第二章 saide白銀の髪の少年―過去の影―⑨
ジンは戦いの途中で不意に気づいた。
ユーナの声がしない。気配が消えた。
ユーナは自分が戦いの渦中にいなくとも、警戒を怠ることはない。常にジンの戦いの動向に気を配っている。
先程の地上戦の時も建物内から現れた増援に気づくなり、声を上げた。
そういう風に教えてきた。
それなのに、ユーナが戦いに警戒している気配がしない。
ジンは少年たちの攻撃をかわしながら、横目で弟子を探す。
子供たちの前で佇むユーナを見つける。
その顔色が異様に白い。血の気が引いている。
目は開いているが、何も見ていない。
「ユーナ!」
名前を呼ぶが返事がない。自分を見ることすらしない。
「ユーナ!」
先程より大きな声で呼ぶ。それでも反応はない。
ジンの胸の奥で嫌なものが跳ねた。
目の前に迫る少年二人を素早く取り押さえ、床へ伏せさせ、真面目な騎士を呼ぶ。
「アルバ!こいつら任せた!」
呼ばれたアルバは目をむく。
「だが――」
「いいから!」
ジンの声の強さに、アルバは反射的に従った。ジンと入れ替わるようにして彼に襲い掛かろうとする少年を引き受けた。
それを確認することなく、ジンはすぐにユーナの前へ向かった。
目の前に立ち、少年の肩に手を置く。
「ユーナ。」
少年の身体が大きく震えた。
その反応にジンは手を離しかけた。触れられること自体に驚いている。
「ユーナ、俺を見ろ。」
声を落として呼びかける。
ユーナの瞳が僅かに動いた。
「……ししょう。」
「そうだ。」
かすかな声にジンはしゃがんで目線を合わせた。
まだ、焦点のあっていない瞳を覗き込んでゆっくりと尋ねる。
「ユーナ、ここはどこだ。」
ユーナは答えられない。うろうろと瞳がさまよう。
「答えろ、ここはどこだ。」
「地下……。」
少しだけ、視点が定まる。
「どこの地下だ。」
重ねて問う。
「ベルネシュ……。」
「そうだ。今はいつだ。」
ユーナの呼吸が乱れる。浅い息づかいの合間から、「わから、ない。」という小さな声が漏れた。
それでもジンは焦らない。「大丈夫だ、考えなくていい。」と静かな声で続ける。
「俺は誰だ。」
「師匠。」
「お前は。」
ユーナの口が開く、しかし答えが出ない。
今度はジンは待たなかった。
「ユーナだ。」
はっきりと告げた。
「お前はユーナだ。十二歳の俺の弟子。三年前のあいつじゃない。」
ユーナの瞳がゆっくりと焦点を取り戻し始める。
その視線の向こうでは、奴隷の少年がアルバへ向かってまだ暴れていた。
その光景を目にして、ユーナの身体が再び強張る。
それを見てジンはすぐに自分の身体で視界を遮った。
「見るな、今は俺を見てろ。」
「でも……僕も……、僕も、あの子たちと……。」
ユーナの言葉を、ジンは否定しなかった。嘘をついても意味はない。
「そうだ。昔のお前も、ああだった。」
ユーナの喉が小さく鳴る。顔が苦しそうに歪む。
ユーナの肩に置いたジンの手に力がこもる。
「でも、今は違う。」
ユーナがジンの顔を見上げ、「……本当に?」と震える声で聞く。
違う、と強い声でジンが言い切る。
「今のお前なら、俺にだって普通に逆らう。」
「……。」
「朝、起こせって言ったら、嫌な顔するだろ。」
「……それは、師匠がなかなか起きないからです。」
ジンは少しだけ笑って「ほらな。」と言う。
「俺が酒飲めば説教するし、賭場にいきゃ怒る。飯で嫌いなもの出たらこっそり端へ寄せる。」
「寄せてません。」
不満そうにユーナがジンの言葉を遮る。
「寄せてる。」
ジンがまた笑った。
「昔のお前にはできなかったことだ。」
ジンは少年の肩をゆっくり撫でた。そして言い聞かせるように言う。「だから、丈夫だ。」と。
ユーナの呼吸が、少しずつ戻っていく。
それを認めてジンは帰ろう、と静かに言う。
ここから先は憲兵に任せる。と言い、立ち上がろうとするジンに、「でも、子供たちが。」と見上げる。
「僕も手伝えます。」
ジンは首を振る。
「駄目だ。今のお前は手伝わなくていい。今日はもう、終わりだ。」
ジンはきっぱり言った。
ユーナはしばらく迷っていたが、「はい。」と小さく頷いた。
援軍が到着したのは、それからほどなくしてだった。
アルバが宿を出る前に走らせた使者が、騎士団を連れてきたのだ。
奴隷商の男たちは拘束された。
保護された子どもたちも順番に地上へ運ばれる。
戦わされていた奴隷の少年たちも今はおとなしく保護されている。
騎士たちに連れていかれる彼らを見て、ユーナの体は僅かに強張った。
ジンはそれを見逃さなかった。
ユーナの背に手を添え、帰り道を急がせた。
宿へ戻るまで、ユーナはほとんど喋らなかった。
黙って帰路につく二人の後をアルバもついてきた。
騎士団へ現場を引き継いでから、どうしても二人の様子が気になったのだ。
ユーナは普段通り歩いている。しかし、時折、何もないところで指が強く握られた。
ジンは歩調を落として隣に並ぶ。
前を向いたままユーナにぼそりと聞く。
「疲れたか?」
ユーナは少し微笑んで「大丈夫です。」と答える。
「お前の大丈夫は信用してねえんだよな。」
「本当です。歩けます。」
ユーナの返答を聞いて、ジンは少し迷ってから聞いた。
「歩けるかどうかじゃなくて……しんどいかって聞いてる。」
ユーナはすぐには答えなかった。少し歩いてから、「分かりません。」と小さく言う。
そうか。と答えたきり、ジンはそれ以上尋ねなかった。
アルバは後ろからそのやり取りを見ていた。
ジンは不器用だ。気遣いや慰めの言葉かけが上手ではない。
しかし、ユーナに無理に話させなかった。答えが出ないことも受け入れる。
先程の地下でもそうだ。
今どこにいるのか。自分は誰なのか。
焦らず、一つずつユーナに思い出させて意識を引き戻した。
あの少年が過去に何を経験したのか。
アルバの中の疑問に対する答えが、少しずつ形になり始めていた。




