第38話 夜を風が割く前に
ロワク城郊外 イノの家
エリーナは食卓の片付けをしながら身をかがめていた。磁器の皿とナイフとフォークがぶつかって、軽い音を立てた。
それでも彼女は三度目になる同じ皿を、もう一度拭いていた。
セレイナは脇の木椅子に腰かけて、茶杯を両手で包みながら、何度もイノの閉まった部屋の扉に目をやっていた。
「お姉さん」彼女は茶杯を置いた。
何でもないふうに言った。
「イノが小さいころって——」
途中で止まった。
どう聞けばいいのか、自分でもわからなかった。
エリーナが顔を上げてセレイナを見た。
「小さいころがどうしたの?」
セレイナが小さく笑った。
「いえ、何でも。覚えが早い子だなと思って」
視線を扉から外して、茶杯の中に落とした。
「昔から……そうでしたか?」
「あの子に何か特別なことがあるわけでもないわよ」
エリーナが笑った。
「小さいころはやんちゃで、よく問題を起こして」
セレイナを見た。
「外で何かやらかしたの?」
彼女が首を振った。
「違います。ここ二日……少し練習しすぎているだけで」
エリーナは頭を下げて、皿を重ね直した。
「家には何も与えてやれるものがなくて」厨房へ歩きながら言った。
「あの子は口が早くて、字を覚えるのも速かった」
少し笑って、思い出すように言った。
「あのころは私、結構得意だったのよ。ほかの子がまだ絵を見ているときに、あの子はもう字を読んでいたから。父親が教えたんだと思っていた」
小さく鼻を鳴らした。
「でも父親が見ても、何も言わなかった」
皿を水の中に沈めた。
「それで、まあ、そういうものかと思って」
セレイナは茶を一口飲んで、それ以上何も聞かなかった。
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深夜 イノの部屋
イノはベッドに横になったまま、目だけがずっと開いていた。布団を離すまいと掴んでいた。
得体の知れない恐怖が、どんどん締め付けてくる。
勢いよく起き上がると、部屋には誰もいなかった。
それでも誰かに見られているような感覚が、背中にまとわりついて離れない。
首の後ろを汗が伝ったが、体は冷えていた。
布団をはねのけて、床に降りた。そのまま窓の前まで歩いて、手をついて外へ出た。
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イノは木の下で木の棒を振り続けていた。
棒が夜の空気を何度も切った。
速すぎる。乱れすぎる。
掌の汗で棒が滑る。
振るたびに速くなり、振るたびに重くなり、呼吸がどんどん荒くなった。
また一打。
棒が激しく震えて、ほとんど手から離れかけた。
必死に掴み直した。反動に引っ張られて二歩よろめく。
「くそっ——」
歯を食いしばり、両手で改めて握り直し、勢いをつけて突っ込んで、木の幹めがけて思い切り叩きつけた。
次の瞬間、棒が「バキッ」と鳴って折れた。
折れた半分が弾き飛んで地面に落ち、二度転がった。
イノはその場に立ったまま、肩が上下に揺れ、額の汗が絶えず流れ落ちた。
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突然、後ろでかすかな気配がした。
イノが勢いよく振り返った。
草の端に、見覚えのある赤。
少女はその視線を受けて肩を縮め、半歩退いた。
乱れた赤い髪が頬に張りついていて、それでも目だけはイノを見たまま、すぐには逃げなかった。
唇を一度閉じてから、小さな声で言った。
「……食べるものある?」
イノは彼女を見て、目の中の険しさが少しずつ抜けていった。
長く息を吐いて、何も言わず、木の方へ歩いた。
背を向けたまま、パンと水袋を取り出した。
少女は少し迷ってから、ついてきた。
イノは木の下に腰を下ろして、隣に食べ物を置いた。
少女はまずイノの顔を見てから、地面のパンを見て、それから少し間を空けて隣に座った。
ゆっくり手を伸ばした。
途中で止まった。
イノが横目で見て、何も言わずにパンを彼女の方へ少し押しやった。
少女がそれを受け取った。
噛むのがとても小さく、とてもゆっくりだった。
夜風が梢を抜けて、地面の折れた棒をかすかに転がした。
イノはその半分の棒を見下ろして、しばらくしてから口を開いた。
「……ごめん」
少女が目を上げた。
「さっき……驚かせた?」
少女は答えなかった。イノの顔を見てから、頭を下げてパンをもう一口噛んだ。
木の下がしばらく静かだった。
イノは目を伏せて、折れた棒のささくれを無意識に指で弾いた。しばらくしてから低く聞いた。
「名前は?」
少女は口の中のものをゆっくり飲み込んでから答えた。
「マリアン」
それから二人の間にまた静けさが戻り、彼女が小口で噛む音だけが続いた。
マリアンはパンを一つ食べ終えて、残り半分を手に持ったまま、急がなかった。
イノがようやく低く言った。「……よく会うな」
マリアンは水袋を抱えて、しばらくイノを見た。
「どうかしたの?」
「え?」
マリアンは手の中の半分のパンを見下ろして、指先で端っこを少しちぎった。
「さっからずっと見てた……あれをずっと叩いてた」
地面の折れた棒を一瞥した。
イノの横顔が硬く張っていた。
頭を下げて、折れた棒のささくれを指でつまみ続けた。頭の中のものが溢れないように、何か手を動かしていなければならないようだった。
しばらくしてから聞いた。「お前は? どうしてそんな格好なんだ?」
風が吹いて、赤い長い髪が夜の中でかすかに揺れた。
マリアンは地面を見て、少し黙ってから話し始めた。
「叩かれた」
一度止まって、頭を下げて指先のパン屑を払った。
「姉ちゃんと一緒にいた。
ずっと一緒だった。
ある日すごく歩いた。疲れて。
歩けなくなったら、姉ちゃんがおぶってくれて、そのまま歩き続けた。そのうち眠っちゃった」
自分の汚れた靴先を見た。
「目が覚めたら、檻の中だった」
イノの手の動きが一瞬止まった。
マリアンは膝を抱えて、顎を乗せた。
「ほかに人もいて、姉ちゃんはいなかった。
そのあとずっと連れ回されて、場所が変わって、檻が変わって」
イノはただ静かに聞いていた。
しばらくしてから聞いた。「家はどこにあるんだ?」
マリアンは手の中の半分のパンを見下ろして、少し黙ってから言った。
「姉ちゃんがいるところが家」
イノは口を挟まなかった。
「姉ちゃんが迎えに来る。
絶対ずっと探してると思う。
昔も私がどこに隠れても見つけてくれた」
顔を上げて、暗い林を見た。
「今度も来る」
イノは地面の影を見下ろした。風が枯れ葉を一枚巻き上げた。
しばらくしてから口を開いた。
「そうだな。絶対来る」
マリアンは膝を抱えたまま、イノを見なかった。ただとても小さく「うん」と言った。
少し経ってから、横を向いてイノを見た。
「あなたは?」
イノは前の林を見ていた。
「明日が怖い」
「外に出たら、誰かが刀を抜くのが怖い。
家に帰ったら、扉を開けたとき、もう中が前と違うのが怖い」
頭を下げて、自分の手を見た。
「最後まで、何も変えられないのが怖い」
夜風が汗の染みた首の後ろに当たって、冷たく痛い。
「俺は弱すぎる」
マリアンはただゆっくり、残り半分のパンを少しちぎって、手に握った。
「私も怖い。
目が覚めたらまたどこかに売られてるのが怖い。
生きてても、もう姉ちゃんに会えないのが怖い。
姉ちゃんも……」
後半が出てこなかった。
鼻を一度すすった。
「だから逃げてきた。姉ちゃんを探しに行く。
あなたもそうでしょ。
意味があるかどうかわからなくても、続けるしかない」
しばらくしてから、イノが口を開いた。「止められないものをたくさん見た」
マリアンが顔を上げた。
「止められないもの?」
イノは少し黙ってから、首を振った。
「うまく言えない」
マリアンは膝を抱えて、真剣に考えた。
「じゃあ止めなきゃいいんじゃないの?」
「え?」
「よけて。遠くにいれば、それでいい」
イノは頭を下げて、折れた棒の割れた端を見た。
「……よけたくない」
「なんで?」
「そこに必ず誰かがいるから」
「止めなかったらどうなるの?」
「わからない。ただ、見なかったことにしたくない」
「止めたらどうなるの?」
イノが口の端を引いた。笑おうとして、笑えなかった。
「弱すぎるから、死ぬかもな」
マリアンが首を振った。小さな声で言った。「馬鹿みたい」
「え?」
膝を抱えて、顎を少し上に向けた。当然のことのように言った。「よければいい。あなたみたいな人には、よけてほしい」
「もしそこにお前の姉ちゃんがいたら?」
「そしたら私が止める」
「もしお前がそこにいなくて」
マリアンがはっとした。
「俺がいたとしたら。俺に止めてほしいか?」
夜風が彼女の額の赤い髪を吹いた。
しばらく考えた。
「止めてほしい」
木の影がかすかに揺れた。
イノが低く「うん」と言った。
「ありがとう」
マリアンがまばたきした。
「なんでありがとうなの?」
イノは何も言わなかった。
マリアンは唇を閉じて、イノの空っぽの手に視線を落とした。それからふいに小さく聞いた。
「……パン、まだある?」
イノが一瞬止まった。
「ある」
今度はすぐに動かなかった。
マリアンはそのままイノを見て、まばたきもしなかった。
次の瞬間、イノの掌にパンがいくつか乗っていた。
マリアンが少し目を見開いた。
声を出さず、急いで両手で受け取って、胸にぎゅっと抱えた。
イノが彼女を見た。
「食べないのか?」
マリアンが首を振った。
「道で食べる」
パンを胸にしまい直して、もう一度そっと叩いて、ちゃんとそこにあることを確かめた。
イノが静かに「うん」と言った。
「気をつけて」
マリアンは胸のパンを抱えたまま、何も言わなかった。
夜風が木の下を吹き抜け、折れた棒が静かにそこに横たわっていた。
今度は、二人とも何も言わなかった。




