幕間Ⅳ saide王国の少年―円環へ至る―①
それから長い年月が流れた。
かつて十七歳だったレグナリアの王子は、もうどこにもいない。
少なくとも、彼自身はそう思っていた。
ジルディーン・レグナリアという名前を捨て、「ジン」と名乗るようになった青年は、〈アルカ・パクシス〉の長老に弟子入りした。
剣を学び、世界を学び、人を学んだ。
王宮という狭い世界しか知らなった少年は、七つの国を歩いた。
国境を越え、荒野を渡り、雪山を登り、戦場へ赴いた。
剣を抜いて争いを止めることもあれば、何日もかけて互いに憎み合う者たちの言葉を聞き続けることもあった。
山賊を討ち、難民を護衛し、王侯貴族の前で頭を下げ、時にはその王侯貴族を睨みつけて脅すことさえあった。
アルカの使者に必要なのは、強さだけではなかった。
むしろ剣を抜かずに済ませることこそ、彼らの役目だった。
そのことを若い頃のジンはなかなか理解できなかった。
何度も長老に叱られた。何度も任務を外された。何度も仲間と衝突した。
それでも彼は剣を捨てなった。剣だけは、決して手放さなかった。
やがて、その腕前はアルカの中でも並ぶ者がいないほどになった。
ジンの師匠である長老にさえ、「お前に剣を教えたのは、少しばかり間違いだったのかもしれんな。」と呆れ半分に言わせるほどだった。
そうやって年月を経るうちに、ジンは奇妙なことに気づいた。ジンの身体が、ほとんど老いないのだ。
十七歳でレグナリアを追われた彼は、アルカにて歳を重ねた。二十歳になり、三十歳になり、それからさらに長い年月を生きた。にもかかわらず、ある時期から、外見の変化がひどく緩やかになったのである。
見た目だけなら、三十代半ばほど。
伸ばしかけの髪、手入れを怠ればすぐに目立つ無精髭。
若い頃よりもずっと逞しくなった身体には、長い年月の中で刻まれた大小の傷が残っている。それでも顔立ちそのものは、そこからほとんど歳を取らなくなっていた。
ある程度成長すれ外見の変化が緩やかになる、この特徴はエルフやハーフエルフと同様のものだった。
長老は、ジンの身体の変化の理由をおおそよ理解していた。恐らくユーナが原因だろう、と。
かつて瀕死のジルディーンを救うため、ユーナが自らの限界を超えて治癒術を使ったあの日。
治癒の力とともに、彼の中へ本来なら人間が持ち得ない何かが流れ込んだのだろう。
ハーフエルフであったユーナの力、その一部をジンは受け継いでしまったのだ。
だから老いが遅い。ジンは既に人間より、遥か長く生きる身体になってしまっていた。
その事実を知った夜、ジンはひとりで酒を飲んだ。
長命な身体となったことに対する喜びは、ない。
ただ、笑った。酷く乾いた笑いだった。
「……あいつらしいな。」
自分を助けて、自分のなめに命を削って、それでも足りなかったように、こんなものまで残していった。
「いらねえっての。」
酒杯を傾ける。
「こんなもんまで置いていくなよな……ユーナ。」
答える者はいなかった。だから、ジンはそれ以上何も言わなかった。
そして、それからも生きた。ただ生き続けた。
その間にも、世界は変わった。
レグナリア王国もまた、変わっていった。
ジン――かつてのジルディーンが王宮から姿を消したのち、王位を継いだのは腹違いの弟だった。
さらに年月が過ぎ、その弟にも子が生まれ、やがてその子が王太子として立てられた。
レグナリアの王統から「ジルディーン・レグナリア」という名は消え去った。
過去の王族の記録としては残っている。しかし、人々の記憶の中では、その名は遠い昔に殺害された哀れな王子として忘れ去られていった。
ジン自身もそれでいいと思っていた。王位など、もう欲しくはないから。
だが、そうではない時もあった。
国を奪われたと思っていた頃もある。いつか故国に帰って、自分こそが正統な王であると証明してやるのだと、若いころには本気で考えていた。
そのために剣を振った時期さえある。
けれど、七つの国を歩き、数え切れないほどの人間を見てきた。
王族だから偉いわけではない。血筋が国を救うわけでもない。弟が正しく治めるのであれば、それでいい。自分が王である必要などない。
そう思えるようになるまでには、ずいぶん時間がかかった。
だから、レグナリアから届いた最初の報告を聞いた時も、ジンはそれほど深刻には受け止めなかった。
「地下遺跡の発掘調査が進んでいる?」
アルカの長の執務室で、使者の一人が報告書を広げた。
「王都地下だけじゃない。北部でも大規模な遺構が見つかったらしい。」
「またか。」
ジンは椅子の背へ身体を預けた。この部屋には長と長老、そしてアルカの主だった使者たちがいた。
古代文明の遺跡が発掘されたという報告、それ自体は珍しいものではない。この世界の地下には、滅びた旧時代の残骸が数多く眠っている。
だが、レグナリアに残されたその遺跡の数は、異常だった。
国土は七ケ国でもっとも狭いにも関わらず、地下から発見される遺跡の数だけは他国を圧倒していた。
ジンがまだ王子だった頃から、王宮はそれらを調査していた。
地下へ降りていく研究者たちと、地下から運び出されてくる奇妙な金属片、意味の分からない文字が刻まれた板、そんなものを何度も見た。
当時、父王が熱心に研究を進めさせていたことも、ジンはよく覚えている。
レグナリアは王が代替わりしても、その方針は変わらなかったのだろう。
その時は、執務室に集まった者たちの多くは、レグナリアの動きに対して多少の警戒を強めはしたが、それ以上の行動に出るには至らなかった。
その場にいた者の、ほとんどがまだ知らなかったのだ。地下に眠っているものが、ただの遺跡ではないことを。




