第二章 saide白銀の髪の少年―過去の影―②
領主の館を出た後、二人はその日のうちに国境へ向かった。領主は二人の移動のために馬を用意していた。二人はその好意にありがたく受け取り、鉱山の間を縫うように続く荒れた街道を馬に乗って進んでいた。
目的のベルネシュ領の街までは馬で丸一日ほどかかる。
山道を進む二人の影、馬に揺られるジンは妙に静かだった。
そんな師匠を、ユーナは最初任務について考えているのだと思っていた。しかし、馬上のジンがこちらに頻繁に視線をよこしてくる。何か言いたげな顔をして。それが非常に気になった。
ジンの乗った馬が、道に転がる大きな岩を乗り越えた。ユーナの乗った馬もそれに続く、岩を乗り越えた直後に馬が大きく嘶いた。よしよし、と優しく馬の首をさすってやりながら、歩みを進める。
ジンがまたしても一瞬、ユーナに視線を向ける。
これは、気になる。
ユーナはさすがに口を開いた。
「師匠。」と呼びかける。ジンは「ん。」と短く答える。
「僕の顔に何かついていますか。」
ジンは前を向いたまま「何で。」と答える。
「さっきから何度もこちらを見ていますよね。」
馬の足取りを確かめながらユーナは続けて問う。
「気のせいだろ。」
はぐらかそうとするジンに、ユーナは呆れたようにため息ついた。
「少なくとも七回は目が合いました。」
ジンが嫌そうな顔をして、ユーナを見て言う、「数えるなよ。」
「では、何かあるなら言ってください。」
今度はしばらく返事がなかった。
乾いた荒い地面を歩む馬の蹄の音だけが響いた。
ユーナはそれ以上言葉を重ねることなく、師匠の返事を待った。
急かすことはしない。ジンはこういう時、言葉を探すのが苦手だ。
任務中のジンは交渉相手の嘘を簡単に見抜き、こちらの真意を悟らせないで上手に条件を飲み込ませる。そのくせ、自分の気持ちを口にすることには妙に憶病で、話し出すまでに時間がかかる。
しばらくして、「……嫌じゃねえのか、今回の仕事。」と、ぽつりと言った。
視線は進む先を見据えたままだった。
ユーナは目を伏せた。
やはり、その件だったか。
奴隷売買の調査に、ユーナが複雑な心境を抱えていることを見抜いていたのだろう。
ユーナが何かを返す前にジンは続けて言う、「嫌なら言えよ。」と。
ジンらしい言葉に少し笑ってユーナは返した。
「でも、任務ですよ。」
「任務だからって、嫌なもんが嫌じゃなくなるわけじゃねえだろ。」
ジンの言葉は、ぶっきらぼうだが、ユーナを気遣うものだった。
しかし、ユーナは返す言葉につまった。
――任務でも嫌なら言え。
それは、三年前のじぶんなら到底理解できない考え方だった。
嫌なら嫌だと言うこと、辛ければ辛いと口にすること、怖ければ逃げればいい、誰かに命じられても従わなくていい……。
そいう当たり前のことを、三年前の九歳のユーナは知らずに生きていた。
その頃のユーナには名前すらなかった。「おい。」「ガキ。」「奴隷。」主人は自分をそう呼んでいた。
自分はそれに何の疑問もなく、命令があれば動き、終われば止まった。
殴られてもすぐに立ち上がり、次に何を命じられるかを黙って待った。
食べることも、眠ることも、自分の意思では決めなかった。
喉が渇いても、水を飲んでよいと言われなければ飲まなかった。
熱が出ても働けと言われれば働いた。
死ねと言われたら、きっと死んでいただろう。深く考えることもせずに。
そんな自分に「それは違う。」と教えたのが、ジンだった。
ゴミ捨て場で偶然出会った、死にかけの男。
彼に連れられてゴミ捨て場を出たあと、ジンはユーナの主人を探し出し、金を積んでユーナを買い取った。
ユーナは自分が売り買いされる光景をただ無感動に眺めていた。自分を所有する主人が変わっただけ。と、そう思っていた。
しかし、自分の新しい主人となった男は、見上げる自分の前にしゃがみ込み、視線を合わせて、こう聞いた。
――腹、減ってるか。
ユーナは答えられなった。
そんなことを聞かれたのは初めてだったし、どう答えていいのか分からなかったからだ。
そこから、男は妙なことばかりをユーナに教えた。
腹が減ったら食え、眠かったら寝ろ、痛いときは言え、何かして欲しいなら頼め。
そして。
――お前の命はお前のものだ。自分が何をするかは、自分で決めろ。
と、教えた。
今ならば分かる、あの頃のユーナは、ジンに生き方を教えられていたのだ。
ユーナは顔を上げて、前を行くジンを見る。
ジンはユーナを見つめている。無理していないか、嘘をついていないかを見抜こうとするように。
「大丈夫です。」
ユーナの答えに顔をしかめる。
無理してねえだろうな、嘘じゃねえだろうな、と言葉を重ねた。
ユーナは笑って呼びかける、師匠、と。ジンが無言で応える。
「心配してくれるのは嬉しいです。……でも、少ししつこいです。」
意表を突かれたようにジンの目が僅かに開かれる。そしてニヤリとした笑顔を浮かべた。
「可愛くねえ弟子だな。」
「師匠は心配性なんです。」
「お前にだけは言われたくねえよ。」
いつものやり取りだった。
しかし、そう言いながらもジンは馬の歩調を少し落とし、ユーナの馬と並ぶようにした。




