第肆章 神座王集う 十 夢
「富と文化……?」
レイヴンの横で、おっかなびっくり様子を見ていたユリアが大きな目を見開いて呟く。樰永はそれに大きくうなずき朗々と語る。
「そうだ。俺が倭蜃を一枚岩とした暁には、セフィロトと商業同盟を結び、そこを中心に国際的な商業機構を築く。これまでのように黄泉のみでのチマチマとした取引ではない。国ぐるみで取り組む遥かに大きな商業圏だ。海と船により、東界西界問わず、あらゆる国々の富と文化を伝え合い混ざり合わせるのだ。さすれば国は、世界は、大きく開き広がり変わる。すべてが新しき天地となるのだ」
それを聞いていた者たちは一様に首を傾げていた。
是叡以下は何を言っているかわからぬと呆然とし、清聡と治禎でさえ絶句し、忠遠も訝し気な唸り声をあげ、柾秀はポカンとした面持ちで口を開け、リュカは正気を疑うような胡散臭いと言わんばかりの視線を向け、シャリネとカラコムにレイヴンも目を丸くしている。ただユリアだけが瞳をキラキラと輝かせていたが……。
だが、その目はどこまでも澄み真っ直ぐで、その声音の芯はどこまでも強く激しかった。
まるで、そうなることが至極当然であることを微塵も疑っていないようであった。
そして何より、それを聞かせる者に強く響く何かがあった。
皆が呆気に取られる中で尊昶もまた感嘆の念を抱いていた。
――何という広い視野と展望……これが鷹叢樰永という武士か。
アイアコスもまた内心で驚嘆を禁じ得なかった。
――このような極東の果ての荒れた国に、これほどの高い意識を持った男がいるとはな……。案外どうして倭蜃国とやらも侮れんな。だが、どの道私に与えられた王命とは相容れん男だ。
「それがアフリマンに勝る利だと? 遠大に過ぎる上に胡散臭い話だな。大抵は絵空事と斬って捨てられる話だ」
アイアコスはそう言って一蹴したが、樰永はなおも不敵な笑みを崩さずに言い返した。
「にしては、辛抱強く拝聴してくれたじゃねぇか」
「このような状況にも拘わらず、図太く構えていられる阿呆が珍しかっただけだ」
そのように憮然と返すが、若武者は引き下がらない。
「つまり無関心じゃないってことだな」
「っ! どこまでも減らず口と屁理屈を……そもそも変わることは善きことばかりを意味しない。そのように多数の国々が交わるということは、多くの火種をも生み出し得るということだぞ」
しかし、その指摘にも若武者は顔色を変える事すらなく口端を不敵につり上げた。
「だろうな。けど、それでいいんじゃねぇか」
「なに?」
「どうせ何をどう足掻いて尽くしても血が流れることは避けらねぇご時世だ。だったら、どうせ流れるなら流れるで、ちまちまと同じ小競り合いをして流すより、でっかく世界丸ごと変えるために流そうぜ」
「ッ!!」
――なんという顔で言ってくれるんだ、こいつは……!!
獰猛にして凶暴な笑みを浮かべながらも、その双眸はどこまでも夢へと焦がれる童のような煌きに満ち満ちていた若武者の形相に、アイアコスは息を呑むことを禁じ得なかった。
「ぼ、暴論にも程があります! 君主ならば流す血を少なくする努力をすべきなのに、率先して流血を奨励するなど……!!」
レイヴンが憤りも露わに非難するが、樰永は不意に真顔になって言う。
「だが、どう手を尽くそうとも流す血が零になることなどない」
「そ、それは……」
レイヴンとてそれは無論わかっている。わかっているのだが、若武者の持論にはどうにも受け入れ難いものがあった。
樰永は目を閉じて威厳すら伴った声を響かせ、この場に集った者たちに語り掛ける。
「――倭蜃国は今大きく老い、病み、飢えている。治めるべき王は疾うに絶え、代わって武によってその務めを代行すべき大君も滅びた。公家どもの専横甚だしく、群雄たちは野に放たれた獣のごとく、何年も同じ無益な喰い合いを繰り返している。民草は飢え貧しく明日をも知れぬ……」
「……」
その言葉に、アイアコスをはじめリュカやシャリネたち、尊昶たちも無言で肯定する。彼らもここまで来る道中で都の様子を見て来たのだ。
近年の飢饉で食うものにも困る民草、権力を笠に着た買い叩きと専売により流通を阻害され痩せ細る市、それらに反して豪華絢爛な公家たちの生活様式、小さな勢力争いに腐心する大小の武家たち……。
乱世故にと言えばそれまでなのだろうが、敢えて言わせてもらうならば、この国はまさしく歪んでいる。
だが、その言葉に前嗣が怒髪天を衝いた形相で喚いた。
「何をゆうでおじゃる! 武家の専横蔓延るこの国において、この神の都たる千年の王都が健在であるは、我ら由緒正しき主上の臣下が在ればこそでおじゃるぞ! この扶桑の、倭蜃の中心たる朝廷が栄えてこそ国の面目が保たれるというもの! そのために下民どもが搾り取られるは、貴奴らにとって至極当然の責務! 些末事の内にも入らぬ!」
しかし、樰永はそれをも当然のように黙殺し続け、アイアコスたちもそれに倣った。
「だからこそ俺は、その野に放たれた武士たちを統べる棟梁になる。腐った朝廷に代わって万民を守る大君にな。そのためにも、まずはこの国の商業と経済を牛耳る」
その言葉に、アイアコスは得心がいったとばかりに顎を撫でた。
「なるほどな。我が国と結んで国際的な商業圏を作りたいというのは、朝廷に対抗し群雄たちに先んじる手段としてでもあったか。だが牛耳ると貴公は言うが、公家たちの過度な干渉と支配に辛酸を舐めてきたであろう商人たちを掌握するのは至難だぞ。中には、公家の位置に貴公がすり替わるだけと断じる者もいるだろう」
この詰問に対し、樰永はケロッとした顔で首を横に振る。
「別に、連中のようにあれこれ口出しするつもりはねぇよ。俺がするのは、せいぜい公平な商取引の保証と保護。非合理な規制や徴税の撤廃ぐらいなものだ」
「賢明な判断だな。商業と商人の保護は経済を回す上での基本だ。身勝手な欲得による圧迫と圧政など百害あって一利なしの愚行に過ぎん」
アイアコスは肩をすくめて同意した。
すると、樰永はまたも目を童のように輝かせる。
「あんた、厳つい見た目の割には頭がキレる上に話がわかるな。なら商談は成立ということでいいか?」
「厳ついは余計だ。それから勝手に話を進めるな。私は、受けるなどとは一言も言っていない」
「に、兄さん……!」
いつの間にか若武者の与太話に、まともな受け答えをしている兄弟子にシャリネは困惑した声をあげる。
それによりアイアコスはハッとなって咳払いをすると、再び冷たい声で言う。
「正直、貴公の話が興味深いものであることは否定しないし、その意気も買おう。ただやはり、我らに課された任務は、あくまでもアフリマンの回収とカルドゥーレの捕縛もしくは処断だ。他国との同盟など陛下の名代ですらない我々に決める権限などない」
「やっぱり肝心なところで堅物だな、あんた。なら、俺をおまえたちの王に会わせろ」
「っ!?」
その言葉に、アイアコスのみならずリュカたちも驚きに息を呑んだ。
それも構わず樰永は己の胸に手を置いて重ねて請う。
「おまえたちの手に余るというなら、おまえたちの主と直接話をする。アフリマンやカルドゥーレを連れて行くというなら、俺もともに連れて行け。それらの件諸共に俺が直接話を通す。それなら、おまえたちも君命に叛いたことにはなるまい」
本来ならば、図に乗るなと激昂すべき言葉なのだろう。
だが、不思議とそんな怒りを示したところで、この男に退く気など一切あるまいという確信をアイアコスは抱いていた。
この男の夢にはそれだけの覚悟があると既に思い知っている。だが――
――考えるまでもないことだ。このような戯言に付き合う理由も義理もない。自らの務めを果たせばいいだけのこと――!
意を決して腰の得物に手を掛ける。が――
厭味ったらしいほどの手拍子が一拍鳴り響き空気を割った。
見ると、是叡が引きつった笑みを浮かべながら一同を目回して言った。
「なかなかに興味深い話を聞かせてもらったでおじゃる。座興としてはなかなかでおじゃったが、逆賊の狼藉者の分際で政を語るとは僭越すらも通り越す不敬よのう」
その言葉が夢に取り込まれつつあった皆の心を現実へと容赦なく還した。
――そう。夢はしょせん夢。現実にすり替わることなどない!
アイアコスは己に言い聞かせるように兜の奥で唇を真一文字に結んだ。




