幕間Ⅱ saide王国の少年―疑惑の芽―①
十年という歳月は、人の姿を変えるには十分すぎるほど長く、けれど、人と人とのあいだに積み重ねられたものを失うには、ひどく短い時間だった。
少なくとも、ジルディーンはそう思っていた。
かつて、広い王宮の回廊を歩くたび、自分よりずっと背の高い白銀の髪を探していた頃があった。
窓辺にその姿を見つければ駆け寄った。庭園で本を読んでいれば隣へ座った。剣の稽古を見てもらい、馬に乗れるようになったと報告し、知らない土地の話をせがんだ。
そして、その青年――ユーナは、いつでも穏やかに笑ってくれた。
レグナリアの王宮へ現れた当初こそ、彼は奇異と警戒の目を向けられていた。
先代王とエルフの女性とのあいだに生まれた子。
王家の古い紋章を刻んだ銀のペンダントを携え、《アルカ・パクシス》の使者でありながら、その資格ではなく王家の血を引く者としてこの地へやって来た青年。
あれから十年が過ぎたが、 ユーナは変わらない。
少なくとも、ジルディーンの目にはそう見えた。
白銀の髪は昔と同じように長く、背で静かに揺れている。穏やかな声も、人と話すときにわずかに目尻を和らげる癖も変わらない。十年前より多少大人びたようには思えたが、人間よりも長い時を生きるエルフの血を引いているためなのか、その容貌に目立った変化はなかった。
変わったのは、自分のほうだった。
幼い王子だったジルディーンは、もう少年ではない。
王位継承者として政務を学び、軍議に列席し、国境情勢を読み、貴族たちの言葉の裏を考えなければならない年齢になった。
そして何より――王宮そのものが変わっていた。
レグナリア王国は、七国の中でも小さな国だった。
大陸中央部に位置し、国土そのものは決して広くない。肥沃な平原にも、大規模な港にも恵まれているわけではなく、他国と比べれば資源も人口も限られている。
だが、その地下には別のものが眠っていた。
旧時代の遺跡。
遥か昔、現在とは比較にならないほど高度な文明を築いた人々が残した、巨大な地下施設群である。
王都の地下だけではない。
山岳地帯にも、荒野にも、古い砦の地下にもそれらは眠っていた。
これまで王国は、危険を避けるため遺跡の大半を封鎖してきた。内部には用途の分からない機械や、触れただけで命を奪いかねない設備も存在すると聞いている。
だが、ここ数年、 父王の命によってその調査が急速に進められていた。
王宮の地下深くにある研究区画には、学者や技師たちが頻繁に出入りするようになった。兵士の警備も以前とは比べものにならないほど厳重になっている。
運び込まれるものを、ジルディーンも何度か遠目に見たことがある。
黒く変色した金属板、奇妙な形をした筒、人の手では作れないほど精密な部品。
そして、何に使うものなのか誰にも分からない巨大な機械。
それらについて尋ねても、父王は詳しく語ろうとしなかった。
「いずれ、お前にも分かる」
そう言って、息子の肩を叩くだけだった。
昔なら、それで十分だった。
父がそう言うなら、そうなのだと思えた。
父王はジルディーンにとって、疑うという発想すら持たない存在だったからだ。
母の顔を、ジルディーンは知らない。
彼を産んで間もなく亡くなったと聞いている。
だから幼い頃から、家族と呼べる存在は祖父と父だけだった。
父は厳しい人だった。
王として忙しく、共に過ごす時間も多くはなかった。それでも幼いジルディーンが剣を握れば褒め、勉学で成果を上げれば頭を撫で、いつか王となる息子に国のことを語って聞かせた。
だから信じていた。
自分は父の跡を継ぐのだと。
疑ったことなど、一度もなかった。
――あの方が王宮へやって来るまでは。
新しい后が王宮へ迎えられたとき、ジルディーンはすでに十分に物事を理解できる年齢になっていた。
美しい女性だった。
王国でも有数の大貴族の出身で、教養があり、振る舞いにも隙がない。
彼女は最初、ジルディーンにも優しかった。
「あなたのことは、私の息子だと思っていますよ。」
そう言われたことさえある。
その言葉を、当時のジルディーンは素直に信じた。
やがて、后は子を産んだ。
生まれた子は男の子だった。
弟が生まれたと知らされた日のことを、ジルディーンは今でも覚えている。
嬉しかった。
純粋に、嬉しかったのだ。
赤子を抱かせてもらったとき、そのあまりの小ささに驚いた。自分の指を握る小さな手を見つめながら、いつかこの子に剣を教えてやろうと思った。
馬にも乗せよう。
王都の祭りにも連れていこう。
自分には母がいなかった。兄弟もいなかった。
だから初めてできた弟が、ただ嬉しかった。
ところが、弟が成長するにつれて、何かが変わっていった。
最初は些細なことだった。
后が、ジルディーンと弟を二人きりにしたがらなくなった。
次に、弟の教育係がジルディーンを避けるようになった。
やがて、后の実家と近しい貴族たちが、弟を「王子殿下」ではなく、ときおり意味ありげに「未来の王」と呼ぶようになった。あくまでも冗談めかして。あるいは、聞こえないと思っているような声で。
そのたびにジルディーンは、自分へ言い聞かせた。
気にすることはない。
父上は何もおっしゃっていない。
自分は第一王子だ。
これまで父の後継者として教育を受けてきた。
父上は、自分を認めてくださっている。
――父上だけは。
そう思えば思うほど、その言葉だけが胸の奥へ重く沈んだ。




