頼りなくなっていく。
「師匠その辺にしてあげてください。もう十分反省していますよ。」
見かねたユーナがたしなめる。
「反省して当然だ。」
そういうと、ジンは遠くを見る。視線の先には、ロナンの父の領主館。しかし、さらにその先を見ているような瞳だった。そして言った。
「だが、まぁ。取り返しがつくうちに気づいたなら、それでいい。」
ロナンはにはその言葉に込められた本当の意味が理解できなかった。
ユーナにもわからない。
ジンだけが知っている。取り返しがつかなかった記憶をなぞって、こぼれ落ちた言葉だった。
一瞬の沈黙の後、ロナンが言った。
「……父上は、僕を嫌いになったかな。」
ジンはしばらく黙った。
「さあな。俺はお前の親父じゃない。気になるなら、自分で聞け。」
突き放すような返答に、ロナンは黙って俯いた。
ジンはロナンをしばらく見つめると、何も言わずにまた前を向いて歩きだした。
けれど、少し前を歩くジンの速度は、ロナンがついてこられる程度にいつもより遅かった。
とうとう領主館に到着した。
館の前には父がいた。
ロナンが歩みを止めて父を見る。
父もロナンを見つめている。そして、こちらを見つめたまま、一歩、二歩、父が近づいてくる。
ロナンは父の顔を見るのが怖くなって俯いた。
目の前に父がやって来た。ロナンは父の足先を見ながら、俯いたまま言葉を絞り出した。
「父上、この度は、大変申し訳――」
「この大馬鹿者っ!!」
俯くロナンの言葉を遮って、目の前に立つ父が大きな声で怒鳴った。
「お前、自分が何をしたかわかっているのか!」
ロナンは唇を嚙み、こぶしを握って頷く。
「……はい。」
「一歩間違えば戦争だった!」
「はい。」
「何人の民が死んだと思う!」
「……はい。」
「お前は――」
そこで父の言葉が途切れた。
怪訝に思ったロナンが俯いた顔を上る直前、父の腕がロナンを抱いた。
「……よく、生きて、帰った。」
絞り出すような、声だった。
「この馬鹿息子が。」
続く父の声が震えていた。あの、厳格な父の声が。
その声を聞いて、ロナンの瞳から堪えられない涙があふれた。
一度あふれ出した涙は止まらかった。
ロナンは父の胸で幼い子供のように泣いた。
少し離れた場所ではユーナがほっとしたように笑っていた。
ジンは、何も言わなかった。ただ、その光景を少し眩しそうに見ていた。
数日後、ロナンは領地の砦の上からジンとユーナを見つめていた。
二人は街道を東へ向かって歩いていく。
あの父との再会の後、ジンはアルカの使者として今回の今回の一件の経緯を父に報告した。
あのローグレンの領主はこれから王都で取り調べを受けたのち、しかるべき処罰が下されることになっているのだそうだ。
隣国の領主に対する行為はあくまであの領主の独断で、ローグレン王国としてはベルネシュに自由連合王国に敵対するものではない。と、いうのがローグレン王国側の主張だという。
ひとつ間違えればローグレンとベルネシュの間で戦争が起こる可能性もある。ローグレンとしては自国の領主に厳しい処罰を下すのでベルネシュ側もそれで納得してくれ、ということらしい。
実際、今回の事件に関して深く追求すれば、ロナンが領主印を持ち出したことにも触れねばならない。そうなればロナンもお咎めなしとはいかないだろう。
「ご子息のためにも、ローグレンの領主が本国で処罰を受けることで、今回の件は手打ちにするのが賢明だと思うが、どうする?」
ジンの問いかけに、父は、「使者殿の判断に従おう。」と深く頷いた。その後ロナンは館にて謹慎を言い渡され、今は素直に反省中という訳だった。
息子を助けてくれた礼にと、父は二人をもてなそうとしたが、ジンはあっさりとそれを断った。次の任務のため、街で数日過ごして準備が整い次第出発するのだという。
別れを惜しむ様子もなく、「じゃあな。」と背を向けるジン。その隣で、「お元気で。」とぺこりと頭を下げるユーナ。
そうして二人は去っていった。
そして今日、領地の砦の警備兵から、アルカの使者が出立したという報告を聞き、居ても立ってもいられず、こうして砦の上から彼らの姿を見送っているのだった。
ベルネシュ自由連合王国。ローグレン王国。その先に、さらに広がる他の国々。
そこには王がいて、領主がいる。国境があり、人が住んでいる。人間とエルフの血を引くものがいて、欲望や憎しみがある。
時はたった一つの銀印が何千人もの命を奪う戦争の始まりになるかもしれない。
その争いの火種を見つけ出し拾いあげるために、国から国へ旅を続ける者たち。
王冠に仕えず、旗に仕えず、ただ平和に仕える者たち。
〈アルカ・パクシス〉、平和の箱舟、平和の使者。
その中にジンと名乗る、ひどく酒好きで、だらしがなく、それでも剣を握れば誰より強い男がいる。
そして、 ユーナという、優しくて他人を放っておけない、少年がいる。
遠く離れた二人の影。ユーナがジンに向かって何かを言ったように見える。
もちろん、遠すぎるのでその言葉が聞こえる筈はない、だが、ジンが面倒そうに答える様子が何となく想像できた。
きっとまた、ユーナが師匠を叱って、ジンが適当に誤魔化しているのだ。やがて二人の姿が丘の向こうに消えていった。
――これは、七つの国を巡り、平和を守るという言葉を背負った二人の物語。
そして、ユーナという少年と、ジンと名乗る男の、互いの過去と未来の全てを知らない、奇妙な師弟の物語。




