第肆章 神座王集う 十二 大逆転
「な、んじゃと?」
予想だにしなかった凶報に、これまで辛うじて崩れることはなかった笑みが掻き消え、その美貌は青白く染まって目を剥き呆然と絞り出すようにつぶやく摂権に、鈴が鳴るような声が戦々恐々となっている臣下たちに代わって答える。
「まあ、そういうことですよ是叡公」
そこには朧の後ろで優雅に佇む美麗な商人がいた。
「何者でおじゃる!?」
当然、前嗣ら公家はその姿を見て騒然となるが、アイアコスらは明らかな敵意を視線に宿して睨み据える。
「カルドゥーレ……! よもやこうしてノコノコ現れるとはな」
「ご機嫌麗しゅう伯爵閣下。しかし、今はしばしお待ちを。いろいろと取り込み中でして……」
厚顔にもしれっと言う商人をよそに、朧はすぐさま兄の元に駆け寄る。
「兄様! ご無事で……!」
「ああ、なんとかな。おまえもよくやってくれた」
樰永も愛妹の肩を抱いて労う。
「こここ、これはいったいどうゆうことでおじゃる!? この騒ぎはその方らの仕業かっ!!」
是叡がこれまでにないほどに激昂するのに対し、カルドゥーレが涼やかな笑みのまま淡々と答える。
「いいえ? 元を糺さば、すべては貴方自身が招いたことですよ公。扶桑の民から徴収した租税を私的に横領した挙句に、藍帝国の宦官に流していた貴方のね」
その言葉に周囲が騒然となって囁き出した。
「是叡! おどれはそこまで……!!」
途端に、治禎が憤怒の形相で猛るも前嗣が主を弁護すべく吼える。
「皆の者! かような逆賊どもと西界人の妄言に惑わされてはならぬ! 殿下を根も葉もない虚言で貶めるなど言語道断! 下民どもの暴動からしてすべてが、こ奴らの陰謀に相違おじゃらん!!」
「そっちこそ相も変わらず好き放題言ってくれるぜ。根も葉もないだと? そんなわけがあるか。俺が今しがたここで手にした証拠だぞ」
「馬鹿を申せ! 今しがた手にした証拠が何故既に民へと知れ渡っておるのじゃ!! 第一、ここにあったは租税の徴収記録であって、麿と藍帝国を結びつけるような確証はひとつたりとておじゃらん!!」
是叡はもはや錯乱して、自ら藍との癒着を認めたも同然の言動を口走ったことにも気づかずに吼える。
樰永は、あえてそこは追及せずにその質問に答えてやる。
「俺の守役にはある特技があってな。それというのも別々の場所にある対象を空間を超えて置換するという特殊な術だ。あらかじめ置換の媒介となる護符を持参していたんだよ、俺は」
その言葉に、ハッと目を瞠ったのはアイアコスだ。
「では我らに同盟を持ち掛け、あんな場違いの演説をぶちまけたのは……!」
「時間稼ぎの意図は無論あったさ。だが、あんたたちに語ったことは本気だぜ」
しれとのたまう若武者に、リュカは苦虫を嚙み潰したように端正な顔を歪め、カラコムとシャリネやレイヴンなどは開いた口が塞がらない有様だった。
――この男……! 無計画で無鉄砲と思っていたら、あらかじめ、そんな策謀を張り巡らせていたとはな。ヴァルトシュタインのヴィルヘルム王も真っ青な抜け目のなさだ……! やはり、こいつは危険すぎる……!
アイアコスは、改めてアフリマンの王に対する警戒を上方修正する。
「とまあそういうわけだ。今やおまえの悪事を扶桑の民すべてが知っている。端的に言ったら詰みって奴だ」
樰永は、何と言うことはない声で最後通牒を宣告する。
これに是叡はお歯黒をカチカチをと鳴らしながら睨み付け、苦しまぎれになおも反論を続ける。
「わ、笑わせるでない! かような下民の暴動が何だとゆうのでおじゃる! 先刻も言うたように麿が租税を藍帝国に横流ししておるなどという確証は一切おじゃらん! そもそも我が娘に対する狼藉者の言うことなど……」
しかし、それを遮ったのはまたしてもカルドゥーレだった。
「ああ、それについてなのですが、先刻先方と話がついたところでしてね」
「は?」
是叡は何を言われているのかわからぬとばかりに間の抜けた声をあげた。それにも構わずカルドゥーレは流れるような声で続けていく。
「御身が特に懇意とされている藍帝国の宦官、蒜元趙殿でしたか。私も以前の仕事で取引をしたことがありましてね。彼にも先刻の樰永殿が語った構想を話しまして。その結果、非常に感銘を受けられたご様子でして。加えてこの騒動を受けて、とうとう決断してくださいましてね。"御身を切る"とのことです」
「はぐっ!?」
「元趙殿も御身の甘言に踊らされて軽率な夢を見てしまったと、非常に反省されておりましてね。この国の武家を駆逐した後、應州の黄金と引きかえに、御身を倭蜃国国王として冊封するなどという確約を取りつけるなど、天子様の臣としてあるまじき行いであったと、それはもう深く深く……」
アイアコスは、ようやく是叡の性急さに合点がいった。要するに取引相手からせっつかれていたわけだ。
一方で、清聡が仰天して是叡に問い質す。
「この国を藍の冊封国に!? それはまことであらしゃいますか、是叡殿!!」
「そんなん聞いておらへんぞ!! このドサクレ!!」
治禎も怒声でもって吼える。
だがもはや、是叡は言葉にもならぬ呻き声を漏らすだけで精一杯のありさまだった。その隣で前嗣がなおも往生際悪く喚き散らす。
「皆の者、かような悪謀に騙されてはならぬぅ! こ奴らは是叡様の姫君に刃を向けし……」
しかし、それを朧が「少し、お待ちを」と術で生み出した水を床に垂らす。すると水は円の形に集束し水鏡となった。
これは水魔術の亜種で、その場所にある水分を介してここで起こった出来事を、水鏡に映像として投射する事象投影魔法。朧が持つ秘術のひとつだ。
やがて水面の鏡面は、音声付で先刻の樰永と刺客の大立ち回りと、刺客が是叡の娘へと姿を変える光景を映し出した。
一同は今度こそ絶句し、前嗣は「あ、がが……ああ」と言の葉にもならぬ呻き声を漏らし、当の是叡の娘に至っては白目を剥いて卒倒した。
そんな皆を見まわして朧は冷静な声で言った。
「私の水鏡による投影魔法は真実しか映しません。お疑いであれば調べてくださって結構ですが、これで兄の潔白は証明されたと存じます」
「――そのようやな。さて是叡よ。この落とし前は唯ではすまさへんぞ……!」
朧の言葉を受け深くうなずいた治禎は、隻眼に怒気を宿して項垂れている是叡に凄んだ。
「前嗣殿、あなた方も租税の横領に大いに関わってあらしゃるはず。この上はどうか身を清められ、潔う政から身をお退きくださいませ」
清聡も普段の温厚さは鳴りを潜め厳しい視線で、摂権同様に呆けている前嗣たちを射竦める。
「いやあ、これにて一件落着ですね若君」
事態が粗方終息していくのをよそに、カルドゥーレはにこやかな顔と声で樰永を労うが、当人からは途端に胸倉をつかまれる。
「おっととッ! 乱暴だなぁ」
と、言いながら少しも動じていない様子の商人に、樰永はますます怒りを深め怨念がこもった声で糾弾する。
「カルドゥーレ……てめぇ。アフリマンが盗品だったなんて、俺たちは一言も聞いてねぇぞ!」
「ああ……そう言えば話し忘れていました」
と、白々しくも間の抜けたことを言う商人だが、当然ながら――
『そんなわけあるか―――――ッ!!』
樰永と朧ばかりか、アイアコス一行も思わず同時に叫んだ。
「お・ま・け・に! それが原因で、危うく芦藏と殯束に加え、西界の武士たちと戦になりかけたなど……! シャレになっていません!」
朧も目をつり上げて立腹する。
「おかげで、ほぼ駆け足で計画を前倒しにする羽目になったじゃねぇかッ!」
樰永も今にも「シャーッ!」と恫喝せんばかりに捲し立てるも、当の被告人は手をヒラヒラと振って図々しくなだめる。
「まあまあ、そう言わんで。だからこそ、すぐさま事態を報せましたし、何よりあなたのご要望を数時間足らずで成し遂げたでしょう?」
「俺が聞いたのは、アフリマンをセフィロトが狙って来航したって話だが、そもそもおまえが原因――もとい主犯だなんて聞いてねぇぞ!?」
そう、今より時を少し遡って樰永は、朧やカルドゥーレから故郷の危機を魔術の通信で伝えられていた。
それ故に永久や啓益とも連絡を取って計画を前倒しにし、叔母と守役二人には是叡の売国行為の暴露を広めさせ、このお惚け商人と朧には売国の確証ともなる藍の宦官の調略を命じたのだった。
ただし、アフリマンがそもそもはセフィロトの国宝でありカルドゥーレが盗み出したという事実を、樰永は今この時まで知らされていなかった。
「あの時は本当に時間がなかったですからね。ありのまま言ったとしたら、このように捲し立てたでしょう? その余分な時間を排するためにも必要な情報のみをお知らせしました。それに、この程度のアドリブなどあなたは苦にもなさらぬでしょう」
カルドゥーレが腹が立つほどに爽やかな笑顔を浮かべる。それに朧は麗しい美貌を怒らせて睨んでいる。
上記の事実を省いたこと自体彼女も不本意であったが、同様の理を説かれ渋々兄への報告の省略を受け入れたのだった。だが、それでもやはり憤懣やるかたないのであった。
「つくづく盗人猛々しい上に図々しいな、てめぇ……!!」
面の皮が何重にも厚い無駄がすぎる笑顔に、樰永は本気の殺意を抱いた。
「図々しいという点では、貴公も同じだろう」
アイアコスが呆れた声で突っ込みながら、樰永たちの元へ歩み寄る。
それに朧は兄の前に出て臨戦態勢を取ろうとするが、それを他ならぬ樰永が制する。
「是叡の問題はこれで片付いたが、やっぱり、あんたたちは引き下がっちゃくれないよな?」
樰永は挑発的な笑みを浮かべて威嚇するのに対し、アイアコスも兜の下から鬼気に満ちた視線を滾らせ即答する。
「当然。私たちの務めはアフリマンの回収とカルドゥーレの捕縛なのだからな。貴殿の与太話に付き合う道理も義理もありはしない」
「――そうかよ? ならやって見せろ」
途端に両者の間で今にも爆砕せんばかりの戦意と殺気が膨れ上がった。




