第一章 saide白銀の髪の少年―逃げ出した若君―⑤
馬車を乗り継ぎ、時には歩いて、やがて一行は国境を越えた。
国境の丘を越え、一番近い村を目指す。
風景が変わった。
ローグレン王国はベルネシュ自由連合王国よりも軍事色の強い国だ。
街道には巡回中の騎士の姿が多く、丘の上には石造りの砦が点在している。
村の入口にも王家と領主家、二つの紋章が掲げられている。
ベルネシュとは異なる雰囲気にロナンは目を輝かせて、興奮気味に言った。
「すごいだろう。ローグレンは騎士団が強く、どこの領地も統制がとれている。」
「そうだな。」
「来たことがあるのか?」
「ああ。仕事で、何度かな。」
ジンの答えは短く淡白だったが、ロナンは気にしない。
「僕はここの領主に招かれているんだ。」
誇らしげに胸を張るベルネシュ領主の若君を、ユーナが不安げに見上げたが、何も言わなかった。
さらに翌日。領主の館の建つ街に到着した。
ロナンは街の入り口で、ジンとユーナと別れることにした。ここまでくれば護衛の必要もない。領主と会う時には、自分一人で旅をしてきたように見せたいという、見栄もあった。
「報酬は領主殿にお会いしてから渡すから、お前たちは宿屋で待っていろ。」と、告げたロナンに、ジンは「わかった、わかった。」と、うっとうしそうに手を振ってみせた。
二人と別れることを僅かに心細く思いながらも、ロナンは期待に胸を膨らませて、領主の館に向かった。
領主の館へ到着したロナンは盛大に歓迎された。
「よく来てくれた!」
領主は満面の笑みで両手を広げ、長旅の苦労を労った。
ロナンの顔が明るく輝く。
――やはりそうだ。自分は正しかった。この人だけは、自分を認めてくれている。
すぐにロナンを歓迎するための宴が開かれた。縦長の大きな卓に並べられる豪華な食事。
静々と給仕する使用人たち。
久々の上品な料理を味わっているロナンに、向かいの席から領主が尋ねた。
「ところで、ロナン殿。例の物は持って参られたかな?」
もちろんです!と勢いよく頷いて、ロナンは迷わず懐の革袋を取り出した。
中から銀の領主印を取り出して誇らしげに差し出す。
素晴らしい、とロナンを褒めたたえながら、領主は銀印を手に取った。
印を手にした瞬間、領主の目に不穏な影がさした。口元に嫌な笑みが浮かぶ。
領主の表情のその変化の意味を、ロナンはまだ、理解していない。
「これで父上にも――」
続けようとしたロナンの言葉を。
「もうよい」
領主が遮った。低く、冷たい声だった。
「……え?」
戸惑うロナンの背後で、広間の扉が閉じられた。扉の前には、いつの間にやら剣を携えた十数名の兵士たちが立っている。
ここに至って、ロナンの顔から笑みが消えた。
思わず立ち上がり、目の前の領主を見つめる。
そして頭の中に浮かぶ嫌な考えを振り払うように、震える声で問いかけた。
「これは一体、どういうことでしょうか?」
兵士たちが領主とロナンを取り囲む。手にした武器の剣先はロナンへ向けられている。
領主が厳かに告げる。
「お前の役目は終わった。」
ロナンが目を見開く。
領主は嗤う。
「本当に、愚かな子供だ。」
ロナンの胸が痛んだ。その言葉はかつて父にも言われた言葉だった。しかし、父に言われるのとは全く違う響きがあった。
領主は手にした銀印を掲げて、愚かな子供に教えてやるように、ゆっくりと話した。
「君は、この印があれば何ができるか、知っているかな?」
「……父上の代わりに公文書を出すことができる。」
「その通りだ。」
領主は印章を弄ぶ。
「国境警備の変更に、兵の移動。商路の封鎖。」
ロナンの顔色が変わる。
「偽の密約を作るのもいい。」
ロナンの体に震えが走る。
「少し火種を作るだけだ。ベルネシュ自由連合王国は一枚岩ではない。少しの火種が疑惑にかわる。領主同士を疑わせれば、勝手に国は割れるだろう。」
ロナンはようやく、理解した。
父の印を盗むということが、何を意味するのか。何を生むのか。
呆然とするロナンの口から、かすれた声が漏れた。
「返せ。」
領主が馬鹿にした顔でロナンを見やる。
「なんだと?」
その瞬間のロナンの脳内から、自分に剣をむける兵士に対する恐怖が消えた。
「返せ!」
ただ必死で、領主印を取り返そうと、目の前の男に飛びかかった。
しかし、間に入った兵士の一人に殴り飛ばされ、床へ転がる。
「ぐっ……!」
殴られた痛みより、悔しさと、情けなさと、後悔によって視界がにじむ。
床に両手をついて、肩を震せるロナンに向かって領主は無情に告げた。
「ご苦労だった、お前の役目は終わりだ。ここで死ね。」
領主が傍らの兵士に合図をする。兵士がロナに向かい、剣を振り上げた。
ロナンには、抵抗する気力もない。
ただ脳裏には、いつかの酒場でのジンの言葉が蘇った。
――ただ、自分にすりよってくる奴を味方と信じ込んで。そいつの言葉を信用し、信じるべき奴を疑った馬鹿が、後で死ぬほど後悔したって話だ。
ジンの言う通りだ。
父の怒った顔、呆れた顔、戸惑った顔。
今なら分かる、父は自分を馬鹿にしていたのでも、軽んじていたのでもない。
自分の成長を期待して、自分が大切なことに気づくのを見守っていたのではなかったか。
「父上……。」
兵士がロナンを殺すための剣を振り下ろそうとした時。
「――やっぱり、そういう筋書きか。」
緊張感の漂う広間に響く、落ち着いた低い声。
背後から聞こえたその声に、その場の全員が振り返る。
広間の扉、いつの間にか開かれた扉の前にジンがいた。
腕を組んだその姿、傍らにはユーナ。
「ジン……?」
呟くロナンに、ジンはニヤリと笑って「よ。」と片手を挙げて見せた。
この状況を目にしてなお、彼はいつもの調子のままだった。
傍に立つ、ユーナには幾分か緊張の色が見える。
それにしても、なぜ、ここに……?
「仕事でな。」
そう言いながら、組んだ腕を解いて、一歩、こちらへ踏み出す。
「護衛の仕事はこの街に入った時点で終わったはずだろ!」
「お前に雇われた護衛の仕事はな。ここに来たのは別口だ。」
また一歩、ジンはこちらへ歩を進める。そして外套に隠された腰元へ手を伸ばす。
腰から下げられた革袋。その中から何かを取り出して、その場の者たちへ掲げて見せる。
手しているのは銀の徽章。
その徽章に描かれているのは剣でも王冠でもない。
三日月状の舟。その舟の上には天秤と七つの星が輝き、銀の円環がそれらを囲む。
その徽章を目にした途端に、領主の顔色が変わった。
忌々しそうに眼を眇め、「……〈アルカ・パクシス〉」と苦く呟いた。
ロナンは息を呑む。
誰でも知っている、国家に属さない平和維持組織。
国と国、領主と領主、争いが戦争へ発展する前に介入し、調査し調停し、必要とあれば武力を用いてでも火種を消す者たち。
平和の使者。
「我々はアルカの使者だ。」
ジン声からいつもの気怠さが消え鋭い目で領主をとらえた。
「今この時より、この一件は我々アルカが介入する。領主殿は武器を収めよ。そこの若君には手出し無用だ。」
兵士たち動揺が走るのがわかった。領主も苦い顔で黙り込んだままだ。
ロナンはというと、まだ驚愕に口を開けたままだった。
「〈アルカ・パクシス〉……?お前たちが?」
信じられないとばかりに呟くと、聞きとがめたジンが顔をしかめてロナンを見る。
「失礼だな、お前。」
「柄の悪い傭兵だったんじゃ!」
「俺は自分から傭兵だって言った覚えないぞ。」
「酒飲みだし!」
「アルカに酒飲んじゃいけない規則はねえ。」
「師匠。」
ユーナが小さく言う。
「規則以前の問題です。」
「今それ言う?」
緊張感のない場違いなやりとり。
しかし、いつもと変わらないそのやり取りに、ロナンは泣きそうになるほど安心した。




