第三章 saide白銀の髪の少年―拠点にて―①
かつて人間が引き起こした大規模な戦争。人間自身をも滅亡の危機に追い込んだその争いによって、大地は汚染され、生き残った人々はエルフの力を借りて、この大陸で新たな生活を始めた。それまでの高度に発展した技術と文明を手放して。
その時に、この大陸には新たな国々が生まれた。七つの国。
大陸の中心には、レグナリア王国。学術王国と呼ばれるこの国には、七国の中で、最も多くの古代の遺跡が眠っていた。そのため、古代遺跡を発掘・研究する施設が国に設けられ、各国から研究者が集まって来ていた。
レグナリアの西隣に位置するのは、アルヴェイン連邦王国。北部に鉱山地帯を多く抱え、南部は広い農地を利用した農業と畜産業が国を支えている。また、それぞれの領地では自警団による自治が行われている。
そのアルヴェインのさらに西、この大陸の西端にあるのがベルネシュ自由連合王国だ。自由な商業を推奨しており、交易によって栄える国である。商業組合の力が強く、領内の街は華やかで、活気があるが違法な売買が裏で行われることもある。
レグナリアの東隣に広がるのはセイラン皇王国。大陸の東端の国である。皇王と呼ばれる王の独裁性が強く、王直属の暗殺部隊が存在するという噂もある。独特の文化が発展しており、この地方独自の薬草学や戦闘術が存在する。
大陸南西には温暖な森林地帯と岩場の多い海岸地域を抱える、アラウナ海洋王国がある。南西の海上に群島を抱えるこの国には、航海術に優れ、自在に船を操る者たちが多く住まう。漁と海上交易が盛んであるが、船上で暮らす者たちの中には、海賊と呼ばれる者たちもいる。
大陸南東部は広大な砂漠地帯となっている。この地方はナジュール諸部族王国の国土である。砂漠の中に点在するオアシス周辺に、それぞれ異なる民族が暮らしており、国の中心部にある巨大オアシスを擁する街が王都となっており、その街を治める一族に他の民族が忠誠を誓っている。この国では希少な宝石や、繊細な技術で作られた織物を他国に売って収入を得ている。
大陸最北部に存在するのは、ローグレン王国。厳しい寒さの中で鍛え上げられた精強な騎士団の存在は有名である。秋から春にかけて雪が解けることのない領地も多く、夏の短い期間で農作物を育て、収穫する。標高の高い山々が国土の三分の一を占めており、酪農や狩猟を生業とする者も多い。
そんな七つの国の中で、複雑に国境が混じる部分がある。
北東へ行けばレグナリア王国、 南へ抜ければアラウナ海洋王国、そして西へ進めば、アルヴェイン連邦王国の領域へ入る。
三国の境界線が複雑に入り組むその一帯は、どの国の主要街道からも外れていた。
そこは地図に名も記載されていない深い森だった。
樹齢千年を数える巨木が空を覆い、昼間でさえ木々の根元には薄暗い影が落ちる。街道から森へ入る道も、知らなければ獣道としか思えない。
だが、その奥、森を抜けた先には村があった。
石造りの家と木造の家が入り交じり、中央には広場があり、その周囲に酒場や食堂、共同浴場、診療所、鍛冶場などが並ぶ。少し離れた場所には訓練場もある。
決して多くないこの村の住人は、そのほとんどが、エルフかハーフエルフだった。
〈アルカ・パクシス〉。
国家に属さず、国家同士の争いを仲裁し、必要ならばその身をもって戦火の間に立つ者たち。
その拠点が、この森の中の小さな村だった。
この村に住む者全てがアルカの使者であるわけではない。この村で生まれ育ち、その志と素養のある者が、大人の使者の弟子となり、一人前になることを目指すのだ。
この村に出入りする行商人も〈アルカ・パクシス〉の協力者のハーフエルフたちである。彼らは七国のいずれかの国で暮らしながら、その国を訪れたアルカの使者の手助けをしたり、任務に必要な情報提供を行ったりする。
そうやって人間より遥かに長い時間を生きる者たちは、人間を見守って来たのだった。
そして、ある日の夕刻。
村へ続く細い道を、二つの人影が歩いていた。
「――やっと着いた……。」
先を歩いていた男が、心底疲れ果てた声を漏らした。
伸ばしかけの髪は旅の埃をかぶり、頬にはいつもの無精髭。
肩に荷物を引っかけ、腰には長剣を帯びている。
どう見ても、世界の平和を守る高潔な使者という風貌ではない。
ジンだった。
「師匠。まだ村に到着していません。」
その少し後ろを歩く少年が言った。
白に近い銀髪を後頭部でひとつに束ねた、小柄な少年、ユーナが言う。
「家に帰るまでが任務です。」
ジンは半歩後ろをついてくる弟子を、怪訝な顔で見下ろした。
「なんだそりゃ。」
ユーナは真面目な顔で、この前長老に教わりました。と答えた。
長老、と聞いて嫌な顔をするジンに、ユーナは続けて言った。
「『ジンにもよく言い聞かせておけ』とも言われました。」
ジンは一瞬黙ってから、あのクソジジイ、と呟いた。
師匠、とユーナがたしなめる。
いつものやり取りだった。
やがて遠目に村が見え始めた。
夕餉の煙が家々の屋根から何本も立ち上っている。
幼い子供たちが広場を走り回り、仕事を終えた大人たちが井戸端で談笑する姿も見える。
穏やかな光景だった。
村へ向かうユーナの歩みが、ほんの少しだけ速くなったことにジンは気づいたが、何も言わなかった。
代わりに、口元を少し緩めた。
二人が村の閭門をくぐったときだった。
門の横手から二人に声を掛ける者がいた。
「ようやく帰ってきたか。」
ジンと同じぐらいの年頃の長身の男が立っていた。よく鍛えられた体つき、柔らかい茶色の短髪に、知性の感じられる深緑の瞳。真面目そうな顔立ちが、二人を見つけて和らいだ。
ラウルだった。この村の長の補佐としてアルカの使者たちのまとめ役をしている男だった。
ジンが親し気に片手を上げて応えた。
「よお。生きてたか。」
「それはこっちの台詞だ。」
ラウルは怪我の有無を確認するように、ジンを上から下まで眺めて言った。
「今回はずいぶん長かったな。」
ああ、とジンは頷いた。いろいろあったからな。
お前の『いろいろ』は信用できん、と首を振るラウルに、ジンが首をすくめた。
「前に同じことを言って帰ってきたとき、お前、任務先で三日も賭場に入り浸っていただろう。」
「仕事はちゃんと終わらせてたぞ。」
「そういう問題じゃない。」
やれやれ、とラウルはため息をつく。
だが、すぐにジンの傍らのユーナへ視線を向けた。向けられた視線は柔らかい。
「お帰り、ユーナ」
その声も無事を喜ぶような、労るような、優しいものだった。
ユーナの「ただいま戻りました、ラウルさん。」と答える声も嬉しそうに弾んでいる。
怪我はないか?と問うラウルに元気に返事をする。
隣でそのやり取りを聞いていたジンは、ラウルの「ジンに無茶させられなかったか?」という問いかけに抗議の声を上げた。
ユーナは少し考えてから、「……今回はそれほど。」と遠慮がちに答えた。
「……お前、もっときっぱり否定しろよ。」
ラウルが笑って、大きな手をユーナの頭に伸ばす。
ユーナは避けない。
怪我がなくて何よりだ、と言いながら軽くユーナの頭を撫でると、ユーナは嬉しそうな笑みをこぼす。
ラウルもその笑顔につられるように笑みを深めた。
三年前には、この子供がこんな風に微笑む姿を想像することはできなかった。あの頃の記憶は今では遠いもののようにも思える。しかし、決して忘れられるものではない。
その様子を眺めながら、ジンがぽつりとこぼした。
「なんか、俺と扱い違わねえ?俺も長旅から帰ってきたんだぞ。」
ラウルが「お前は放っておいても死なないだろう」と呆れたように言のに、ジンは言い返した。
「ユーナもそう簡単には死なねえよ。」
その言葉に、ラウルは一瞬だけ黙った。
不自然な沈黙に、ジンも気づいたらしい。不審気に眉を寄せて、なんだよ、と問う。
どうやら無意識の発言だったようだと分かったラウルが、小さく笑った。
「いや、お前がそれを言うようになったんだなと思ってな。」
はあ?とジンが声を上げる。意味分かんねえ、と。
「ああ、分からなくていい。」
ラウルはそれ以上説明しなかった。
ユーナも不思議そうに二人の大人を見比べていた。




