デンジャラス発言 *
問われたヒナは、記憶を辿る仕草をした。しばらく時間が経過する。
「ない‥‥かも。怪我はあったけど、病気の方は、全然記憶にない」
「怪我をして、普通に治るんですか?」
百年、歳をとっていない、と聞いた。
新陳代謝が完全に止まったのなら、流れ出た血も再生産できないのではないか。ヒナはまた、視線を宙に据えて記憶を辿る。怪我をしたとしても、随分と昔の話らしかった。
「うーん。止血とか、応急手当てをして、確か薬はなかった時分で、そのまま動いていたら、いつの間にか治っていた感じ?」
「なるほど、もの凄く時間がありますね」
俺の擦り傷が普通に治ったからといって、俺が普通の人間のように歳を取るとは限らない訳だ。
ヒナが、元々歳を取らない人間だった可能性もある。だが、どちらかといえば、この世界に来た人間は、不老不死へ変じてしまうと考えた方が、筋が通る気がする。
「ちゃんと、死ねる」
俺の心中を見透かしたように、ヒナが言った。
「首と胴体を切り離し、頭は潰した上で全部燃やせば、死ねるよ」
目が合った。ヒナの口元には微笑が漂っていたが、瞳は暗かった。
俺が目を逸らせないでいると、彼女の方から視線を外し、背を向けた。ゴンゴンは、と見ると、椅子からずり落ちて眠りこけていた。
翌日から、ヒナに連れられて、敷地の奥へ通うのが日課になった。
王の支えの住まいは、横よりも縦の方が長く、別棟が何棟もあった。
それらの建物は、題して和紙工房、陶器窯、鍛治工房、ガラス工房、木工房、などと目的毎に一つずつ充てられており、ほぼ誰もいなかった。全ては、ヒナが使うために建築したのだった。
「ついでだから、使い方を覚えてもらう。興味を持ったものからでいい」
ホァンホァンとゴンゴンは、俺と一緒に一通り回った後、別行動が増えた。
キヨトの街中を歩いたり、あちらはあちらで細々と仕事があるらしかった。
あのグロテスクな発言はもちろんのこと、それを仄めかすような話題も、俺とヒナの間に上ることはなかった。
実を言えば、彼女と二人きりになるのが、怖くもあった。だが俺に拒否権はない。
その発言以外では、彼女は、明るく親切な先輩という立ち位置を崩さなかった。
織機置き場もあった。雑多な布が積み上がっていた。俺は、自分の服を縫うために、好きなだけ貰えることになった。
模様や大きさに限りがあるものの、毛皮やガーゼ風の毛織物よりも、遥かに望む品質に近かった。
とりあえずある分で服を作り、いずれ織り方を教えてもらう予定だ。
台所へも時々入った。
普段は、俺たちの分も含めた食事を、担当の黒白パンダが準備する。基本的に、パンダの食事だ。
つまり、生の果物や野菜がほとんどで、たまに干した魚。
昆虫が出ることもあるが、ヒナは手をつけない。最初は、俺に対する様子見で並べていたようだ。
そのうち、昆虫が献立に上がる時は、パンダたちだけで食べるようになった。
ヒナが台所へ行くのは、人間らしい料理を作る目的だ。
煮物、揚げ物、焼き物、汁物、漬物。
それから、保存食。以前食卓に出た、栗や黒豆の甘煮も、ヒナが作り置きした品だった。
台所の設備も充実していた。竈門が複数あって、それとは別にピザ窯まであった。
粉挽用石臼や、木製杵と臼、焜炉代わりに、石を積んで網を載せた物もある。
フライパン、中華鍋、片手鍋、両手鍋、寸胴、魚焼き網、ボウル、ザル、お玉、泡立て器、おろし金、と、技術的問題で再現度はまちまちだが、調理道具は一通り揃っていた。
「冷蔵庫が作れれば、便利なんだよね」
ヒナが言う。彼女に作れないのなら、俺にも作れそうにない。
冷蔵庫はないが、味噌っぽい物やほぼ醤油や、酢などの調味料が充実していた。
俺たちは協力して、バターやマヨネーズを作ったり、それらで野菜を調理して食べた。
カラーパンダたちは、火を通した野菜を好まなかった。むしろ、マヨネーズやバターそのものを食べる方を好んだ。
例外は甘味で、ジャムも生の果物と同じように好んで食べた。だから、黒豆や栗の甘煮は、寸胴で大量に作るのである。
例外的に、ゴンゴンとホァンホァンは、俺たちが作った料理を何でも食べた。
師匠の方は研究の為の味見らしく、ゴンゴンの方は嗜好が俺たち人間に近いように感じた。
パンダにも、随分と幅広い個性があるものだ。
俺の着る服を上下一通り作り終える頃には、数週間経っていた。
季節はすっかり春である。ヒナの執務室から見えるだけでも、黄色や白の花が鮮やかな緑の間から覗く。
もしこの先、日本と同じように暑くなるなら、薄い生地を探して、半袖や袖なし、短パンも用意したいところである。
「ほんなら、私らこれで帰るなぁ。用事も済んだことやし、何かあったらまた来るし、こっちへ来てもうてもええで」
ある朝、食事の席で、ホァンホァンが唐突に宣言した。俺は驚いてゴンゴンを見た。ゴンゴンは無言で食べ続けている。
「今季の種付けは、終わったのね」
ヒナが何でもないように受ける。俺の知らない間に、色々なことが動いていた。
朝食後、早速荷物をまとめに寝室へ戻ったゴンゴンを、追いかけた。
「オサカへ帰っちゃうのか」
「うん」
置き去りにされる不安を感じたのが、自分でも意外だった。
俺は人間で、同じ人間のヒナと一緒に居る方が、カラフルなパンダに囲まれて暮らすよりも自然な筈なのに。
このパンダ世界に来て一年も経たないうちに、俺はすっかりパンダに染まっていた。
ペットの犬が、自分を飼い主の人間と同等に認識するのと、同じ理屈かもしれない。何せ、初めてゴンゴンと離れて暮らすのだ。
「ホァンホァン師匠の元で、自立できるくらい勉強する。そうしたら‥‥それに、種付けの時期には、また会えるんじゃないかな」
「あ、ゴンゴンのお母さんが、ハコ村に新しい種付け用のオスをよこせって言っていた。オサカで何とかならないか?」
種付けで思い出し、慌てて伝える。どうも俺は当分の間、ここから自由に動けそうにない。
ゴンゴンは、師匠に聞いてみる、と請け合った。
電話もないし、紙が貴重な現状では、手紙のやり取りも難しそうだ。
それに、ゴンゴンは筆不精な気がする。
「じゃあソウ。お互い頑張ろうね」
「うん」
最後にどちらからともなく抱き合った。石鹸を使って毎日風呂で洗ったゴンゴンの赤白の毛は、ふかふかして暖かかった。
灰白と赤白パンダが去った邸内は、ひときわ侘しく感じられた。目につくのは、前の世界では普通の黒白パンダばかりで、それもまばらである。
俺とヒナは、変わらず工房巡りをしていた。四六時中一緒にいる訳でもなく、例えば俺が紙を漉いている間、ヒナは別の場所で薬の実験をしているといった具合だ。
俺の技能が上がるにつれて、自然と各々で過ごす時間が増えるのだった。
近頃一緒にいるのは、食事の時間と、編み物の時間が主である。
指編みから始めて、棒針編みに挑戦している。と言っても、ヒナも元々編み物をしたことがなく、こちらへ来てから独学で始めて、その成果を俺が教わっているので、正式な編み方とは違うかもしれない。
それすら、まだ上手く出来ないのが現状である。
「十年の間に、結構色々変わったんだね」
編み物をする間、ヒナと俺は元いた世界の話をした。ヒナが去ってから俺がこの世界に来るまでの間、向こうの世界で起きた出来事、それから日常の様々な出来事を通して、彼女は元の社会の変化を読み取ろうとしていた。
ヒナがこの世界へ来た時の状況も聞いた。俺と違って、彼女は死のうとしたそうだ。
「落ちたと思ったら、パンダの上でさ。しかもピンクと白。面白すぎるでしょ」
と笑い話にしていたが、俺はますます質問し辛くなった。
つまり、元いた世界へ帰る方法があるのかどうか。
ヒナが百年いる、と聞いた時から、期待は薄かった。
帰れるものなら、とうに帰っているだろうから。
しかし、その状況なら、本人に帰る気もなく、帰らなくとも困らない始末をしていることになる。当然、帰るための方策など、研究していないに違いない。
むしろ、カラーパンダ側は、俺たちのような人間を確保するため、元いた世界との繋がりを研究している可能性があった。
ホァンホァンのところで居候した間には、そこまで見極められなかったが、希望を繋ぐとすれば、彼らの方にしかないようだ。
ホァンホァンやゴンゴンとは、一別以来、音沙汰もない。
王宮とは、定期的にやり取りをしているようである。使者が黒白パンダなので、俺には誰が誰やらよくわからない。例によって、使者も邸内にいるパンダも雌ということだけは確かだ。
気候が暖かくなったせいもあって、ゴンゴンのいない寝室にも、どうにか慣れた。一つ寝台で一緒に眠っていたのだ。
あのままでは、暑い季節には寝苦しかったろう。ホァンホァンは、引き際をよく考えていた。
台所で調理をする時、葉物を中心に、新鮮な野菜が増えてきた。
この世界で初めての料理を作る度に、ゴンゴンが食べたら気にいるだろうか、と考える。
野菜と言っても、野草がかなり含まれている。ヒナによれば植生は、ほぼ日本と一緒のようだ。
土筆やフキはともかく、セリがその辺(水辺だが)に生えるのも知らなかったし、アカザとかいう植物が食べられるのも知らなかった。
雑草とひとくくりにされるその実、一つ一つに名前があるのだ。




