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第37話 帰り道

ロワク城郊外 深夜


ユージンは漆黒の森の中を歩いていた。


「早く来い」振り返りもせず催促した。


後ろでロザが息を切らしている。


「あたしを家畜だと思ってんの?」


ロザは暗い林の中をひと回りして、「一日中立ち仕事して、夜は餓鬼に付き合って森に入る羽目になるとはね」


枯れ枝を蹴り飛ばした。「遊ぶならさっさとしてよ、こんな遠くまで連れてきて、誰が気分になるっての」


ユージンは黙って奥へ歩き続けた。


「まさかまだ初めてとか?」ロザはしばらくその背中を見てから、ふと笑った。「そりゃそうか、こんな遠くまで来なきゃ……誰にも見られないもんね」


ユージンは止まらなかった。


ロザが舌打ちして、いっそ立ち止まった。


「ここでいいでしょ」かがんでふくらはぎを揉んだ。「これ以上歩くなら帰るよ」


ユージンが止まった。


ロザはその背中を見て、少し苛立った顔をした。「聞こえてんの?」


返事がないのを見て悪態をついた。「このガキ、もう知らない!」振り返って歩き出そうとしたとき、手首を掴まれ、ぐいと引き戻された。


「ちょっと——」


言い終わらないうちに、金貨一枚が胸元に叩き込まれた。


「……こんな金持ちだったの?」


ロザは手の中の鈍い金色を確かめ、一瞬息を止めた。


「……あらまあ」表情がすぐに緩んだ。一歩近づく。


「どうする?」ユージンの声が硬かった。「ついてくるなら、歩け」


ロザの指が肩から下へ滑った。

「もちろん、坊やがどう遊びたいかは全部お姉さんに任せて」


林の奥から、枯れ枝を踏む音がした。


闇の中から、いくつかの人影が現れた。


衣は破れ、革鎧は裂け、布地は泥と血で固まっている。先頭の男は横に広い顔をしていて、絡まった髪が頬に垂れていた。口を開くと、黒ずんだ歯が見えた。


松明に火が入った。光が、男たちの手の錆びた剣と鈍った短刀を照らした。


「こんな夜中に女の声がすると思ったら」先頭の男が二人を眺めまわした。「坊主、女連れで森に入るとは」


ロザの手首が勢いよく引かれたが、ユージンは離さなかった。


彼女がユージンを見た。


彼は見ていなかった。


ロザの目が変わっていった。


「やっと来た」


先頭の男が眉をひそめた。「あ?」


松明が近づき、光がユージンの顔に落ちた。


「こんな夜中に女連れで何してんだ」


ユージンが口角を上げた。「リオン様のお仕事をしてます」


「リオン?」男が鼻で笑った。「どこかの軟弱者みたいな名前だな」


「ロワク城のヴィセス家です」


「誰に仕えてるかなんて関係ない」男が松明を後ろの者に渡した。「俺の手に落ちたんなら、殺さない理由を言ってもらわなきゃな」


ユージンはむしろ一歩前へ出て、笑顔のまま言った。「兄貴、俺はあなたを探しに来たんです」


後ろでロザの体が震え、手を抜こうと必死になった。


先頭の男が仲間を振り返り、笑い声を上げた。「聞いたか? 間抜けに会ったぞ」


「挨拶代わりに」ユージンがロザを勢いよく前へ引いた。


彼女が地面に倒れ、起き上がる前に男の手が喉を掴んで持ち上げた。男はロザの口を塞ぎ、首筋に鼻を近づけてから、満足そうに低く鳴った。


「面白い」男が言った。「続けろ」


「兄貴、ヴィセスのために動いてます」ユージンは目を離さなかった。「一人、始末してほしい人がいる」


「ほう?」


「村の子です。俺と同い年くらいの」ユージンが唾を飲んだ。「イノ・ストヴォークという名前です」


「どういう話だ?」


「詳しいことは言えません」金貨を持ち上げた。「金貨一枚。死んでほしい」


男が目を細めた。「自分たちで片付けられないから俺に頼む? 俺を馬鹿にしてるのか?」


金貨が空中に弧を描いて、男の手に落ちた。


男は重さを確かめてからユージンを見た。「これだけ渡して怖くないのか。金だけ取ってお前も殺したっていいんだぞ」


ユージンの笑みが一瞬固まった。「兄貴が本当に殺したいなら、今ごろ俺の話なんか聞いてません」


乾いた唇を舐めた。「ヴィセスの貸しは厄介だし、恨みを買うのも面倒でしょう」


「俺が死んでも、兄貴に面倒が増えるだけですし」ユージンの声が震えていたが、笑いは消えなかった。


ロザを指さした。


「あいつ、まだ一枚持ってるんで」


男の眉が動いた。


「金貨一枚で一人」ユージンが言った。「一枚目は、イノ・ストヴォークを殺す」


足がかすかに震えた。「二枚目は——みんなで楽しんだあと、彼女も片付けてもらう」


ロザの目が大きく見開かれ、喉の奥から塞がれた声が漏れた。


松明の光が彼女の横顔に踊った。


「お前の言う通りなら」男が首を傾けた。「この出会いは必然だったと?」


「賭けてみました」


ユージンが太ももを叩いた。


男が笑い声を上げた。


「もし一晩空振りだったら?」


ユージンは男の腕の中のロザを見て、また笑った。


「それでも損はないでしょう、兄貴」


男は二秒ほど見てから自分の胸を叩いた。「カエサル。この名前を覚えておけ」


カエサルはロザの顔に口をつけてから顔を上げた。「引き受けた」


視線が上がった。


「お前は行っていい」


ユージンが頷いた。


振り返って林の外へ向かった。最初の数歩はほとんど逃げるような速さだった。十数歩歩いてから、ようやく足が緩んだ。


その場に立って、空っぽの手のひらを見下ろした。ずっと息を止めていたことに気づいた。


ゆっくり吐き出すと、胸が激しく上下して、胸の奥がぽっかりと空いた。

手で顔を触ってみると、自分が笑っていることがわかった。


——————


霧見崎郊外 深夜


イノは今、自分がどこにいるのかわからなかった。


「俺は……何をやってるんだ?」


声はほとんど聞こえないくらい小さく、空気に向かっているのか自分に問いかけているのかもわからなかった。


そのとき、前方の霧がかすかに揺れ、見覚えのある影がゆっくり浮かんだ。


誠仁だった。


そこに立っていた。背中がわずかに丸く、全身が血に塗れていた。着物は千切れ、血が腕を伝って落ちていて、足元は惨状だった。


「誠仁!」イノが叫んで駆け寄った。


誠仁は振り返らなかった。頭を下げたまま動かない。


三人の武士の遺体が地面に横たわり、刃にはまだ熱が残っていた。


空気は血の匂いで満ちていた。


「お前は……」イノが目を見開き、地面の血溜まりに視線が流れた。次の瞬間、もっと恐ろしいものが目に飛び込んできた。


近づいてやっと見えた——


誠仁の腕の中にあるのは、血と肉の塊だった。


イノはそれを見て、唇が勝手に震えた。


あれは「彼女」ではなかった。


あれは「二人」だった。


イノはわかった——


あの裙の下から流れていた血が、どこから来ていたのかを。


誠仁の声がかすれてほとんど聞こえなかった。


「イノ……来てくれたか」


「彼女が……今日、話したいことがあると言っていた。日を選んで、天気がいいから出かけようと」


低く笑い、最後の一息のように吐き出した。


「俺は馬鹿だ」手の指がかすかに震えながら、前方の森の奥を指した。


イノはその方向を見た。霧の向こうに、高い建物の輪郭がぼんやり浮かんでいた。


「今行っても死ぬだけだ。

でもあれが俺の道だ」


誠仁がやっと顔を上げ、イノを真っ直ぐ見た。


目が真っ赤だった。「また来る。でも今日じゃない」


「あの街の内側から始めて、少しずつ引き裂いていく」


誠仁が頭を下げ、腕の中の血を見た。


「この道を行けば帰れる。

俺に……もう少しだけ、ここにいさせてくれ」


イノは口を開いたが、何も出てこなかった。


「さようなら、イノ」


誠仁が背を向けた。声が霧に沈んでいった。


イノはその場に立ったまま動けなかった。世界がこわいくらい静かで、自分の呼吸だけが残っていた。


頭を下げた。唇をひとつに閉じた。


——————


ロワク城郊外 ユージンとマルの家 深夜


ユージンが扉を押した。屋の中は真っ暗だった。


もともと何もない部屋だ。机は売った。箪笥も売った。まともな椅子も、とっくにない。残っているのは二人とベッド一つだけだ。


マルが横たわっていた。呼吸は穏やかだった。ユージンはベッドの脇に立ち、しばらく見ていた。それから手を伸ばして揺すった。


眉をひそめた。起きない。


もう一度揺すった。


マルが面倒そうにうめいて、寝返りを打った。


「……何だよ」


目を擦りながら、声にまだ眠気が残っていた。


「寝てるのに……」


ユージンは何も言わなかった。


マルが暗がりの中でユージンを見上げた。


「どうした?」


少し間があってから、ユージンが口を開いた。


「……俺、何かやった」


「何を?」


喉が動いた。「俺たちのためになることを」


「俺たちのためって何だよ?」マルが頭を左右に振りながら、まだ眠そうだった。


ユージンは答えず、話を変えた。


「リオン様のことだ」


マルが目を開いた。「リオン様?」


ユージンが頷いた。暗がりで、マルにはその顔が見えない。


「リオン様が、俺たちに人を殺せと言ってる」


マルの眠気が一瞬で消えた。「殺す……誰を?」


ユージンはしばらく止まってから、見つめた。


「イノだ」


マルが完全に目を覚ました。「は?」


ゆっくり起き上がった。「ユージン、何を言ってる?」


ユージンはそこに立ったまま、床に足をついて動かなかった。


「リオン様が殺せと言ってる」


「なんで?」


ユージンは答えなかった。


「お前、何をやったって言ったんだ?


ユージン、もう引き受けたのか?」


「イノを殺せば、俺たちは本当にリオン様の側近になれる」


「殴るだけじゃ駄目なのか?」


「俺たちは奴隷だ、主人のない奴隷だ」


ユージンが止まった。「腹を空かせたくない」


マルがユージンを見た。「イノは……イノは俺たちによくしてくれた。お前は俺たちが殴れば、また遊んでくれるって言ったけど、何度やっても遊んでくれなかった」


続けた。「エリーナおばさんも俺たちによくしてくれた」


ユージンの呼吸が重くなった。


「よくしてくれれば腹が膨れるのか?

よくしてくれれば生きていけるのか?

そんなもの、意味がない」


マルが言った。「でも俺たちもエリーナおばさんのパンで——」


ユージンがすぐに遮った。「その先はどうなる?」


「あの冬のこと、覚えてるか?俺が何を言ったか?あいつらが死んだ後はどうするって」


また言った。「だから今の俺たちがあるんだろ」


マルが頭を下げ、枕の脇を手で探った。


「ユージン」手を広げた。


半枚の金貨が掌に乗っていた。「まだこれがある。しばらく食べられる!」


ユージンはその半枚の金貨を見つめた。


小さすぎる。笑えるくらい小さい。未来など買えない。


ユージンはマルの手を払いのけた。金貨がベッドの上に落ちた。


「何もわかってない」


マルは黙った。部屋が静かになった。


ユージンがマルの肩を掴み、声を低くして頼み込んだ。「マル!イノはもうお前と遊ばない!」


マルは答えなかった。ただ頭を下げた。


——————


イノはもう歩いているのかどうかもわからなかった。


足は動いていた。体は前に進んでいた。でも意識は霧の向こう、遠い遠いところに置いてきた。


どう消化すればいいのか、もう消化しようとも思わなかった。


ただ機械的に足を踏み出す。一歩、また一歩。


霧はまだそこにある。夜は変わらない。


闇が足元から這い上がってきて、最後の光を飲み込んでいった。


遠くの野に、ぼんやりした影が一つ、異様な速さで近づいてきた。


影はイノの周りを一回りしてから、つま先の前で止まった。


霧が巻き上がる。影の狼だった。


漆黒で、静かで、両の目が氷の灯りのように光っていた。


狼はじっとイノを見ていた。


イノは怖くなかった。迷いもなかった。


「彼女か?」


動き出して、ついていった。——違っても、それが何だというのか。


影狼はゆっくりと、振り返りながら歩いた。


二人は林地に入っていった。


霧が枝に割られ、静けさが奇妙なほど深い。大きな林ではないが、暗く奥が深かった。


林の終わりに、淡い紅色の光が夜空に温かい息のように浮かんでいた。


幹は太く、黒ずんだ樹皮は古い傷痕のように裂け、枝先には淡い桃色の花びらが満ちて、夜の中でかすかに光っていた。

月明かりが花びらを透かしていた。手を伸ばすのがはばかられるほど純粋で、静かなのに胸が締まる。


イノは仰いで、喉が動いた。乾いた一言しか出てこなかった。「……きれいだな」


言ってから、自分の声みたいに聞こえなかった。


この静けさは現実とは思えなかった。


なぜこの穏やかさが薄気味悪いのかわからないまま——花影の向こうで、セレイナが林の縁に跪き、指先でゆっくりと夜咬やがみの耳の裏を撫でていた。


影狼たちが次々と夜咬の影に溶け込んでいった。


「連れてこなくても、自分で来たね」


イノは返事をしなかった。花の光の下に沈黙が広がった。


セレイナが振り向いてイノを見た。


そこに立っていた。両腕が体の脇に垂れている。真っ直ぐすぎる。血の気がない。


あの木の花の光がイノの瞳の中で揺れていた。


(静かだ。)


セレイナが立ち上がり、夜咬が音もなくその影に消えた。


ゆっくりとイノに歩み寄った。


「数年前に偶然見つけた場所なの。なぜこの色なのかはわからない」


「先生、俺は何日消えていましたか?」

「二日」

「母は——」

「話しておいた」

「あの石の門は何ですか?」

「凡土の魔法じゃない。由来は私も知らない」

「……」


セレイナが首を傾けて、イノがまだ人形のようなのを見た。「この『短い旅』は、楽ではなかった様子ね?」


あの大きな木を仰いでから言った。「名前をつけたの。幽緋ゆうひ


「……」


「夜に眠る古い墓みたいな名前じゃない?」


イノはまだ何も言わなかった。


「考えてみると」セレイナが少し間を置いた。

「今のあなたに毎日、無火王むかおうと向き合わせるのは、確かに酷だったかも」


彼がやっと口を開いた。

「無火王?」


魂剥者(リーパー)の一つ。あの夜、あなたをあと少しで殺しかけたもの」


イノはそれ以上聞かずに、木の周りをゆっくりと歩き始めた。


あの古い木は黒夜にそびえ立ち、枝の影がまだらに揺れて月の光を覆い隠す。


突然——


足を止めた。


爪先で探るように押すと、何かがある。


イノがしゃがんで、積み重なった落ち葉を払った。

「俺を長い間探していましたか?」


石碑だった。


欠けて、傾いて、時間に半分まで喰われていた。


「少し時間がかかった」セレイナの声が後ろから届いた。「この場所に別れを告げる準備はできた?」


イノは答えなかった。手を伸ばし、覆っていた塵をそっと払った。


見知らぬ刻み跡を、イノは読めた。


口を開いた。


「泣くな——」


その瞬間、空気がひどく静かになった。


「光に代わりて、汝の傍らに在らん。汝が今日を忘るとも、世界の形変わるとも」


ふいに光が塵を照らした。イノの肩、髪の毛、指先のあたりで、静かに一瞬だけ浮いた。


「我もまた——いつまでも」


声が突然止まり、光の粒が乱れて、すぐに消えた。


セレイナが呼吸を止めていた。


イノが眉をひそめて、低く呟いた。


「……読めなかった」

石碑の残りの部分に手を滑らせた。時間に飲まれた結末だけがあった。


イノは石碑を元の場所に戻し、何事もなかったように立ち上がってセレイナを振り返った。


「それで、魂を渡したら、最後は魂剥者になるんですか?」


セレイナが首を振った。


「死んでからなるの」


イノはそれを聞いて、薄い笑みを一瞬だけ浮かべた。


「行きましょう、先生」


彼女が静かに前へ進んだ。


「……純粋な悪って、あるんでしょうか」

イノの声は小さかったが、彼女には届いた。


「人間のことを言っているなら——」


一瞬置いた。足元に見慣れた陣文が光り始め、風が花びらを巻き上げて翻った。


「悪魔は秩序のために存在している。人間はそうじゃない。

だから——ある」


光が閉じる寸前、ずっと伏せていたイノの顔が、ほんの少しだけ上がった。

目が光の中に沈んでいく。夜の海の底の、最後の一つの星みたいに。


「セレイナ……

人間に、まだ救いはあるか?」

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