第二章 saide白銀の髪の少年―過去の影―⑭
アルヴェイン国境近くの宿でユーナが目を覚ましたのは翌朝のことだった。
目を開けると、見慣れた顔が自分を見下ろしていた。
師匠、と小さく呼びかけた声が掠れた。
寝台に横たわる自分の隣でジンは椅子に座っていた。
ユーナはその姿を観察する。
髪はいつも以上に乱れていて、髭も手入れした様子がなかった。
そして、珍しく酒の匂いがしなかった。
自分が寝かされている部屋は宿の一室のようだが、見覚えがなかった。
ここはどこですか、と問う前に、アルヴェイン国境の宿屋だ、とジンが教えてくれた。
自分が何処にいるのか理解すると同時に、昨日の出来事も蘇ってくる。
そうだ。僕、命令されて、治癒術を……。
そして、倒れた。
「すみません。」
謝罪の言葉は自然とこぼれた。
ユーナの言葉聞いたジンの眉間に皺が寄った。
「なんで最初の言葉がそれなんだよ。」
疲れたようにため息をつく。
ユーナの胸が痛んだ。
「だった、僕、迷惑を――」
「かけてねえ。」
強い言葉で遮られ、ユーナは黙った。強い声の調子から、ジンが苛立っているように感じた。
ユーナは知っている。ユーナが治癒術を使うことを、ジンが激しく嫌がっていることを。
だから、今回もきっとジンに嫌な思いをさせたのだろう、と思った。
ジンはユーナの伺うような視線に気づき、すぐに言葉を選びなおした。
「悪い。お前に、苛立ってるわけじゃないんだ。」
それからベッドの横へ座り直して、ユーナの顔を覗き込み、言う。
「俺は、お前に迷惑かけられたなんて思ってないし、倒れたお前に怒ってるわけでもない。」
ユーナもじっとジンの顔を見つめる。ジンが教えようとしていること、伝えたいことをちゃんと理解したいと思っている。
ユーナ、と呼び掛けて、ジンは一つずつ伝える。
命令されても従うな。仕事の指示と、お前の命を好きにする命令は別物だ。
お前の命は、お前のものだ。
お前の力も、お前のものだ。
お前は誰かのものではない、……俺のものでもない。お前のものだ。
「だから、大事にしろ」
ユーナは頷いた。
「努力します。」
ジンは困ったように頭を掻いて言う。
「努力じゃなくて……大事にしろ。……お前が自分を大事にしないと、俺が困る。」
ユーナが首を傾げて、師匠が?と、聞き返す。
ジンは目を逸らして、明後日の方を向いて言う。
「弟子が倒れたら困るに決まってんだろ。」
「そうなんですか?」
ユーナが純粋に尋ねると、ジンは頭を抱えた。
この男は本当に、こういう時に自分の気持ちを言葉にすることが苦手だった。
「……それだけじゃなくて、お前が苦しんでる姿を見るの、嫌なんだよ。」
ユーナが目を見開く。
「分かったら、もう寝ろ。」
ジンは照れ臭さを隠すように、乱暴にユーナの頭を掻きまわした。
俺も寝る、と言うジンに、ユーナは心配そうな声を上げた。
「師匠、昨日寝てないんですか。」
ジンは気まずそうにして、答えない。
「僕のせいですか。」
「だからそこまで気ぃ遣うなって!」
その時扉の向こうで笑いを堪える声がした。
ジンは扉の方へ体を向けて「入っていいぞ、アルバ。」と声を掛けた。
扉が開かれ、気づいていたのか、と呟きながらアルバが入ってくる。彼は片手に果物の盛られた籠を抱えている。
寝台脇の机に手にした籠を置くと、ユーナの顔を見つめる。少年の顔色が戻っているのを確認して、ほっとしたように笑った。
それから二人に向き直り、表情を改め、「礼を言いに来た。」と告げ、アルバは真面目に頭を下げた。
「子供たちを救ってくれた。それだけではない。アルヴェインの者たちと我が国の騎士団が殺し合うことも防いだ。感謝している。」
「俺たちは仕事をしただけだ。」
ジンは答えにアルバは顔を上げる。そうだとしても礼は言わせてくれ、と言う。
「私は最初、あなたを最低の使者だと思っていた。」
ジンが「正直なやつ。」と呟く。
「実際、朝は起きない、酒ばかり飲み、賭け事をする、荷物の管理は弟子任せ、財布をなくす…」
「もういい。」
「服も洗わない。」
「分かったって。」
「食事も忘れる。」
「お前何しに来たんだよ、もう帰れ。」
やりとりにユーナが笑う。そのユーナをアルバが優しい目で見つめた。
「だが、あの一週間で、なぜ君がこの人を師匠と呼ぶのか、少しだけ分かった気がする。」
ユーナが目を瞬く。
ジンは居心地悪そうに視線を逸らした。
アルバは今度はジンへと視線を向ける。
「そしてジン殿、なぜあなたがこの子を危険な任務へ連れて歩くのかも。」
ジンは返事をしなかった。
アルバも答えを求めなかった。
ただもう一度、「本当に、ありがとう。」と二人へ頭を下げた。
昼前になって、二人はアルヴェインへ戻るために宿を出た。
アルバも街道の入口まで見送りについてきた。
ふと、ユーナがジンを見上げて問う。
「師匠、財布は持ちましたか。」
ジンはこともなげに、「持った。」と答える。
しかし、ユーナはじっとジンを見つめ続ける。
「あるって。」
「本当に?」
ジンが懐を探り、腰の荷物を漁る。財布はなかった。
宿に置き忘れたのだろうと、ユーナが宿へ戻ろうとする。
アルバが思わず叫んだ。
「ちょっと待て!なぜ弟子が取りに行く!」
「こいつが代わりに取りに行くって言うから。」
「自分で行け!」
アルバの怒鳴り声に、ユーナが声を立てて笑った。
その笑い声を聞いて、ジンもわずかに笑う。
数分後、二人は街道を歩いていた。
小柄な白銀の髪の少年が少し前を歩き、その後ろを、だらしない師匠がついていく。
しばらくすると、ジンが何か言った。
ユーナが振り返って言い返す。
それにまた、ジンが何か返す。
遠くから見ればどこにでもいる旅の師弟のようだった。
三年前に名前もなく、命令されるままに生き、ゴミ捨て場へ投げ捨てられた子供は今、自分の意志で歩いている。
誰かを気遣い、笑い、時には師匠を叱ったり、嫌なことには困った顔をしたりして。
自分の意思で、次の場所へ向かっている。
そしてその隣に立つのは、自分の生活ひとつろくに整えられないくせに、その少年の事を誰より気遣う男だった。
男が、なぜこの少年を拾ったのか。
なぜ異様に治癒術の使用を嫌がるのか。
そして、少年が倒れる姿に、なぜあれほど動揺するのか。
少年にはまだ分からない。それでも、男を心から信頼していた。
二人はアルカ・パクシスの使者として、また次の任務へ向かう。
国と国の狭間に立ち、争いになる前の声を拾い、誰かの助けを求める声があれば、そこへ行く。
それがこの師弟の日常だった。




