幕間Ⅱ saide王国の少年―疑惑の芽―③
それから二人のあいだには、目に見えない壁ができた。
ユーナは変わらずジルディーンへ声をかけようとした。
だがジルディーンは、以前のようには答えなかった。
「あなたには関係ない。」
「余計なことをしないでくれ。」
「アルカの使者なら、アルカの仕事をしていればいい。」
時には、口にした自分自身が後悔するほど冷たい言葉もあった。
それでもユーナは怒らなかった。
ただ、ときどき、ほんの一瞬だけ、悲しそうな顔をした。
そのたびにジルディーンの胸は痛んだ。
しかし、同時に別の声が訴えるのだ。
――お気をつけください。
――あの方も王家の血を引いております。
――十年です。
――后陛下と通じているとすれば。
疑えば疑うほど、今までの思い出さえ違って見えてきた。
優しかったのはなぜだ。
自分が王位継承者だからではないのか。
十年間、自分を気にかけていたのも。
剣の稽古を見てくれたのも。
病の夜に付き添ってくれたのも。
すべて、いつか利用するためだったとしたら。
――そんなはずはない。
そう思う自分がいる。
同時に。
――もしそうだったら。
そう囁く自分もいた。
どちらを信じればいいのか、分からなかった。
ある夜、ジルディーンは父王の執務室へ向かっていた。
遺跡調査について尋ねるつもりだった。
地下から新たな区画が発見されたという噂を聞いていたからだ。
しかし、扉の前まで来たところで足を止めた。
中から声がする。
父王と――ユーナだった。
「陛下。これ以上の調査は危険です」
いつも穏やかなユーナの声に険しい響きか混じっている。
「危険だからこそ調べるのだ。」
「発掘されたものの中には、我々にも用途の分からないものがあります」
「だからアルカへ渡せと?」
父の声は疑惑と不審に満ちていた。
「そうは言っていません。」
「では、何だ。」
「せめて調査の規模を縮小してください。旧時代の技術には、人が扱うべきではないものもある。」
短い沈黙の後、父王が言った。
「……ユーナ。お前は、この国をどうしたいのだ。」
ジルディーンは息を止めた。
ユーナの返事はすぐにはなかった。
扉一枚を隔てた向こうで、長い沈黙が続いた。
やがて静かな声が聞こえた。
「守りたいと思っています。私は、そのためにこの国に戻ってきたのですから。」
その言葉にジルディーンの胸はざわついた。
守りたい。
――誰から?何から?
なぜアルカの使者であるユーナが、そこまでレグナリアに執着する?
王家の血を引いているから?
だとしたら、この国を、自分の国だと思っているのか。
ジルディーンはそれ以上二人の会話を聞けなかった。
音を立てないよう、その場を離れた。
その夜は自室へ戻っても眠れなかった。
窓の外には王都の灯りが広がっていた。
そのさらに地下、深い、深い地の底で、旧時代の遺跡の発掘が続けられている。
父は何を見つけようとしているのだろう。
后は何を望んでいるのだろう。
重臣たちは本当に自分を守ろうとしているのだろうか。
そして、ユーナは。
――何を考えている?
机の上に置いた燭台の炎が揺れた。
ふと、幼い日の記憶が蘇った。
まだ小さかった自分が、王宮の庭を走っている。
その向こうには白銀の髪の青年がいる。
『ユーナ!』
自分は笑っていた。
何の疑いもなく、その人のもとへ走っていた。
ユーナも笑って、両腕を広げて自分を迎えてくれた。
――あれも嘘だったのか。
そう思った瞬間に、胸の奥に、鋭い痛みが走った。
「……違う」
誰に言うでもなく呟いた。
違う。
そうであってほしい。
だが、信じることが怖くなっていた。
もし信じて、その先で裏切られたなら……。
自分は王子だ。
いずれ国を背負う者だ。
もはや、誰かを無条件に信じる子供ではいられない。
ならば、父王を信じよう。
父だけは、自分を裏切らない。
その考えに縋るように、ジルディーンは目を閉じた。
翌朝、回廊でユーナとすれ違った。
「おはよう、ジルディーン。」
いつもと同じ声だった。
ジルディーンは一瞬だけ足を止めた。脳裏に昨夜の記憶が胸をよぎった。
「……おはようございます、ユーナ殿。」
わざと他人行儀に答えた。
ユーナの瞳が、ほんのわずかに揺れた。
それでも彼は笑って言う。
「うん。今日も無理をしないように。」
「あなたに心配される必要はありません。」
「そうか。」
それだけ言って、ユーナは道を譲った。
ジルディーンは彼の横を通り過ぎる。
何歩か進んだ。
背中に視線を感じるが、振り返りはしなかった。
振り返れば、十年前と変わらない顔で、あの人が自分を見ているような気がしたからだ。
そしてそれを見てしまえば、自分が何を信じればいいのか、ますます分からなくなる気がしたからだ。
白銀の髪を見つけるたび、嬉しくなって駆け寄っていた幼い王子は、もういない。
少なくともジルディーンは、そう思おうとしていた。
王宮の地下では、今日も古い時代の遺物が掘り起こされている。
人の手に余るほど強大な力が、長い眠りから少しずつ目覚めようとしていた。
地上では、一つの王座を巡って人々の思惑が静かに絡まり始めている。
そしてその只中で、かつて誰よりも近くにいた二人のあいだにもまた、十年をかけて育まれた絆を断ち切る、小さな亀裂が生まれていた。
その亀裂の向こうで、それでもユーナが変わらず自分を見守っていたことを。
ジルディーンは、まだ知らなかった。




