第三章 saide白銀の髪の少年―拠点にて―②
帰還した使者は、まずアルカの長へ報告を行うことになっている。
二人は荷物を置くより先に、アルカを率いるゼインのもとへ赴いた。
任務中に起きた出来事、各地の情勢、旅の中で出会った人間人々、彼らの噂。
アルカにとって、使者たちが持ち帰る情報は何より重要だった。
七つの国の動向や、争乱の元になるような事件に目を光らせることがアルカの活動の根幹である。
報告を終えた二人が次に向かったのは、村の外れにある一軒の古い家である。
周囲には薬草畑が広がっており、目的の家の軒先には乾燥させた薬草がつるされていた。
ユーナが年その家の玄関先に立ち、季の入った扉を叩く。
「長老。ユーナです。師匠と戻りました。」
扉の内から老人のしわがれた声で「入れ」と返された。
扉を開け中に入ると、薬草と古い紙の匂いがした。
中央の机には地図が広げられ、壁際一面には書棚が配置され、本が並んでいる。
天井から吊るされた籠には、種類別に分けられた薬草が盛られていた。
中央に置かれた机の向こう側に、小柄なエルフの老人が座っていた。
長い年月を経たことを感じさせる白い髪に、顔に刻まれた深い皺。
この村で、いや恐らく、この大陸で最も長く生きて来たエルフの長老だった。
アルカの長であるゼインの相談役として、また村の要として、その知識と経験を使ってアルカを支えて来た者。
だが、多くの困難や悲劇を目の当たりにし、乗り越えてきた人物であるが、普段は好々爺そのものだった。
長老は、長い眉毛の奥からユーナを見据えると、「戻ったようじゃな。怪我はないか。」と尋ねた。
ありません、とユーナが答えると、嬉しそうに笑う。
それからユーナの隣に立つジンを見て、「お前は?」と問うた。
ジンは両手を広げて見せる。
「見りゃ分かるだろ。五体満足で帰ったぜ、爺さん。」
しかし、長老はその答えに喜ぶではなく、半眼でジンを見て、「酒臭いぞ。」と指摘した。
指摘された当人は、「今日はまだ飲んでねえよ。」と不貞腐れたようにそっぽを向いた。
その様子を見た長老が鼻を鳴らして「では元からか。」と答えるのに、ジンが振り返って「ひどくない?」と顔をしかめる。
ユーナはそれを苦笑しながら眺めていた。
普段、他の者がいる場所では、ジンも長老に対して一応それなりの言葉遣いで接する。
だが今ここにいるのは、長老とジン、そしてユーナだけだ。だから態度に遠慮がない。
で、といいながら、ジンが傍の椅子へ勝手に腰を下ろした。
「俺たちが留守の間、何か変わったことは?」
長老がため息をついて「まず座ってよいか聞かんか。」とぼやく。
ユーナは二人のやり取りを静かに聞いている。
ジンが長老に遠慮のない態度で接するのには理由がある。
ジンにとって長老は師匠であった。
つまりユーナは長老の孫弟子にあたる。
通常、アルカの使者を志す者は子供時より、現役のアルカの使者に弟子入りする。
しかし、なぜかジンはその時すでに現役を退き、「長老」と呼ばれていたこの老人の弟子となったらしい。
その頃の話は、ジンもラウルも長老もあまり詳しく話してはくれなかった。
ただ、村に住む、他の大人たちの言うことから分かったのは、
――ある日、ふらっとこの村を訪れた男がいた。その男は一流の剣の腕を持ち、アルカの徽章を携えていた。そして自分は長老の弟子だという。
ゼインと長老、そしてラウルが彼から事情を聴き、彼をアルカの使者として迎え入れたという。その男がジンだった、ということである。
不思議な話だ。長老はいつどこでジンを鍛えたのだろう。
ユーナは長老を見つめた。
今、目の前でジンと言い合っている老人は旧時代を知る、最後のエルフだった。
普段は、村の子供たちに歴史を教え、世界の成り立ちを教え、《アルカ・パクシス》がなぜ存在するのかを語る。
そして現在、ユーナに以外に治癒術を扱える、唯一の人物でもあった。
他の使者たちがついている任務の内容を簡単にジンに説明してやった長老が、ふと言葉を切り、低い声で続けた。
「それから、最近、国境付近できな臭い動きをしているとの報告が上がっておる。どうやら国境に至る街道に、抜け道を作ろうとしているとの噂じゃが、それが本当なのか、何の為なのかは調査中じゃ。」
ジンの顔が真剣さを帯びた。「どこの国だ。」と低く問う。
長老は一拍置いてから、レグナリア王国じゃ、と静かに告げた。
その瞬間、ジンの表情が凍った。
それから、顔を伏せ小さな声で、「そうか。」とだけ呟いた。
どこか痛みをこらえるような声だと思った。
長老も痛ましげにジンを見つめている。
レグナリア王国。アルカの使者であるジンと共に任務の旅を続ける中で、ユーナは色んな国を訪れたが、いまだにレグナリア王国に行ったことはなかった。
レグナリア王国に何かがあるのだろうか。
ユーナには知らない、何かが。
部屋にしばしの沈黙が落ちる。しばらくして、ため息をついた長老がユーナに柔らかい視線を向け、尋ねた。
「明日は来られるか?ユーナ。」
ユーナは、はい、と返事をして頷いた。治癒術の扱い方がまだまだ未熟なユーナはこうしてアルカの拠点の村に帰ってくる度に少しずつ、長老から術の扱い方の手ほどきを受けている。
任務帰りじゃ、休んでも良いぞ。と長老はユーナを気遣うが、ユーナは「大丈夫です」と即答した。
長老が心配そうに少し眉を下げる。そこに、ジンが横から口を挟んだ。
「無理させんなよ。」
「お前が言うか。」
長老が椅子に座ったままのジンに言う。普段のジンがユーナへ行う剣術の修業が厳しいことを知っているのだ。
それに対してジンが言う。
「俺だから言うんだよ。」
「……ふむ。」
長老はそれ以上何も言わなかった。
ただ、その老いた目だけが、ほんの少し細くなる。長い年月を生きた者だけが持つ目だった。
そしてユーナを見て言う。
「では明日、体調を見て決めよう。」
それからジンを見て付け足す。
「疲れているなら休ませる。……本人が大丈夫と言ってもじゃ。」
最後の一言だけ、明らかにジンへ向けられていた。
納得したように頷くジンを見つめて、長老が嘆く。
「お前もユーナの真面目さを見習って、真面目に任務を遂行せんか。」
「俺なりに真面目にやってるって。信用ねえなあ」
「積み重ねた結果じゃ」
ユーナが小さく笑った。
二人が同時にそちらを見る。
なんだよ、とジンに問われたユーナは首を振った。
「師匠にも師匠がいるんだなと思いまして。」
長老がニヤリと破顔した。
「そうじゃぞ。こやつ昔はな――」
「余計な話すんなよ、爺さん。」
突然いきいきと話し出した長老を、ジンが慌てて遮ろうとする。
「剣の腕ばかり上達しおって、手のかかる弟子でな――」
「長老。」
「酒は昔から――」
「帰るぞ、ユーナ」
「あっ、師匠。」
耐えきれなくなったのか、ジンが立ち上がり、扉へ向かう。
長老の楽しそうな笑い声が、その背中を追いかけた。
少々残念な気持ちで、ジンの後に続いたユーナは、一度、長老を振り返ってぺこりと頭を下げた。




