第三章 saide白銀の髪の少年―拠点にて―⑤
ユーナを連れて家に着いたジンはその足で、ゼインと長老のもとへ向かった。ユーナについての詳しい報告が必要だった。
その間、ユーナを見ていてくれ、と頼まれたラウルは了承した。
そして、部屋にはラウルとユーナの二人きりになった。
部屋の中に沈黙が満ちる。
ユーナは椅子に座ったまま動かない。
ラウルの「楽にしていいぞ。」という問いに、「はい。」と返事をするが、姿勢は変わらない。
「喉、渇いてないか?」という問いには、「わかりません。」
「腹は減ってないか?」と聞いても、「わかりません。」
ラウルは少し考えてから、「疲れていないか?体調は悪くないか?」と聞いた。ユーナは静かに聞き返した。「……体調が悪い、というのは?」
ラウルはしばらく言葉を失った。
そうか。この子は自分の状態を、自分で認識することすら、まだ上手くできないのか。
ラウルは言葉を変えて再度尋ねた。
「どこか、身体に痛いところはないか?」
「痛いところならあります。」
答えるユーナの声は平坦だった。
「どこだ?」
「全部です。」
「全部?」
予想外の返答にラウルが続ける言葉に詰まるが、気を取り直すように続けた。
「いつから痛かったんだ?」
「わかりません。」
「ジンには言った?」
「いいえ」
「どうして」
「報告の必要がありません。動けます。」
その言葉にラウルの胸が詰まった。
動ける、だから大丈夫。
痛くても、苦しくても、動けるなら問題ない。
奴隷の子供に、そう教え込んだ人間がいる。
ラウルは怒りを呑み込み、できるだけ優しく教えた。
「ユーナ、これからは動けるかどうかだけで決めなくていい。」
「……?」
ユーナの無表情な顔の中に困惑の色が浮かんだ。
「痛ければ、痛いと言え。苦しければ、苦しいと言え。休みたければ、休んでいいんだ。」
ユーナは不思議そうにラウルを見て問う。
「命令ですか。」
ラウルが首を振って言う、「違う、権利だ。」
「けんり……?」
「そうだ。」
わからない顔をしている。
当然だ。恐らくこれまで一度も、そんなものを与えられたことがなかったのだから。
ラウルは無理に説明しなかった。
「まあ、そのうち分かる。」とだけ言って少し笑う。
「……分かりました。」
「よし。」
ユーナがまた新しいことを知れたのなら、それはほんの少しだけ、前進したということだろう。
それからしばらく、ラウルはユーナを観察した。
本当によくわからない子だった。
何か頼めばすぐにやる、やめろと言えばすぐやめる。何を聞いても「どちらでもかまいません。」、「わかりません。」、「必要ありません。」と、そればかり。
その一方で、妙にしっかりしているところもあった。
ジンの旅装を畳み、剣の手入れ道具を並べる。荷物を分類し、部屋を掃除する。
「……それ全部、普段からお前がやっているのか。」
「はい。師匠は片付けが苦手なので。」
そうなのだ。ジンの荷物は、とにかく散らっていた。酒瓶、賭博札、地図、使いかけの包帯に短剣。ユーナがそれを一つずつ整えていく。
……九歳に世話されてるぞ。あいつ。
ラウルは呆れたが、それ以上に、ユーナがそれを役割だと思っていることが気になった。
「ユーナ。」
ユーナがラウルを見る。ラウルは、ユーナが畳みかけているジンの上着を指さして言う。
「それ、やらなくていいぞ。」
「……?」
ユーナが不思議そうな顔をした。
「でも、僕がやらなければ師匠が困ります。」
「困らせればいい。自分でやらせろ。」
その言葉に、ユーナは本気で困った顔をした。
「でも、僕は弟子です。」
「弟子だからって師匠の部屋を片付ける義務はない。」
ユーナが黙る。ラウルは笑って言った。
「それに、いい年して、いつまでも片付けができないあいつは、少し困った方がいい。」
ユーナが、本当にほんの少しだけ、口元を動かした。笑ったのかどうか分からないぐらいの動きだったが、その表情は心なしか柔らかくなったようだった。
「……そうなんですか。」
「ああ。」
「分かりました。」
しかし、数時間後、ユーナはジンの服を畳んでいた。
「……まあ、いいか。」ラウルは諦めた。
ゼインと長老に報告を終えたジンが戻ってきたのは、その日がかなり傾いた頃だった。
戻ったジンにラウルが声を掛ける。
「遅かったな。」
「長老の話が長かったんだよ。」
「こっちは大変だったんだよ。」
ジンが脱いだ外套を椅子背に放り、「何が?」と首をひねった。
「お前の弟子だ。」
「何かしたか?」
「何もしないから大変なんだ。」
ジンは、何だそりゃ、と言ってユーナを見た。
ジンが放った外套を畳もうと手を伸ばす弟子に「腹減ったか。」と聞きながら近づく。
ユーナは相変わらず、「わかりません。」とジンの顔を見上げる。
何気なく、その顔を見た次の瞬間、ジンの表情が変わった。
「……ユーナ、こっちに来い。」
「はい。」
言われた通りに近づいたユーナの額に手を当てる。
熱かった。
ジンがラウルを振り返る。
「こいつ、熱がある。」
「何?」
ラウルが眉を顰めた。先程まで一緒にいたが、そんな素振りは見られなかった。
ジンがユーナの顔を覗き込み、真剣な眼差しで聞く。
「いつから具合が悪かったんだ?」
しかし、聞かれた本人は質問の意味が分からないようだった。
「……わかりません。」
「しんどくないのか。」
「しんどい、という感覚がわかりません。」
ジンの顔が険しくなった。
ラウルが二人の傍に歩み寄り、ジンがしたのと同じようにユーナの額に手を当てた。
熱は大分高そうだった。
ラウルは手を離して、少年に尋ねる。
「寒いか?」
「…少し。」
「いつから?」
「分かりません。」
「頭は痛い?」
「はい。」
「喉も痛いか?」
「痛いです。」
ラウルをユーナのやりとりを、横で見ていたジンが声を上げる。
「何で言わないんだよ!」
ユーナがびくりと身体を震わせた。その反応に、ジンはすぐに声を落として付け加える。
「……違う。お前に怒っているんじゃない。」
そして気まずげに頭を掻くと、ユーナを抱き上げた。
「……師匠?」
「寝るぞ。」
でも、と何事か続けようとするユーナに、いつもより少しだけ優しい声で、「今日は、もう何もしなくていい。身体を休めるんだ。」と、告げた。
「命令ですか。」と抱えあげられたユーナが静かに聞く。
ジンは一瞬黙ってから、「……ああ。今日は命令にする。」と答えた。
その答えを聞いて、ユーナはようやく体の力を抜いた。
今、ラウルは新鮮なものを見る気分で友人を眺めていた。
ユーナを寝台に寝かせたジンは明らかに慌てていた。
水差しを手にして無駄に部屋をうろうろ歩き回り、ユーナが寒いと言えば毛布を何枚も掛け、掛けすぎだとラウルに指摘される。熱冷ましの薬を飲ませて、何度も額に手を当てて、「まだ熱い。」と呟く。
ラウルは「そんなすぐに下がる訳がないだろう」と、なだめてやった。
「呼吸が早くないか。」と心配するのに、「熱があるからな。」と返す。
「顔が赤いぞ。」と言うのにも、「熱があるからな。」と答える。
「大丈夫なのか。」と恐る恐るユーナの顔を覗き込んで聞く様子に、ラウルはため息をついた。
普段のジンは国王や領主相手でも平然としている。
刺客に囲まれても顔色一つ変えない。
そんな男が、九歳の子供の発熱で完全に落ち着きを失っている。
ラウルは少しおかしくなってきた。
「笑うなよ。」
拗ねたように言うジンに、笑っていないと返してから、ラウルはアドバイスしてやる。
「いいか、ジン。子供はしょっちゅう熱を出すもんなんだ。水分を取らせて、できたら何か食べさせて、薬を飲ませる。それで様子をみればいい。」
真剣にラウルの言葉を聞いて、ジンは分かった、と頷いた。




