第肆章 神座王集う 間章 狂奔の列
第肆章終章に繋がる間章です。
時は数刻ほど遡り……。
「金蔵と米蔵を襲え――! わしらの銭と米を取り戻すんや――!」
「公家のドサクレどもが! 俺らが身を粉にして働いとったんは、オドレらの懐なんぞを膨らませるためやあらへんぞ!」
「黙り腐っとらんで、出るところ出ぇやぁ――! どう落とし前つけるんじゃ、あほたれがぁ!」
「売国奴相手に構うことあらへん! このまんまじゃどの道ジリ貧で餓死なんや! せやったら、せめて公卿どもに一矢報いて死んだろうやないか!」
「せや! 死なば諸共やぁ―――!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
扶桑京、洛中大路。
完全に射干玉の闇が天をおおい、本来ならば、月以外の明かりが絶え、静寂と暗闇のみがたたずむ刻限。
にも拘わらず今この時は、おびただしい松明の火が踊るように揺らめき大路を真っ赤に照らし、凄まじい怒号と喧騒が轟いていた。
それらはすべて扶桑の町民たちだ。彼らの顔はいずれも紅潮し憤怒の形相と化している。松明や鍬と横杵を高くかかげて怒声を吼え、中には数人で丸太を担いでいる者たちまでいる。
彼らの行く先は公家の邸宅が連なる中心市街――より正確にいうなら金蔵や米蔵が主な突撃場所だ。
今や洛中の至るところの大路小路が、ここと同じく憤怒に猛る民に埋め尽くされている。
どこからどう見てももはや暴動のそれだった。
そして、それらを遠くから見る人影があった。永久と啓益だ。
「どうやら……首尾よくいったようだな」
永久がやれやれとばかり肩をすくめる。一方の啓益は仏頂面でぼやいた。
「辛うじて……ではござるが」
「仙台屋が手早く情報を行き渡らせ、上手く先導してくれた結果だな……。でなきゃこんな短時間での暴動勃発なんざ、俺たちだけじゃ無理だ」
『仙台屋』とは、鷹叢が扶桑の都で懇意にしている大店の商人だ。都の情報源をも務めてくれている心強い味方だ。この騒動も彼らの情報網あってのことだ。
「何より……若が校書殿から命懸けで手に入れてくださった、徴収税の控え帳が決め手になり申した。摂権家の専横に苦しめられたのは、民草ばかりではござらん。貴奴らの無用な経済干渉により商人たちも多大な損害を強いられてきた。それを崩す乾坤一擲になり得るからこそ、仙台屋をはじめとした商人たちもこれほどの迅速な支援を我らに与えてくれたのでござろう」
そう。先刻啓益は校書殿にいる樰永から公家の汚職の実証ともいうべき書物を手渡されたのだ。
それらには民や商人から徴収した銭や米がどこへと流れ、いかなることに使われたかが詳らかに記されていた。
摂権家を筆頭とする公卿たちの専横に楔を打ち込み得るそれは、商人たちにとってまさに渡りに船。一も二もなく協力してくれたのだった。
「とは言え、それだけじゃあ藍帝国との密約の証拠にはならねぇ。あちら側の印章付きの証拠でも手に入れるか、自白でもさせねぇかぎりはな」
「そちらはカルドゥーレめがなんとかするとのことでござる。しかし、是叡と取引をしている宦官がかつてのあ奴の上客であったとは……。異国人離れした情報力といい、どれほどの人脈を世界各地に持っているのだか……!」
啓益がどこか呆れと警戒が入り混じった声音で嘆息する。
「それよりも気掛かりなのはやはり若君でござる。敵地で無茶をしでかしていないかと気が気ではござらぬ」
「大丈夫だろ。無茶してたところで、ちゃんとお目当ての物を見つけておまえに手渡してきたんだから」
啓益の懸念に対し、永久はあっけらかんとした声で楽観とも諦観とも取れる答えを返す。
「貴女はまたもそうやって根拠もなく無責任な物言いを……!」
「それに禁裏にゃ朧の奴もいる。心配にゃあ及ばねぇよ」
すると、古武士は憮然とした声で吐き捨てた。
「確かに……此度の危急を知らせてくだされたのは、姫君の手柄に相違ありませぬが……」
「へぇ? 意外だな。てっきりまた難癖つけるとばかり思ってたのによ」
普段から必要以上に朧に厳しい啓益から出た褒め言葉に本気で目を丸くする永久へ、古武士は不服とばかり眉をしかめる。
「某とて頑迷ではござらん……! 認めるところは認めまする。それよりも問題はカルドゥーレにござる。姫君の話によれば、あ奴が持ちこんだアフリマンをセフィロトが狙ってきたとの由。さらには是叡や殯束と手を結んだなどと。かような話は聞いてござらん。今回の一件といい、我らに隠していることがあまりに多すぎる。やはり信用がなりませぬ……!」
啓益の非難に永久も若干青筋すら立ててうなずく。
「確かにな……。対等な同盟だとのたまいながら、こりゃいくらなんでも契約違反もいいところだ……! 商人が聞いて呆れるぜ」
これまでその能力故に寛容だった永久もさすがに堪忍袋の緒が切れる寸前だった。まして、その違反によって虎口に飛びこんだ甥と姪が窮地に立たされたとなればなおのこと。
「然り……! 貴奴には後々問い質さねばならぬことが山ほどありまするが、今はまず摂権家との決着を着けるが先決にござる」
「だな。ひとまずは俺たちも禁裏に向かうぞ。そろそろ樰永たちもおっぱじめてる頃合いだろうしな」
「承知」
そうして二人はその足を禁裏へと向けた。
――俺らが行くまで無茶は控えろよ、二人とも……!
永久は逸る想いをおくびにも出さず、むしろ飄々とした面持ちで洛中を駆けた。




