第二章 saide白銀の髪の少年―過去の影―①
アルヴェイン連邦王国の北西部には、深い山々に抱かれるようにして、小さな鉱山領が点在している。北部に広がる峻嶮な山々の山頂には春でも雪が溶けずに残る。その山々を超えた先はローグレン王国領が広がっている。
このあたりの鉱山領は決して豊かな土地ではなかった。乾燥した山肌や斜面の多い地形のために広い農地は作れず、冬になれば山から吹き下ろす冷たい風が、麓の町で暮らす人々に容赦なく襲いかかる。
そかわりに山々の地下からは鉄や銅などの鉱山が眠っており、人々はそれを掘り出し、武具や様々な道具に加工して売却することで生活を成り立たせていた。
売却先は主に交易で栄えた西の隣国、ベルネシュ自由連合王国である。
だからこそ、アルヴェインの鉱山領を治める男は、現在、難しい立場に置かれていた。
「……ここ半年で、十四人です。」
四十代後半の領主は、悩まし気な声で重々しく言った。
昼間の明るい日差しが差し込む、領主の執務室。しかし部屋の空気は重く、暗い。
応接用の重く上品な木製の机の上には、何枚もの書類が広げられていた。そのどれもが半年の間にこの領内で行方不明となった子供についてまとめられた調査報告書だった。
机を挟んで領主の向かい側に座った人物の一人が、その書類を手にとった。
歳は三十代半ばごろだろうか。伸ばしかけの黒髪には少し癖がついており、きちんと整えられているとは言い難い。顎から頬にかけて薄い無精ひげがあり、長旅の途中であることを言い訳にしても、領主と会見するにしてはあまりに気怠げな雰囲気を纏っている。
足を組んだ態勢で椅子に深く腰掛け、肘をついて書類を片手にしている。その腰には使い込まれた剣を帯びていた。
彼の名はジン。国や領主間の争いを仲介する平和の使者、〈アルカ・パクシス〉の使者である。
その隣には十二歳の少年が背筋を伸ばして座っていた。一つに結ばれた白に近い白銀の髪が部屋に差し込む陽光を受けて、淡く透けている。身体は同じ年頃の子どもよりも一回りほど小さく、華奢な体つきだが、ジンの弟子であり、見習のアルカの使者である。
ジンは手にした書類を低い声で読み上げた。
九歳の少年、十一歳の少女、七歳と五歳の兄妹、十三の少年――皆、鉱山労働者や農民、職人など裕福とは言えない家の子どもだった。
ジンの声に耳を傾けながらもユーナは周囲をよく観察する。
机に広げられた書類を目で追い、領主の疲労の滲む顔に視線をやり、その領主の傍らに立つ、この土地の自警団員の険しい顔つきを見て、さらに部屋の扉の横で不安そうに佇む年老いた使用人に目を向けた。
領主がジンに答えるように、重い口を開いた。
「最初は、ただの家出だと思われていました。しかし、行方不明となる子供の数は増え続け、とうとうこの人数です。それも同じように裕福でない家の子ばかりが消えている。到底、ただの家出とは考えられません。」
書類越しにジンが領主を見て「王都への報告は。」と尋ねる。その声音は普段のジンを知るユーナには、珍しく真剣な声に聞こえた。
領主は片手で顔を覆った。
「もちろん報告はしました。しかし、証拠がありません。現状では国境の検問を強化するぐらいしか方策はない、との返答です。」
ユーナは苦渋に満ちた声で語る領主から、机上の書類の一枚に目を落とす。
それはベルネシュへ出入りする、ある行商人の証言だった。
――三日前、ベルネシュ領内のある街で、不定期に開かれる非合法な市場があるという噂を耳にした。
――そこでアルヴェイン訛りを離す子どもたちを見た。その子らは首に鉄の輪をはめられ、両手を縄で縛られ、商品として取引されていた。
攫われた子どもが、奴隷として売られている。
奴隷、として……。
そこまで考えたとき、ユーナの胸の奥に一瞬だけ鈍い痛みが走った。思わず、目を向けていた書類から顔をそむけた。
ユーナのその仕草を目の端でとらえたジンは、しかし何も言わなかった。
だが先ほどまで組んでいた足を静かに下ろして言った。
「その市場が開かれているという街を治める、ベルネシュの領主に話は通したのか?」
「それができればアルカへお願いすることもなかったでしょうな。」
領主は顔を覆っていた手を下ろして、苦い笑いを浮かべた。
「わが領の鉱石の多くはベルネシュへ買い取ってもらっています。あちらとの交易が止まれば、この領は立ちゆきません。もちろん、子どもたりを放置するつもりはありません。しかし、証拠もない段階で他国の領主へ『あなたの領地で我が領の子どもが奴隷として売られている』などど申し立てれば……。」
領主が濁した。言葉をジンが続けた。
「逆に難癖だと言われかねない、か。」
無言で頷く領主。
ジンもこの領地の微妙な立場は理解している。思案するように目を伏せた。
その時。
「だからといって、何もしないでただ手をこまねいて見ているんですか!」
領主の傍らに立っていた自警団員が堪えきれなくなったように一歩前へ出た。
領主は「控えろ。」と厳しく制するが、まだ若い自警団員は引かなかった。
「攫われた子どもの家族は毎日子どもの無事を祈って待っているんです。もし本当に向こうで子どもたちが売られているんなら、今こうしている間にもどこへ連れていかれるか分からない!だったらいっそ、俺たちが――」
「国境を越えて、武器を持って乗り込むか?」
若い団員の言葉を遮ったジンの声は静かで、決して大声ではなかったが、青年はぴたりと黙った。
ジンは椅子から身を起こし、顔を上げ、若い団員を真正面から見据えた。
「あんたたちの気持ちは分かる。だが、お前たち自警団がベルネシュで暴れればどうなる。」
正面から問われた自警団員は「それは……。」と言ったきり、言葉を詰まらせた。
彼も分かっているのだ。そんなことをすればどうなるのか。
ジンも恐らく、この若者が分かっていることを、承知している。その上で、あえて言葉にしている。感情にまかせた行動が、何を引き起こすか考えさせ、釘をさすために。
「向こうから見れば、アルヴェインの武装集団が領内に侵入したことになる。たとえ目的が子どもの救出でも、国境問題になれば話は別だ。最悪の場合、子供誘拐事件が国同士の小競り合いに化ける。」
ジンの言葉に若者は唇を噛んだ。こぶしが強く握り込まれている。
ユーナはその若者の顔を見つめていた。
焦る気持ちは分かる。自分の大切な人が連れ去られたなら、理屈など聞いていられないだろう。
けれどその気持ちを理解した上で、ジンは彼を制する。
助けたいからこそ、感情だけで動いてはいけない場面があることを知っているのだ。そして、感情を切り離して行動するのがアルカの使者なのだと、ユーナは旅の中で何度も教えられてきた。
「だから、俺たちが行くんだ。」
ジンは机上の書類を一度叩いた。
「まず、奴隷売買が本当に行われているか確認する、行われているなら証拠も押さえる。その上でベルネシュ側の憲兵へ正式に動いてもらう。子どもたちを保護して、攫った者、売った者、買った者、関係者を全部洗わせる。いいな。」
「お願いいたします。」と、領主がジンに向かって深く頭を下げた。
ジンは立ち上がると頭を下げ続ける領主に向かって「この依頼、引き受けた。」と短く答えた。
それを見てユーナも立ち上がる。
ジンはユーナに視線を向けて「行くぞ。」とだけ言うとすぐに部屋の入口へ向かって歩き出していた。
ユーナも「はい。」と答えて、後を追おうとした。
その去り際の一瞬、机上の書類を見やる。
鉄の首輪をはめられ、売り買いされる子供。
文面から想像した子どもの姿に、自分の姿を重ねそうになり、慌てて強く目をつぶり首を振った。




