幕間Ⅰ saide王国の少年―アルカの青年―③
「ユーナ、僕に剣を教えて。」
それから数日後、ジルディーンは唐突に言った。
庭の木陰で本を読んでいたユーナが顔を上げ、「剣ですか」と不思議そうに聞き返した。
「うん」と頷くジルディーンに、「殿下には指南役がおられるでしょう。」と言う。
もちろん、と答えると、「では、その方に教わるのがよろしいかと。」と困った顔で言った。
「でも、ユーナのほうが強いんでしょ?」
「誰から聞きました?」
「兵士。」
ユーナが額を押さえた。
「余計なことを……」
実際、王宮へ来て間もない頃、ユーナは腕を確かめたいという近衛兵数名と稽古をしていた。
結果について本人は何も語らなかったが、翌日から近衛兵たちのユーナを見る目が変わった。
「お願い、教えて。」
「しかし」
ユーナは渋い顔をする。
「僕が王様になったら剣になるって言ったよね。」
「言いましたね。」
「なら、その剣の使い方を僕も知らないといけない。」
子供らしい屁理屈だった。
だがユーナは目を瞬いたあと、声を立てて笑った。
「分かりました。」
そうして、二人の稽古が始まった。
最初に渡されたのは、本物の剣ではなく、少年の身体に合わせて作られた木剣だった。
足の開き方や重心のかけ方、木剣の握り方、呼吸……最初はそんな稽古だった。
派手な技など一つも教えてもらえなかったが、それでもジルディーンは楽しかった。
王宮の正式な指南役は、王子を傷つけることを恐れながら稽古をつける。
転べば駆け寄り、疲れれば休ませる。
上手くできなくても褒める。
だが、ユーナは違った。
転んでも、本当に危険でなければ手を貸さなかった。
「立てますか。」
ジルディーンが頷く。
「では立ってください。」
悔しくて立ちあがり、木剣を拾って構える。
それをユーナは静かに待っている。
そしてまた打ち合う。
「下がりすぎです。」
「相手の動きをよく見て、次の行動を予測しなさい。」
稽古は厳しかった。けれど本当に疲れた時には、ジルディーンが言うより先に稽古を終わらせた。
まだやれる、というジルディーンに、「明日もあります。」となだめる。
その言葉を聞けば、ジルディーンは渋々木剣を置いた。
明日もある。明日になれば、またユーナに会える。
そのことが当たり前になっていった。
稽古の後には旅の話を聞き、時にはユーナの部屋で食事をした。
ユーナの用意する食事は、王子の食卓とは比べものにならない簡素な食事なのに、なぜかそちらのほうがおいしく感じた。
ユーナが王宮を離れてアルカの仕事へ出る時には、帰る日を何度も尋ねた。
最期にはいつも、「できるだけ帰ってきますから。」とユーナが笑って言った。
そして帰ってくるたびに、知らない国の小さな土産を一つ持ち帰った。
珍しい木の実、異国の文字が書かれた札、海で拾ったという丸い石。
そんなものを、ジルディーンは宝物のように箱へしまった。
やがて少年は、ユーナがいつまでも自分のそばにいるのだと思うようになった。
父王がいて、王宮があって、自分はいつか王になる。
その時には、きっとユーナが隣にいる。
剣を持って、あの穏やかな笑顔で。
自分が間違えたら、王になった後でさえ叱ってくれる。
それは幼いジルディーンにとって、明日の朝に太陽が昇ることと同じくらい疑う理由のない未来だった。
だから少年はまだ知らなかった。
人は、同じ人をずっと同じ目で見続けられるとは限らないことを。
優しさは時として疑われ、忠義は野心と読み替えられ、王宮という場所では、たった一つの囁きが長い年月をかけて人の心を変えてしまうことを。
そして何より。
自分が今、何の疑いもなく慕っている白銀の髪の青年を、いつの日か自ら遠ざけることになるなど――。
この頃のジルディーン・レグナリアには、想像することさえできなかった。




