第一章 saide白銀の髪の少年―逃げ出した若君―⑦
領主の合図と共に、兵士が動いた。
アルカの使者である師弟に殺到するが、ジンも剣を抜き応戦する。
盗賊の時とは違い、ここは広間といえども限られた空間である室内だ。
多くの人数を相手にするには分が悪い。
しかし、それでもジンの強さは圧倒的だった。
剣が交わり、金属の甲高い音が響く。
ジンは一歩踏み込み、相手の剣を弾く。素早く身を躱し、切りこんでくる兵士の胸を柄で打つ。
「ユーナ!」
剣を振りながら師は弟子を呼ぶ。
「はい!」
弟子も短剣を手にジンに続いて近くに兵士を相手にする。
師弟は互いを見ていない。見ていないはずなのに、二人の動きは互いの位置を完璧に把握しているかのように息の合ったものだった。
「左!」
ジンの掛け声に合わせてユーナが敵をかわす。ジンがその隙を使って相手を倒す。
「下がるな!」
「はい!」
ユーナが一人を引きつけ、ジンが倒す。
ジンの死角へ回った兵士をユーナがけん制する。
ロナンは兵士たちが二人に向かっている間に、壁際へ逃れようとした。
それに気づいた領主がロナンを指さし、「逃すな!」と命じる。
兵士が自分の背後から迫る気配を感じ、ロナンも剣を抜こうとした。
だが、遅かった。
背後から切りつけられる。兵士の振るう刃が掠めた。
瞬間、脇腹に熱い感覚生じる。
一拍遅れて鋭い痛みが襲う。
「ぎゃああああ!」
ロナンは脇腹を抑えて床へ転がった。追撃に剣を振おうとする兵士を瞬時にジンが倒す。
脇腹を抑える手にぬめった感触がある。恐る恐る確認する確認すると、手のひらにべったりと血がついていた。
その赤色がロナンをさらに追い詰めた。
腹を切られた。血が出ている。
もうだめだ、僕は、ここで死ぬんだ……!
転がったまま脇腹を抑えて動かないロナンに、ユーナが駆け寄って、傷を確認しようとその手元を覗き込む。
死ぬ。死ぬ。僕は死ぬ。嫌だ。怖い。助けて――
恐慌状態に陥ったロナンは、身を寄せたユーナの腕を縋るように掴んだ。
「た、助けてくれ!死にたくない!」
取り乱すロナンがユーナの腕をさらに強く掴む、その力の強さがもたらす痛みに、ユーナは一瞬顔を歪めたが、できるだけ冷静に優しくロナンに語りかけた。
「落ち着いてください、ロナン。傷は浅いです。この程度なら応急処置で止血すれば――」
「でも!血が、こんなに出てる!」
「ロナン、大丈夫ですから。」
「嫌だ! 死にたくない!」
ユーナの声は、今のロナンには届かない。
ただ死に怯え、涙を流した。そうして「父上……!」と、悲痛な声で父を呼ぶ。
ユーナは痛ましそうに涙を流すロナンを見つめると、彼に向かって優しく声をかけた。
「大丈夫ですよ、ロナン。すぐに、楽になりますから。」
それから脇腹の傷へそっと手を当てる。
次の瞬間、ユーナの手から淡い光が生まれた。
柔らかく、暖かなその光はロナンの傷を包み込む。
「……?」
徐々に痛みが引いていく。
ロナンが泣くのをやめる、少しだけ落ちつきを取り戻し、切られた傷を見た。
血が止まっている。
傷が塞がっていく。
ロナンは先ほどまでの死の恐怖も忘れて呆然とした。
目の前で行われた奇跡を、知っている。いや、正確には聞いたことがある。
伝承の中で登場する、エルフの秘術。そのひとつに、人の傷を癒す術があった。
その術は治癒術と呼ばれるのだそうだ。
古代文明の時代から、エルフたちは奇跡を起こす術を扱えたと言われている。
人の傷を癒す術、人の精神や記憶に働きかける術、そして時間を戻す術。
それらの秘術は、エルフの血を引く者たちにしか使えない秘術度されている。
しかも、エルフその血を引く者全てがそれらの秘術を扱える訳ではないらしい。
ほんの一握りの持って生まれた素養のあるものだけが使える力。
――そう聞いている。
実際に、それらの秘術を目にしたり、使われたという話は聞いたことがなかった。
それほどに、稀有な力。
それを、目の前の少年が自分のために使ったというのか。
ロナンは脇腹の傷をもう一度確認する。傷はもうほとんど塞がっていた。
「お前、その力……。」
治癒術なのか?と、尋ねようとした時、背後から怒鳴り声が響いた。
「ユーナ!」
声の主はジンだった。随分と焦りの滲んだ声だった。
ロナンはジンへ視線を向けて、その顔を見て、息を呑んだ。
ロナンがこれまで見てきたジンという男は、どんな時にも余裕があった。
盗賊に囲まれても、兵士に囲まれても、酒場で絡まれても、笑っていた男。
その男の顔から、余裕が完全に消えていた。
残った兵士を倒しながら、強い声で弟子に向かって言う。
「やめろ!」
「師匠、でも」
膝をつき、ロナンの脇腹の傷に手を当てるユーナが、上体を捻ってジンの方を振り返る。ジンは振り返らない。また一人、兵士を倒しながら叫ぶ。
「その傷なら死なねえ!」
「でも、ロナンが――」
その時、少年の身体が揺れた。突然の貧血にでも襲われたように両手を床について体を支える。
「……っ。」
苦しそうに俯くユーナの顔色は真っ白だった。
ジンがユーナの異変に気付いた。途端に、顔色が変わった。
「ユーナ!」
立ち上がれないユーナに敵も気付いたのだろう。数人の兵士がユーナに矛先を変えて襲い掛かった。容赦のない剣先が少年に向かう。
次の瞬間だった。
ロナンは初めてジンが本気で怒ったところを見た。
瞬時に敵の背後に迫り剣を振るう。
音すら遅れて聞こえたと感じるほどの剣閃とともに、敵の剣が砕けた。
さらにもう一閃。
兵士が声も上げずに倒れる。
ジンは兵士とユーナの間に立ち、残った兵士を見据えて低い声で告げた。
「こいつに、近づくな。」
傍らのロナンでさえ感じる殺気に身が震えた。
ジンが動くと共に兵士が倒れていく。
一人。
二人。
三人。
今までの動きとは違っていた。容赦が消え、徹底的に叩き伏せていく。
最後に逃げ出そうとしていた領主を壁へ叩きつけた。
「ぐっ!」
領主の喉奥からひしゃげた声が漏れるが、気にすることなく腕を捻り上げて拘束する。
「ローグレン王国領主としての地位を利用した他国領主印の詐取、外交文書偽造の企図、ベルネシュ自由連合王国領主嫡男の殺害未遂。既にローグレン国王にはお前の疑惑は報告済みだ。じきに王都から派兵された憲兵がこの館に到着する。」
あきらめろ、と告げると領主を床へ押さえつけた。
領主が声もなく俯いた。
それで、終わった。
ジンは拘束した領主を床に転がして、すぐに少年のところへ戻る。真剣な顔で自分に迫る足取りにユーナはゆっくりと身を起こして言った。
「師匠、大丈夫です。」
それでもジンは難しい顔をしたままだ。
「黙ってろ。」
「少し使っただけです。」
「少しでも使うなっていつも言ってるだろ。」
「でも――」
言い募るユーナの前にしゃがみこんで、無言でその手首を掴んだ。
脈をとり、顔色を確認する。
それから端的に質問を重ねる。
「目眩はあるか。」
「少しだけ。」
「吐き気はどうだ。」
「ありません。」
「嘘つくなよ。」
ユーナは困ったようにジンの顔を見つめる。
「ついてません。」
そこまで確認してから、ジンはようやく安心したように深く息を吐いた。
そんな師弟の横に立ち、ロナンは自分の脇腹を見た。
確かに上着は破れているのに、傷は消えている。跡形もなく。
その代わりのように、ユーナの顔はまだ少し、青白い。
「……僕のせいか。」
震える声で聞いた。ユーナの前にしゃがみこんでいたジンが立ち上がって、ロナンを見る。
先刻の、殺気に満ちた姿を思い出し恐れの気持ちが顔を出す。しかし、そんな自分を叱咤して、ロナンは尋ねた。
「僕を治したから、ユーナは……。」
「そうだ。」
ジンが不機嫌そうな声で肯定する。
「師匠。」
ジンの肯定する言葉をユーナが咎める。だがジンは続けて言う。
「治癒術は便利な奇跡なんかじゃねえ。」
傷を癒せば、治した傷に見合った代償を支払わねばならない。
無茶な使い方をすれば、その代償に術者の命が失われることもある。
それでも、誰かの傷を癒そうと言うのなら。
ジンがユーナの頭に手を置いて言う。
「治した分だけ、こいつが払うんだ。」
ロナンは一瞬言葉を失って、そして。
「……ごめん。」と、泣きそうな声でいった。
生まれて初めて、誰かへ本当にそう言った気がした。
ユーナは少し驚いて、それから、「ロナンが無事でよかった。」と言って笑った。その笑顔に、つられてロナンも少しだけ笑った。
だが、その横でジンだけは笑わず、苦い顔でユーナを見つめていた。




