第四章 saide白銀の髪の少年―遺跡の国の逃亡者―④
その夜、三人は小さな森の入口で野営した。
フェルンが焚き火の傍で資料を整理している。
ユーナは少し離れたところで剣の手入れをしていた。
その時、ふと、胸元から銀のペンダントがこぼれる。
「あ」という呟きと共に、拾い上げ、服の内側にしまおうとした。
だが、その前にフェルンがそのペンダントに目をとめた。目を見開いて、驚いたように声を上げた。
「……その紋章!」
ユーナが顔を上げ、胸元に手を当ててフェルンを見る。
「これですか?」
「見せてくれないか。」
ユーナは少し迷ってから、ペンダントを掌に乗せてフェルンに差し出した。
古びた銀のペンダント。
三年前、ゴミ捨て場でジンに拾われた後、名前すら持っていなかった自分に、ジンが「ユーナ」という名前をくれた。
そして同じ日に、このペンダントを渡してくれた。
以来ずっと身につけている。
ペンダントをじっくり観察していたフェルンから表情が消えた。
「きみ、これをどこで……?」
フェルンが何に驚いているのか分からないまま、ユーナは素直に答えた。
「師匠から貰いました。」
フェルンの視線が、少し離れた所で座るジンに向けられた。
「彼から?」
「はい。」
フェルンがユーナに視線を戻した。真剣な顔で少年の顔を覗き込み、告げる。
「……このペンダントに刻まれた紋章は、」
瞬間、ジンが振り返り、とがめるようにその名を読んだ。
「フェルン。」
だが、少し遅かった。
「レグナリア王家の紋章だ。」
ユーナは驚いて動きを止めた。目を瞬かせる。
「レグナリア王家?」
「ああ。今使われているものとは意匠が違うが、古い王家の紋章に間違いない」
ユーナは掌の上のペンダントを見つめる。
「でも……」
意味が分からなかった。
自分とレグナリア王家に接点などない。
ただ一つあるとすれば……。
ユーナは顔を上げ、苦い顔をしているジンを見た。
「師匠」
「……。」
ユーナの問いを避けるように、ジンが視線をそらす。
「これ、師匠がくれましたよね」
「ああ。」
「どうして師匠がレグナリア王家のペンダントを持っていたんですか?」
ジンは答えない。視線すら合わせない。
「師匠?」
誤魔化しきれないと思ったのか、ジンはそっぽを向いたまま答えた。
「……昔、貰った。」
「誰からです?」
ジンがユーナの手にしたペンダントを見やる。
そして一瞬だけ、ひどく遠いものを見るような目をした。
「……大事な奴からだ。」
それだけだった。
ユーナは胸の奥が少しざわついた。
「その人は?」
「—―もういいだろ。」
ユーナの問いに答えることなく、ジンは立ち上がった。
「明日は早い。寝ろ。」
「師匠。」
「寝ろ、ユーナ」
強くはない。
けれど、これ以上の質問を許さない声だった。
ユーナはペンダントを握りしめた。
三年前、何もなかった自分に、名前と一緒にジンがくれたもの。
自分にとっては、それだけで十分大切だった。
なのに今日。
そこに知らなかった意味が一つ増えた。
そして師匠にも、まだ自分の知らない何かがあることを知ってしまった。
それから二日後。
三人はレグナリア王国を脱出した。
南へ抜けるにつれて山が減り、風に微かな潮の匂いが混じり始める。
アラウナ海洋王国。
大小の島々と長い海岸線を持ち、七ヶ国でもっとも海と深く結びついた国である。
合流地点は小さな港町だった。
そこには既にアルカの使者が二人待っていた。
二人の使者は、ユーナもアルカの拠点の村で見たことがある者たちだった。
二人はジンに片手を挙げる。ジンも頷いて応えた。
一人がフェルンを見て口を開く。
「レグナリア王国、王立研究院のフェルンだな。」
「ああ。」
もう一人がジンに向けて短く告げる。
「ここからは我々が引き受ける。」
それに「おう、よろしくな。」と返してから、ジンはフェルンを見た。
「だそうだ。」
フェルンは「ああ。」と頷いてから、二人の使者の方へ歩き出しかけて、ふとジンとユーナを振り返った。
「……世話になった。」
真摯な声だった。
「礼はいらねえよ。」
ジンが頭を掻きながら答えた。そんなジンを見つめ、フェルンは苦笑した。
「あなたには嫌われていると思っていた。」
「嫌ってるよ。」
即答だった。そして続けて言う。
「だが、取り返しのつかない事が起こる前に、お前は逃げ出した。逃げたことが正しかったかどうかは、これからのお前次第だ、と思ってる。」
フェルンの顔から笑みが消えた。
「知ってることは全部話せ。自分に都合の悪いこともだ。」
「……分かっている。」
フェルンは真摯に頷いた。そして、ユーナを見る。
「君にも世話になった。」
ユーナは軽く頭を下げた。
「お気をつけて。」
「ああ。」
アルカの使者に伴われ、フェルンは去っていった。
その背中が港町の人混みへ消える。
「終わりましたね。」
ユーナが言った。
「帰りますか?」
「……そうだな。」
ジンは港の向こうを見ていた。
青い海、行き交う船。
その向こうに、レグナリアは見えない。
しかし、ユーナには、ジンの視線の先にはレグナリア王国があるように思えてならなかった。
「師匠?」
自分でも思ったより心細げな声が出た。
「なんだ。」
ジンがいつものようにユーナを見る。
「いえ。」
しかし、ユーナはそれ以上、何かを尋ねることはできなかった。
任務を終えてから、ジンは少し変わった。とはいっても、ほんの少しの変化だった。
酒は飲む、賭け事もする、朝は起きないし、脱いだ服は放っておく。
ユーナが注意すれば、「分かった分かった」と言いながら大抵分かっていない。
それはいつも通りのジンだった。しかし。
「師匠。」
「……。」
「師匠。」
「ん?」
ユーナは、窓の外へ向けていた視線をやっとこちらへ向けたジンを見つめた。
ジンは、先程のように、呼びかけても反応しないことが増えた。
窓の外を見ていたり、地図を眺めたり、あるいは何もないところを見ながら、考え込んでいる。
最近、よく考え事をしているようですがどうかしたんですか、とユーナが聞いても、
「俺だって考え事くらいするって。」と言ってはぐらかす。
ユーナは胸元のペンダントを握った。
そこに描かれているのは、レグナリア王家の古い紋章。
師匠が「大事な奴から貰った」と言ったペンダントを握りしめる。
さらにユーナは、あの地下で見つけた、用途すら分からない無数の機械のことも気にかかっていた。
レグナリアが何をしようとしているか、フェルンは教えてくれた。
――旧文明の遺物を、兵器として利用できないか。
ユーナには、それがどれほど重大なことなのか、まだ完全には分からない。
ただ、師匠があの言葉を聞いた時の顔だけは覚えている。
驚いた顔ではなかった。
怖がっている顔とも少し違った。
何かを確かめるような、ずっと心の片隅に引っ掛かっていた不安が、形を持って目の前に現れたような、そんな顔だった。
「師匠。」
「今度はなんだよ。」
「何かあったら言ってくださいね。」
ジンが少し驚いたようにユーナを見る。
「何かって?」
「それは分かりませんが……」
「なんだそりゃ。」
苦笑するジンに、真剣な顔で迫る。
「でも、最近の師匠は少し変なので。」
「俺はいつも変だろ。」
「そうですね。」
「否定しろよ。」
ユーナは少し笑った。ジンも呆れたように笑う。
それから、ほんの一瞬だけ、ジンの視線がユーナの胸元へ落ちた。
そこには鈍く光る銀のペンダント。しかし、すぐに視線を逸らした。
「……心配すんな。」
ユーナの頭に手を載せて、ジンは言った。
「俺が考えりゃ済む話だ。」
「そういう言い方をするから心配するんです。」
「十二歳が余計な心配すんな。」
「でも、僕は師匠の弟子ですから。」
ジンが黙る。
しばらくして、「……そうだったな」と小さく答えた。
ユーナには、その言葉の意味は分からなかった。
ただジンは再び窓の外へ目を向けた。
遠く離れたレグナリア王国。
その地下には、今も誰にも理解されないものが眠っている。
そして王国は、それに手を伸ばし始めた。
まだ何も起きてはいない、何かが起きると決まったわけでもない。
それでもジンの胸の内には、拭いきれないものが残っていた。
彼はそれを言葉にはしなかった。
だが、それからしばらくの間。
ジンは以前より少しだけ長く、地図の中央にある小さな王国を見つめるようになっていた。




