第肆章 神座王集う 九 鬼神邪竜静闘
「黙りゃ! この痴れ者め! 逆賊の身で武家の王などと……!」
前嗣が樰永の言葉を聞き咎めて吼えるも、当の本人はどこ吹く風で無視し、眼前の強敵足り得る男に興味の視線を注いでいた。
アイアコスもアイアコスで己の使命を自覚しながらも、この窮地で不遜な態度を貫く男から目を離せなくなっていた。
「しかし、西界の武士がこんな極東の国までいったい何用だ?」
図らずも樰永が本題に繋がる問いを発したことで、アイアコスは意を決して若武者が持つシャムシールに視線を注いで口を開く。
「貴公が今まさに手にしている魔剣こそが、その理由だ」
「は? どう言う意味か測りかねるな。こいつ自身が俺を選んだんだが?」
心底怪訝そうな声で問い返す樰永に対して、アイアコスは嘆息とともに告げた。
「貴公がどういう経緯でそれを手に入れたのかは知らんが、それは我が国の国宝に指定されている遺物なのだ。それも表沙汰にはできぬ重要封印指定に処されていたな」
「…………はっ?」
その言葉に、樰永は一瞬だけ目を点にした。
(おい! どういうことだアフリマン!?)
念話ですぐさま是非を問う樰永に、相棒は胡乱かつうんざりそうな声音で返す。
『むこうが勝手に言ってるだけなのですよ……。知っての通り、わたしはユキナガに出会うまでは、多くの挑戦者をひとりの例外なく喰っていました』
それは樰永も本人やカルドゥーレから聞かされてはいる。
『そんなわたしの悪食に手を焼いていたセフィロトの先々王が厳重な封印を施した上で、幾重にも結界を張り巡らせた神殿の地下に押しこめやがったのです……! 挙句勝手に国宝扱いとは厚かましいったらないのです! む~~~!』
(いや……至極妥当な判断だと思うが?)
樰永が呆れまじりに返す。自分が同じ立場でも、そんな獰猛極まりない問題だらけの遺物をそこら辺に放置などできない。すると、当然のように相棒から『この裏切り者ー!』という理不尽な糾弾が頭に響いた。
しかし、次にアイアコスから出た言葉に、樰永はさすがに吹きだすことになる。
「だが、何を血迷ったのか我が国のお抱え商人でもあったゼファードル・カルドゥーレが盗み出して出奔してしまってな。そして、何の因果か今は貴公の手にあるというわけだ」
「ぶっ!?」
――おいおい、カルドゥーレ……! てめえ、盗品ってどういうことだ!?
ここにいない商人に是非を問うも、生憎と事態は考える暇を樰永に与えてはくれない。
「ここまで言った以上、我らの目的はもはや言わずもがなのはずだな?」
「返せってか?」
「当然だ」
その瞬間、二人の間を殺気と剣気が迸りその場にいた者たちを圧迫させる。
それを受け辛うじて泰然自若としていたのは尊昶とリュカくらいなものだ。その彼らにしても冷や汗を禁じ得なかった。
――どちらもなんと凄まじい剣気か……! まるで鬼火が衝突しているがごとき様相だ。ここで二人が本気で死合えば、大内裏そのものが唯ではすむまい……!!
二人の実力を悟った尊昶は、万一に備え自らもすぐに対処できるよう警戒の態勢に入る。
――まさか、倭妖にこれほどの戦士がいるとはな。余裕で熾天使クラスに届く剣気だ……! 今はまだ刻鎧神威の造詣と練度というアドバンテージがある以上、カイが負けることはまずないだろうが、明日はわからん……!
リュカも危機感を募らせ、主と対峙する若武者に警戒の視線を注いだ。
「断るって言ったら斬るか?」
挑発的な態度と物言いで訊ねる樰永に、アイアコスも兜の下で視線を鋭くして断言する。
「それ以外に術がないなら致し方ないな」
そうして一触即発になると固唾を呑み身構えた一同をよそに、次の瞬間樰永は突如あっけらかんな声で、アイアコスはもちろん皆も思ってもいなかった提案を口にした。
「おまえら……是叡なんぞ見限って俺たちと組まないか?」
「は?」
その場違いに過ぎる言葉に、アイアコスは一瞬何を言われているかわからぬという呆気にとられた声を出した。
それは彼の臣下たちや、尊昶と柾秀、是叡や前嗣ら公家衆も同様だった。
「だから、俺たち鷹叢とおまえたちセフィロトで同盟を結ぼうって話をしている。少なくとも公家どもなんぞと組むよりかは実入りはいいぞ」
「話にならんな……」
吐き捨てたのは、アイアコスではなくリュカだ。
国宝を盗んだ賊と同盟など見たこと聞いたこともない。そもそも賊の謗りを受けている身で、そのような提案は場違いかつ的外れにもほどがあった。
「まったくです。そもそも私たちの任務はアフリマンの奪還とカルドゥーレの捕縛なのですから。他国との同盟など私たちに与えられた権限の範疇外もいいところです」
シャリネも呆れた面持ちで肩をすくめている。
アイアコスも二人の言を肯定するように、嘆息して若武者に言う。
「是叡公とは、単に国内の滞在と探索の許可を要請した間柄に過ぎん。正式な同盟ではない。それもこれもすべては、貴公が我が物顔で振るっている刻鎧神威を取り戻すためにだ。その賊と組むなど道理が通らぬ」
あくまで正道をもって一蹴する騎士に、樰永は鼻で嗤った。
「つまらねぇ男だな。あんた」
「なに?」
またも思ってもいなかった言葉を投げかけられ、アイアコスはいらだちまじりの声をあげる。
「君主の命を遂行することは確かに武士の本分だろう。だが、こんな男の小間使いになってまでする価値のあることか?」
その言葉でもって斬られたのは、傍から成り行きを見守っている尊昶だった。
――俺は……武士の本分を果たさんと、敢えて摂権殿下の命に従おうとした。公卿たちの邪まな野心を知りながら……! だが、それはまことに俺が目指した武士道だったのか!?
「若……」
主の懊悩を察し、柾秀も気遣わし気な声をかける。
しかし、当のアイアコスは冷笑を以て若武者の疑問符を一蹴する。
「見え透いた論理の差し替えだな。我々としても彼の小間使いなんぞに成り下がった覚えはない。だが、任務を遂行するに当たって彼と一時的な協力関係を結ぶことが最適な手段だっただけのことだ」
すると、ケロッと樰永はこう返した。
「なら、もう是叡との蜜月関係を続ける意味はないな。おまえたちのお目当ての盗まれた国宝とやらは、こうして目と鼻の先に在り、今ここにこそいないが、盗人のカルドゥーレも俺たちとともにこの扶桑へと同行しているのだからな」
その言葉に驚愕の念を抱いたのはアイアコスの臣たちだ。
刻鎧神威の所持はもはや明白であるからまだしも、カルドゥーレの保護と所在を明言するとはさすがに思わなかったのだ。
「なっ! 罪人を匿ったことを自ら認めてしまうのか!?」
カラコムが思わず驚愕の叫びをあげる。
「おいおい、この若殿は本当に阿呆ではないのか?」
リュカは若干の軽蔑すら含めて嘆息する。
「貴公がおとなしくアフリマンとカルドゥーレを引き渡すというなら、そう言うことになるな。それで貴公にその気は――」
「ない」
樰永はあっさりと断言した。
「應州を守るためにも、何よりこの倭蜃国を一統するためにも、アフリマンの力は今や必要不可欠だ。カルドゥーレにしても奴には奴の思惑があったにせよ、この力をもたらしてくれた恩人。何より天下統一のための盟約を結んだ間柄でもある。おまえたちにとっては罪人でも、それを翻すとあっては、こちらの筋目が通らん。よっておまえたちの要求は何ひとつ呑めない」
「ずいぶんと身勝手極まりない理屈と返答だな。しかも、すべておまえたちの事情ばかりで、我らには一切関わりなきことだ」
アイアコスの声が一段と冷たくなる。主の怒気に応じて、リュカとレイヴン、シャリネとカラコムも得物を抜いて身構える。
すると、樰永はニヤリと笑った。
それを見た者たちは一様にこの窮地に狂ったのかと訝しんだが、彼を最もよく知る妹が見れば、否と答えただろう。
兄のこの笑みは、勝利を確信した時の会心の笑みなのだと、彼女は誰よりもよく知っているのだから――
「だからこそ、俺は代わりとなるものをおまえたちに提示する」
「代わりだと? そのようなものが万が一にもあったとして、それは何だ?」
「伯爵!?」
リュカが驚きの声をあげる中、アイアコスも我ながらどうかしていると自嘲していた。
だが、眼前のサムライが語り出す先に抗い難い興味が湧き上がっていた。
そして、若きサムライの口から出た言葉は――
「富と文化だ」




