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第六章 saide白銀の髪の少年―銀の徽章―②

 ナジュール側の陣営は、セイラン側とはまるで雰囲気が違った。

 広く張られた天幕に、焚き火。

 馬や羊の声がして、色鮮やかな布をまとった人々が、武器を身につけたまま行き交っている。

 

 ナジュール側をまとめていたのは、部族長の一人、バハルという大柄な男だった。

 日に焼けた顔に深い皺。黒く長い髪をひとつに揺っている。そして声が大きかった。

「我々は盗人ではない!」

 開口一番の彼の台詞だった。

「この土地は祖父の祖父の時代から使ってきた!」

「それは分かってます。」

 ラウルが落ち着いて答える。今回もジンとユーナはラウルに交渉を任せ、少し後ろに控えていた。

「ただし今は国境線が定められている。それも無視できません。」

「線?」

 バハルは地面を指した。

「線などどこにある!」

 それにジン笑って「それ、俺も思ってた」と、同意する。

 即座にラウルが睨んで「お前は黙ってろ!」と、止めた。

 バハルは豪快に笑った。

「この男は話が分かる!」

「コイツのことは一旦無視してください。」

 ラウルが宥めるように言うのを、ユーナは苦笑して聞いた。

 

 バハルの語る話から、ナジュール側の事情も見えてきた。

 雨不足で家畜が弱っているのだと。

 いつもの放牧地には草がなく、この一帯へ来なければ、多数の羊と山羊が死ぬ。

 それはそのまま部族の生活の崩壊を意味していた。

 

 一方で、セイラン側の農民も水不足に苦しんでいる。余裕のない今、他国の領民を気にしている場合ではないのだ。どちらか一方だけが悪いわけではない。

 

 ラウルは何度も双方の陣を往復した。

 放牧期間を限定する案、水場を時間帯で分ける案、家畜の進入可能範囲を定める案を提案する。

 セイラン側には放牧による被害補償を、ナジュール側には薬草や保存食との交易枠を提示する。

 そうやって、少しずつ、条件が積み上がっていく。

 

 ジンは前面には出なかったが、必要な時だけ、妙に核心を突いた発言をする。

「セイラン側が嫌がってんのは羊じゃなくて、水場を勝手に使われることだろ。」

「ナジュール側は土地が欲しいんじゃねえ。今季だけ凌ぎたいんだ。」

 ラウルが一瞬止まる。

「……そこだな。」

 

 そしてユーナは、農民や牧人たちと話した。

 大人だけではない。

 水汲みに来た子供、家畜の世話をする老人、怪我をした若者。

 彼らから聞いた言葉が、正式な交渉では出てこない事情を補っていく。

「向こうの人たちと、昔は市場で会っていたそうです。」

 夜、三人が焚き火を囲んでいる時、ユーナが言った。

「昔は?」

「はい。数年前までは、お互いの祭りにも行っていた、と。」

 ラウルが少し考える。

「なら完全に関係が切れてるわけじゃない。」

「今年の水不足で急に関係が悪くなったみたいです。」

 ジンが火へ小枝を投げ入れた。

「じゃあ仲が悪いんじゃなくて、余裕がねえだけだな。」

「ええ、多分。」

 ユーナが頷く。

 ジンが笑って「余裕なくなると人間ろくなことしねえな」と言うのに、ユーナが真面目な顔で答える。

「師匠もですよ」

「俺?」

「お酒がないと機嫌悪くなります」

 ラウルが吹き出した。

「うまいこと言うな」

「お前ら最近俺への扱い雑じゃねえ?」

 ユーナは少し笑った。

 



 三日目の午後に、ようやく双方が同じ場所へ集まることになった。

 国境に近い小高い丘。

 そこへ簡素な卓が置かれ、セイラン側とナジュール側が向かい合った。

 それぞれの代表である、ルーシェンとバハルが中央の卓を挟んで向かい合い、彼らの率いる兵たちが少し離れて見守る。 

 ラウルが中央の代表者二人の間に立ち、その少し後ろにユーナが立った。

 ジンはさらに外側で周囲を警戒していた。

 

 話し合いは、最初は荒れに荒れた。

 ルーシェンは土地所有権を、バハルは伝統的利用権を、互いに声を荒げて主張した。

 だがラウルは慌てず、冷静に論点を一つずつ整理した。

 永続的な土地譲渡ではない、今季のみの緊急措置であることを何度も確認する。

 放牧区域を限定し、放牧による被害が出た場合は、その都度、補償すること。

 水場は共同管理とすること。

 さらに、来季までに正式な越境放牧協定を結ぶこと。

 

 少しずつ、互いの拒絶が減っていく。

 完全な納得はできない。だが、剣を抜くよりはましだ。

 そんな地点へ近づき始めていた。

 

 その時だった。

 乾いた音がした。

 ジンが最初に顔を上げた。

「伏せろ!」

 声と同時に矢が飛んだ。

 一本の矢がセイラン側の旗の近くへ突き刺さる。


 次の瞬間。

 セイラン側からは「ナジュールが撃ったぞ!」と怒声が上がった。

「違う!セイラン側の陰謀だ!」と、ナジュールの者たちも声を上げる。

 双方の兵が一斉に武器へ手を伸ばした。

 剣が抜かれ、弓が構えられる。緊張が高まり、一触即発の空気に変わる。

 一瞬で、三日分の交渉が吹き飛びそうになった。


「待て!」

 ラウルが叫ぶ。

 だが興奮した兵士たちには届かない。

 ユーナが息を呑んでから、「落ち着いてください!」と兵士たちに向かって叫んだ。

 ジンだけは冷静に周囲を見回した。

 矢の角度、風向き、丘の周囲の状況を確認する

 そして舌打ちして「どっちでもねえ」と言うと、剣へ手をかける。

 だが、剣を抜くことはなかった。

 代わりに腰から鞘ごと外した。

「師匠?」

 ユーナが呼ぶ。

 ジンは剣を地面へ置いた。

 ジンのその行動に、ラウルも気づく。

「ジン!何をする気だ!」

「黙らせる。」

「どうやって!」

 ジンは答えなかった。

 両軍の間へ歩き出す。武器を持たずに。

 腰に下げられた銀の徽章が揺れる。

 風が丘を吹き抜けていく。

 数十本の弓が、互いの陣へ向けられている、その間にジンは立った。

「撃ちたきゃ撃て。」

 声は大きくなかったが、不思議とよく通った。

 兵士たちの目が集まる。ジン両陣営を見た。

「ただし、俺に当てた瞬間、どっちが最初に撃ったとか、そんな話じゃ済まなくなるぞ。」

 誰かの弓がわずかに下がった。

「アルカの使者が間に立ってる。争わずに問題を解決するためにな。」

 ジンは胸元を指した。

「それを撃てば、行きつく先は戦争だ。多くの犠牲者が出る。それでも戦争したい奴だけ武器上げとけ。」

 静寂。

 風だけが吹く。

 ユーナは息を止めるようにして見ていた。

 ジンは強い。

 剣を抜けば、ここにいる兵士の誰にも負けないだろう。

 けれど今、師匠は剣を持っていない。

 銀色の徽章一つで、両軍の間に立っている。

 

 やがて、ゆっくりと、一人の兵士が弓を下げた。

 次、またと弓が下げられ、やがて剣も下がっていく。

 それを見て、ラウルが声を張った。

「誰も動くな! 矢の飛んできた方向を確認する!」


 緊張が完全に消えたわけではない。

 それでも、最初の一撃は止まった。

 後の調査で、矢を放ったのはどちらの兵でもないことが分かった。

 紛争が続けば密輸路の監視が緩むと考えた近隣の盗賊が、双方を戦わせようと仕組んだものだった。

 数名の仲間とともに丘から少し離れた林に潜んでいたところを、ジンとラウルが追跡して拘束した。


 その日の夕方、セイラン側とナジュール側は、暫定協定へ署名した。


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