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カラパン 喋るパンダは着ぐるみではない  作者: 在江
第五章 五倫十起の巻
35/50

ピンクパンダ起点

 そこで、ヒナの話は止まった。


 「大丈夫ですか?」


 俺は編み物の手を止めて、ヒナの顔を見た。

 ここまで話が進むまでに、数日かかっていた。確か、カラパン国の歴史を語る、という題目で始めた話だった。


 すっかりヒナの一代記である。俺と全く違った環境で生きてきた人の話は、編み物の片手間に聞くのは申し訳ないほど、面白い聞き物だった。面白いと言ったら失礼か。


 「ああ。もう、私にとって百年も前の、遠い世界の話なのに、あの時の衝撃は、いまだに思い出す度、心が痛む。母の死の方が、よほど大きな出来事の筈なのに」


 要は、ヒナの研究を横取りされたのだ。

 二年下の女性の後輩とやらに。しかも単独ではなく、以前ヒナと揉めた男子院生が協力したらしい。


 「誰にも必ず起こる出来事と、普通はありえない出来事では、起きた時に受ける衝撃の大きさが、異なると思います」


 俺は義務を感じて、言わずもがなのことを言った。


 「そうだな。わかっていても、言葉にしてもらった方が、納得する」


 ヒナは頷いた。


 「論文の方は、一応持っていたんだけれどね。論拠となるデータは容量の関係で、共用パソコンに保管するしかなくて、そっちも丸々盗られた。君の時代では、考えられないだろうな。フロッピーなんて言われたって、わからないだろう?」


 「はい。わかりません」


 俺は、正直に告白した。スマホどころか、携帯電話も普及していない時代である。パソコンの能力も全然違うという話は、以前に交わした覚えがあった。


 更に、指導を仰いでいた教授も、後輩の肩を持ったという。


 「私の方が盗んだ、と言われた。終わった、と思った」


 教授には、節目節目で研究を見てもらっていたつもりだったため、その教授に断じられ、退路を絶たれたように感じた、とヒナは言った。


 最悪なことに、その論文は、博士号を申請するために必要な、最重要の一本だった。

 博士論文を同じ博士課程とはいえ、二年も後進の院生が書けるのか。


 「そこが彼らの狡猾なところだ」


 推測になるが、とヒナは前置きして、そのまま盗用したのではなく、核となるアイディアを基に、後輩なりの論文に仕上げてあったようだ、と補足した。

 だからこそ、教授もヒナの方が悪いと判断したのだろう。同期の男子院生の協力がなければ、難しい仕事だ。


 「思うに、前々から準備していたのだろうね」


 通常、忌引は一週間。前触れもない。思いつきで出来る事とは思われない。


 「そんなに恨まれるほどのことだったのですか?」


 途中で(まず)いと思ったが、止められなかった。俺の心配をよそに、ヒナの反応は淡白だ。


 「ううむ。告白されて、断った。恋愛に時間を割く余裕がなかった。というか、生い立ちもあって、男が苦手だったんだね。ああ、ソウは平気だ。礼儀正しいし。断った時に事情も説明すれば、あれほど恨まれなかったかもしれないけれど、付き合う予定もない相手に打ち明ける話でもない。あんなことがあるまで、それほど根に持つとは思わなかった」


 「ありがとうございます」


 ヒナを恋愛対象として見た覚えはないけれど、最初から対象外と明かされると、何かのプライドが傷ついたような、複雑な気持ちになる。しかも話のついでに、サラリと片付けられた。

 彼女は本当に、恋愛に興味がないようだ。


 「やり直す、気にはなれませんよ、ね。ええと、論文の方です」


 俺は話を元へ戻した。


 「指導教官に盗作犯人と思われた状態で、ゼミに残ったところで、実質的に学位を取れない。こういう噂はすぐ広まる。他のゼミへ移籍するのも、まして他の大学院へ転入するのも、ほぼ不可能だろうね。別の分野ならともかく」


 「でも、事実ではないのでしょう?」


 「うん。ただ、事実を証明するには手間も金も、それに加えて時間もかかる。仮に証明できたとして、その頃には私の人生は、研究へ戻れないほど遠くで定まっているだろう。生きていればね」


 そうだった。ヒナは唯一の肉親である母親を亡くしたばかりだった。


 「私は退学した。今考えれば、違う学部からやり直すとか、もう少し誰かに相談するとか、してみてもよかった。あの時は、人生が終わった、と思い込んでしまった」


 家へ戻ったヒナは、身辺整理を始めたのだ。日用品から母の形見から何から何まで。

 売れる物は、二束三文でも売り急ぎ、売れない物は、費用を支払ってまで処分した。住まいも。


 そうして出来たまとまった金は、思うところへ寄付をした。死ぬつもりだった。


 「思い出の品を処分している間に、考え直したりはしなかったのですか?」


 「全然。その時は、死ななければいけない、というよりも、持ち物全てを処分しなければいけない、という強迫観念に取り憑かれていた。処分という仕事をしている間は、嫌な思い出を忘れられた。充実感を覚えていたよ」


 遂に、最低限の身の回りの品と金銭以外の処分を終えた。


 「身辺整理をしながら、何となく死に方や死に場所を考えていたんだね。建物の中で死ぬと迷惑がかかるから、屋外で。飛び降りは街中だとやはり迷惑がかかるから人里離れた場所で、とか。病院以外で死ねば、どうしたって誰かしらに迷惑はかかるんだけれど。社会は生きた人間で回っているからね」


 ともかく、ヒナは自分なりに考えた場所へ行って、飛び降りたのだそうだ。止められないよう、有名どころを避けて。


 「そうしたら、落ちた先が、ピンクパンダの上だった、という訳」


 ヒナは、ここでようやく広げた本に目を落とした。


 「こういう背景を持って、私がこの世界へ来た、ということを念頭に置いて、先の話を聞くといい」


 「つながるんですか?」


 前置きが長過ぎて、本題をすっかり忘れていた。


 「そう言ったじゃないか」


 しかし、ヒナは開いた本をパラパラとめくって(うな)った。


 「どう話したものかな。あくまでも私からの視点になってしまうのは、仕方がないか。また別の土地で、地元のパンダから聞き取りして比べるのも、面白いだろう」


 半ば独り言のように呟いて、ヒナは話を始めた。

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